宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第二編 中世

第三章 鈴木雅楽助(うたのすけ)と百間

第三節 鈴木雅楽助(うたのすけ)の百間郷支配

 宮代町では昭和五十年代以降発掘調査が進み、中世の遺跡が発見されるようになった。昭和六十二年度の中遺跡や昭和六十三年~平成三年度にかけての地蔵院遺跡などである。特に地蔵院遺跡では十五世紀代の堀や工房の跡を中心として瀬戸美濃産や常滑産の陶磁器や在地で作られたと推定される土鍋や擂鉢(すりばち)、中国や朝鮮で鋳造された古銭、板碑などが多数出土している。
 発掘調査が行われた平成十年度の中寺遺跡からは戦国時代後半の掘立柱建物跡や井戸跡が発掘され、戦国時代の武将鈴木雅楽助の屋敷地近くであることから雅楽助の屋敷の一部を発掘した可能性が高い。
 平成十二年度から十三年度にかけて三回に渡り発掘調査が実施された伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡では戦国時代の堀の跡や建物の跡、井戸跡が発掘され、旗本服部氏が文禄(ぶんろく)元年(一五九二)に百間に入る以前からこの地に城館を構えた在地土豪がいたことが明らかとなっている。
 堀の跡からは文亀(ぶんき)元年と推定される板碑片、瀬戸美濃産や常滑産の擂鉢、天目茶碗、皿の底裏に「十」と朱で記された志野皿を始め、在地系の土鍋や焙烙(ほうろく)、擂鉢、香炉の他鉄釘や鏡等も出土している。鏡は青銅製で直径八センチ程度のもので宮代町では初めての発見である。整理作業を実施していないため不明なところもあるが少なくとも戦国時代後半から江戸時代初頭にかけて在地土豪や旗本服部氏の城館(陣屋)として機能していたと推定される。
 伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡と地蔵院遺跡とは非常に近いこともありその内容も類似しているので西原地区全体が中世の遺跡である可能性が高いと考えられる。

2-60 伝承旗本服部氏屋敷跡遺跡から検出された堀