宮代町立図書館/宮代町デジタル郷土資料

宮代町史 通史編

第一編 原始・古代

第三章 潮騒が聞こえる

第一節 海を臨む台地

 その昔、宮代町の低いところは海だったとよく言われる。それを証明するかのように、井戸を掘削したときや、公共事業のボーリング調査などでたくさんの貝殻が地底から発見されている。また、東地区の西光院遺跡からは縄文時代の土器のかけらと共にヤマトシジミが多数出土している。

1-27 山崎地区ポンプ場建設の際出土した貝
上段:ハイガイ
中段:ハイガイ(一番左のみ) イチョウシラトリガイ
下段:カキ(左2つ) カワアイ(右4つ)

 一方、宮代町の近隣においても、春日部市の花積貝塚や蓮田市の関山貝塚、黒浜貝塚など、明らかに海の貝が大量に廃棄された貝塚が発見されている。
 それでは、縄文時代のいつ頃、宮代町には海が来ていたのであろうか。今から約七〇〇〇年前の縄文時代早期後半から約五五〇〇年前の縄文時代前期にかけて、地球規模での温暖化現象がおこり、当時の海水面は現在より二~三メートルは高い位置にあったと推測されている。宮代町でも笠原や百間、大谷耕地など低地部には海が広がっていたようである。平成二年(一九九〇)に山崎地区のポンプ場建設の際、ハイガイやカワアイ、ハマグリ、イチョウシラトリガイ、カキなどの貝やノコギリガザミなどのカニが地下約六メートルから一〇メートルにかけて多数発見された。これらの貝は塩分の低い干潟に生息するものが主体を占めることから、この時代、宮代町の低地部では遠浅の内海状の干潟が広がり、そこに生息する生き物を食料とする縄文人が干潟周辺の台地上に移り住み、ムラを営んでいたと推定される。ちなみに、縄文時代早期後半では西原地区の地蔵院遺跡や金原地区の金原遺跡、山崎地区の山崎遺跡、国納地区の国納丸屋遺跡、縄文時代前期前半には、道仏地区の道仏北遺跡で竪穴住居を中心とする当時の縄文ムラが営まれていたことが発掘調査により明らかとなっている。