宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第三編 近世

第一章 宮代の領主たち

第三節 元禄の地方直し

『新編武蔵』の和戸村の項に「今は榊原百之助・山本左金吾(さかきばらもものすけ・やまもとさきんご)が知行所なり」と記されている。武蔵国埼玉郡に知行地を持ち、百之助を名乗る榊原家は、榊原秀信を祖とする榊原家と考えられる。
 『寛政重修諸家譜』によれば、榊原家は代々徳川家に仕え、三代宣経は秀忠に仕えて稟米三〇〇俵を与えられていた。その後慶安四年に稟米三〇〇俵を加えられ、寛文七年に秀親(ひでちか)が家を継ぎ、六〇〇俵の稟米のうち一八〇俵を弟宣久に分け与えている。その後、天和三年に秀政(ひでまさ)が家を継ぎ、元禄十年七月二十六日には下総国(茨城県)結城郡において稟米を改めて五〇〇石の領地を与えられている。元禄十五年六月二十三日に秀豊(ひでとよ)が継ぐと同十六年には領地の一部を下野国都賀郡(つがぐん)に移され、さらに享保九年十一月下総国結城郡の領地の一部を武蔵国埼玉郡に移されている。このとき和戸村を支配するようになったと考えられる。秀豊は寛保元年四月五日に隠居し、有秀(ありひで)に家督を譲っている。その後は明和五年に秀久(ひでひさ)が、安永五年(一七七六)に実秀(さねひで)が継いでいる。