宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第二編 中世

第一章 太田荘と西光院

第三節 中世太田荘と宮代地域

太田荘に対して、東側に位置するのが「下河辺荘」である。下河辺荘の範囲は、太田荘・埼西郡と同様に、中世地名や『新編武蔵』に見える近世の荘名記載などから領域を比定してみると、西は渡良瀬川・古利根川・古隅田川の各川を限り、東は常陸川水系を限り、北は旧長井戸沼水系(茨城県猿島郡)、南は葛西御厨(みくりや)・風早荘に接する下総国西部の南北に細長い荘域をもつ。現在の自治体でいえば、幸手市・栗橋町・杉戸町・松伏町・三郷市・吉川市のほか、岩槻市・春日部市・越谷市・八潮市の一部、茨城県古河市・総和町・五霞町の一部・千葉県野田市・関宿町の一部という広大な領域にあたる。
 太田荘と下河辺荘の境界を画するのが、中世の利根川の流路である。利根川の旧河道の流路跡をたどってみると、利根川は羽生市川俣付近で二つの流路をもち、会ノ川(あいのかわ)となる流れは鷲宮町内の八甫(はっぽう)地内で再び合流する。もう一方の本流は北川辺・大利根・栗橋付近で渡良瀬川水系と合流し、八甫付近で、江戸川になる庄内古川を分流して、現在の「古利根川」として埼葛地域を流れ、江戸湾に注いでいた。この「古利根川」こそ旧利根川なのである。下河辺荘は大きく野方・河辺・新方の三地域に区分され、このうち河辺地域が宮代町と接する。太田荘側の宮代と接する下河辺荘側は杉戸町である。すなわち、身近に存在する古利根川こそ、かつては武蔵と下総の国境だったのである。
 このように、中世の宮代は太田荘に属していたが、後に登場する高野の渡しなどの役割から考えるに、下総国と境を接する重要な交通拠点であったと見られるのである。