宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第二編 中世

第四章 中世の寺社と信仰

第四節 石造供養塔の造立

 私年号とは、公的な年号である元号と異なり、一地方や限定的な地域において使用された非公式な年号であり、その存在は許されなかったが、一部の人々に使用された。私年号を異年号、偽年号とも称している。私年号は、保寿、和勝、迎雲、永福、白鹿、応治、天靖、享正、福徳、永伝、徳応、弥勒、宝寿、命禄、永長、元真、至大、延徳、永喜、大道、延寿などがあり、平安時代末期から江戸時代にわたって使用されているが、室町時代~戦国時代にかけて著しく増加している。
 私年号が用いられた理由は、①朝廷に対して力を持った豪族が、対抗意識や勢力誇示のために使用した説、②天変地異や疫病流行などを忌避(きひ)したいがために使用した説、③地方の豪族が自己顕示のために使用した説などがある。
 宮代町における私年号は、西光院にある板碑に刻まれた「福徳元年□月三日」銘である。「福徳」は、延徳元年(一四八九)に甲斐国あたりで疫病が流行し、翌年の秋は異常寒気となり降雪に悩まされていた。そのため、これまでのように年号を変えることによって、この惨況を克服するため公年号の一字を入れ替えて「福徳」と命名したと考えられている。福徳元年は延徳二年に該当する。
 私年号の「福徳」が使用された範囲は、武蔵、相模をはじめ関東地方一帯に及んでいる。
 宮代町付近では、下総の古河に移動し、幕府に敵対した足利成氏が使用した「享正」「延徳」の私年号をみることができる。
 戦国時代の終わりと共に私年号は消えるが、江戸時代にはキリスト教の弾圧にさらされた人々の願いから生まれたと考えられている「大道」、徳川幕府の永続、延命の願望を示したといわれている「延寿」の二点しか確認されていない。

2-72 福徳年号が刻まれた板碑 (西光院所蔵)