鶴ヶ島市立図書館/鶴ヶ島市デジタル郷土資料

「鶴ヶ島町史」通史編

通史編

第五編 近現代

第四章 戦時体制と太平洋戦争

第一節 昭和恐慌と満州事変

 昭和四年(一九二九)一〇月、アメリカに始まった世界恐慌は翌年日本にも波及し、不景気はますます深刻になった。農村では農産物価格とりわけ繭価の暴落を招き、農家の生活はいっそう苦しくなった。
 恐慌は鶴ケ島村の財政にも大きな影響を与えた。鶴ケ島村の歳入総額内訳を「村勢要覧」各年度から整理したのが表―27である。歳入は昭和五年度には前年度二六パーセント減となり底をついている。各科目ごとの増減はまちまちである。額の大きいものは国庫下渡金と村税である。国庫下渡金とは義務教育費下渡金てある。義務教育は市町村が実施する最大の国政委任事務であり、当初より市町村財政を強く圧迫するものであった。そこで大正期になると教育費の国庫補助要求が高まり、それを背景にして大正七年(一九一八)市町村義務教育費国庫負担法が制定された。この法律にもとづいて交付されたのが義務教育費下渡金であり、小学校の正教員・準教員の俸給費用の一部を国が負担することになったのである。
hyo表5-27 鶴ケ島村歳入決算額(単位:円)
 村税は昭和五年度には前年度の四四・二パーセント減となり、六年度には底をついた。村税はその後も停滞的に推移し、昭和二年度の規模になるのは昭和一五年以降である。歳入規模は昭和六年度には恐慌直前の昭和四年度の水準を突破した。これは昭和六年度では失業救済農山漁村臨時対策低利資金の借り入れによる村債、七、八両年度は救農土木事業に対する県補助金の増大によるものである。この補助金は昭和九年度で打ち切られた。昭和一〇年度の村債は第一小学校校舎建築のためのものであった。このように昭和六年度以降の歳入は、補助金、村債等、継続性のない不安定な財源によって規定されていた。
 鶴ケ島村の歳出額の内訳を整理したのが表―28である。額の大きいものは役場費と教育費である。教育費は全体のほぼ半分を占めており、昭和五年度には五八・四パーセントとなっている。昭和一〇年(一九三五)一〇月一一日には第一小学校の奉安殿・武器庫の竣功式、一二年四月には新校舎落成式が挙行された。これらの費用は臨時部から支出されており、昭和一一年度には合計で六四・四パーセントが支出されていることになる。
 次に多いのは役場費である。歳出の一一~二四パーセントを占めている。役場費は吏員の給料、旅費、手当、備品・消耗品代などからなり、人件費が大半を占めていた。この時期の鶴ケ島村吏員は村長、助役、収入役のほか書記五名からなっていたが、恐慌下の昭和五年度より減俸が実施された。昭和六年五月二七日には官吏減俸令が公布され、六月一日より施行となるが、五月二八日、浦和で官吏の減俸を要求する埼玉県民大会が昭和義憤団によって開催され、次の熊谷での大会には鶴ケ島村民数名が入間代表旗を立てて参加している。
hyo表5-28 鶴ケ島村歳出決算額(単位:円)
 乏しい村財政の中で各種団体に補助金が支出された。歳出の臨時部補助金の交付先を「予算書」各年度から整理したのが表-29である。恐慌を契機として税金の滞納が増加し、納税組合の設置が奨励された。鶴ケ島村では九年度より納税組合に補助金の交付がなされた。納税組合という形での住民の組織化は、日中戦争下の家庭防火群とともに翼賛体制下の隣組に継承されていく。
hyo表5-29 年度別補助金交付団体一覧(単位:円)