宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第二編 中世

第四章 中世の寺社と信仰

第四節 石造供養塔の造立

宝篋印塔は、釈迦如来入滅後にインドの摩伽陀(まかだ)国の阿育王(アショーカおう)が仏教に帰依(きえ)し、仏舎利(ぶっしゃり)を分って八万四〇〇〇の塔をインド全国に建立したという故事にならって呉越王の銭弘俶が八万四〇〇〇の銅塔を作り、それに宝篋印心呪経をおさめて諸国に頒与した八万四千塔または金泥塔と呼ばれる小塔が始まりである。
 構造は、下から基礎、塔身、笠、相輪の順に積み上げる。形式は、基礎、塔身、笠が方形で、笠の四隅に隅飾の突起をつけているのが大きな特徴である。塔身には、普通四方仏の種子または像容を刻んでいる。四方仏の種子は、密教系の四仏で金剛界四仏種子を表わしたものが多い。これは、宝篋印塔が、平安時代以降に発生したもので、密教の塔として使用されたためである。
 宝篋印塔は、鎌倉時代後期以降に形式が関西と関東では異なり、関西形式、関東形式と称され区別されている。
 町内における宝篋印塔は、2-68のようになるが、造立年が分かるものは次のようになる。
  ①西光院 宝篋印塔基礎 「貞治(ていじ)丁未(一三六七)八月」
  ②正福坊 宝篋印塔基礎 「永正(えいしょう)九年(一五一二)三月五日」
  ③青林寺 宝篋印塔基礎 「応安(おうあん)五年(一三七二)五月十日」

2-67 宝篋印塔 (西光院所蔵)

 西光院の①の宝篋印塔は、八百比丘尼(やおびくに)の墓石と称されており、人々の信仰を集めている。また、青林寺の宝篋印塔は、寺の近くから出土したものが集まって来たという。

2-68 宝篋印塔一覧