宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第二編 中世

第一章 太田荘と西光院

第三節 中世太田荘と宮代地域

この太田荘の西側に隣接するのが、「埼西郡(きさいぐん)」である。表記からみてわかる通り、太田荘=「埼東郡」に対して、埼玉郡の西側で荘園化しなかった国衙(こくが)領=公領を「埼西郡」と呼んだと思われる。ここでも太田荘と同様の方法で「埼西郡」の領域を見ていくことにする。中世文書と寛永(かんえい)(一六二四~四四)以前の近世文書に現れる「埼西郡」の呼称は二六例あるが、『新編武蔵』の郡荘記載からは、「埼西郡」の名の残る地域には、総鎮守を騎西町の玉敷神社に比定される「久伊豆(ひさいず)神社」が分布しており、この神社が埼西郡を一つの領域として結びつける意味を持ったことがわかる。さらにこの地域には、「野与(のよ)党」・「私市(きさい)党」という武蔵七党と呼ばれた武士団の分布が見られ、「久伊豆神社」の信仰圏に重なっている。こうしたことから埼西郡の領域は、旧綾瀬川筋を西限とする熊谷市・川里町・騎西町・鴻巣市・菖蒲町・白岡町・蓮田市・岩槻市から越谷市・八潮市に至る、広大な地域に比定されるのである。
 この埼西郡と太田荘の境界は、それぞれの領域の鎮守である久伊豆神社と鷲宮神社の信仰圏が明確に分かれることと、それに伴う河川や地形などの自然条件が存在するはずである。埼玉郡の場合は地形から考えると河川に境界が設定されていることが多い。
 そういった意味で注目されるのが、隣接する白岡町の中をかつて流れていた「日川」という河川である。日川は新川用水の流路とほぼ一致する河川であったと考えられ、見沼代用水騎西町上崎地先から分水し、久喜市太田袋付近で近世初頭に開削された備前前堀川に落ちているが、それ以前はさらに南下していた。備前前堀以南は、久喜市から白岡町、そして蓮田市と岩槻市の境を南に流れ、古隅田川とともに元荒川に流れ込む川である。『武蔵国郡村誌』には野牛と高岩村(白岡町)の間には古新川(旧日川)が流れており、この川が境となっていたという。この日川東岸の村々は鷲宮神社を祀っているが、久伊豆神社を祀っている村は一つもない。一方日川西岸の村々ではこれと逆に久伊豆神社を祀っているが、鷲宮神社を祀っている村は一つもないのである。地形的に見ても、日川東岸の太田荘側は慈恩寺台地、日川の低湿地を挿んで埼西郡側は元荒川沿いに展開する台地と自然堤防から成り立っている。日川は享保(きょうほう)年間(一七一六~一七三六)以降起こった山城堀の開削に伴う度重なる争論によって、排水機能が低下し、宝暦(ほうれき)年間(一七五一~一七六四)以降新田開発の対象になっていった。現在、日川という河川はないが、この川が太田荘と埼西郡の境界をなしていたことは明らかである。

2-9 太田荘・下河辺荘、埼西郡範囲図


2-10 鷲宮神社・久伊豆神社分布図