久喜市立図書館/久喜市デジタルアーカイブ

島田家文書を紐解く

翻刻文

 ここでは、島田家文書の一部資料の翻刻文を掲載しています。
 

房川渡中田御関所番人数姓名ならびに高附拝領屋敷宿所書上帳

―島田家文書 No.204‐24―

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房川渡 御関所番人数性名并ニ
中田
高附拝領屋敷宿所
書上帳
御代官
斎藤嘉兵衛支配
房川渡 御関所番
中田
房川渡中田
御関所番
一、高弐拾俵弐人扶持冨田庫助
拝領屋敷
竪弐拾五間
横拾五間
右は御関所裏続堤附ニ而
拝領住居仕候
房川渡中田
御関所番
一、高弐拾俵四人扶持足立十右衛門
拝領屋敷
竪弐拾壱間
横拾三間
右は御関所裏続堤附ニ而
拝領住居仕候
房川渡中田
御関所番
一、高弐拾俵弐人扶持嶋田勇次郎
拝領屋敷
竪弐拾三間
横拾三間
右は御関所裏続堤附ニ而
拝領住居仕候
房川渡中田
御関所番
一、高弐拾俵弐人扶持加藤杢兵衛
拝領屋敷
竪弐拾六間
横拾五間
右は御関所裏続堤附ニ而
拝領住居仕候
右之通御座候、以上
房川渡中田
御関所番
十二月冨田庫助
足立十右衛門
嶋田勇次郎
加藤杢兵衛

鉄炮忍へ通行につき老中証文

―島田家文書 No.202‐9―

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鉄炮合百四拾三挺
百四拾挺ハ玉目四匁三分
内 弐挺ハ玉目弐百目
壱挺ハ玉目百目
右之鉄炮忍江差越申候、御関所無相違
御通可給候、以上
(印)
明暦弐年 十月八日 阿部豊後守(花押)
房川渡御関所
御番衆

本多山城守鉄炮通行につき証文

―島田家文書 No.61―

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本多山城守鉄炮三拾挺
但両玉白河より江戸へ取
寄申候、中田房河戸
御関所無相違相通候
様ニ頼入候、以上
井上河内守(印)
寛文三癸卯六月廿九日
岡田豊前守殿
妻木彦右衛門殿
表書之通断ニ候間
御関所無相違可被相
通候、我等共より可申達旨
御老中被仰渡候間、
如此ニ候、以上
六月廿九日妻彦右衛門(印)
岡豊前守(印)
伊奈半左衛門殿

鉄炮・長柄・具足通行につき証文

―島田家文書 No.202‐15―

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一、鉄炮拾挺
一、長柄拾本
一、具足七輌
右之通御関所罷通候様ニ被仰付
可被下候、為其如此御座候、以上
堀田下総守内
貞享弐年久保田善六(印)
丑七月十日 同断
間宮理左衛門(印)
房川渡御関所
御番衆中様

鉄炮百目筒通行につき証文

―島田家文書 No.202-16―

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一、鉄炮百目筒参挺
右は松平右京允領分下野国壬生江指遣
申候、御関所無相違御通シ可被下候、為
後日如此御座候、以上
松平右京允内
元禄七戌年閏五月十六日深尾万右衛門(印)
深井茂兵衛(印)
房川渡
中田  御関所
御番衆中

蝦夷地御用井上左太夫手附持参鉄砲通行につき証文

―島田家文書 No.202‐4―

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一、鉄炮拾壱挺
九匁五分玉鉄炮五挺
但 三匁五分玉鉄炮壱挺
三匁五分玉短筒四挺
四匁玉鉄炮壱挺
右は与力渡辺庄次郎・豊藤於菟丞・松嶋
左十郎、井上左太夫組御先手与力佐藤禮助、
阿部勘左衛門組御徒米良庄蔵自分筒
一、御鉄炮拾四挺
百目玉火矢御筒拾挺
但 六匁玉御鉄炮四挺
鋳形壱膳鋳鍋壱本
右は井上左太夫手附井上貫流御預り御鉄炮
一、御鉄炮四挺
但 玉目六匁
右同断同心四人江御貸渡之御鉄炮
一、鉄炮弐挺
八匁玉鉄炮壱挺
但 三匁五分玉短筒壱挺
鋳形五膳鋳鍋弐本
一、鋳形五膳
百目玉壱膳
拾弐匁玉壱膳
但 九匁七分玉壱膳
四匁三分玉壱膳
三匁八分玉壱膳
右は井上左太夫手附井上貫流自分筒
都合鉄炮三拾壱挺
右は去年以来鉄炮為打方
蝦夷地江被差遣候与力井上
左太夫手附井上貫流并御徒
同心書面之通致持参候処、此度
御用相済帰府之節持帰候ニ付、
断次第房川渡中田関所
無相違可被通候、松平伊豆守殿
御断付如斯候、以上
文化五辰
十月十九日 越前(印)
房川渡
中田 関所番中

日光表同心共砲術教授済西洋形小筒通行につき証文

―島田家文書 No.202-14―

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一、西洋形小筒壱挺 玉目八匁
是は御鉄炮方井上左太夫組与力講武所
砲術教授方出役□□新十郎御預り
御筒諸具共壱箱
右は日光表同心共砲術教授御用相済、
書面之通御筒持参致帰府候ニ付、房川渡中田
御関所無相違御通可被成候、仍如件
(行)
日光奉□
万延元 年十二月河尻式部少輔(印)
房川渡
中田
御関所
御番中

京都守衛御用にて鉄炮通行につき証文

―島田家文書 No.67―

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一、弐挺鉄炮
右は此度京都御守衛為
御用持参罷登候、此段御届申上候、以上
会津
六月春日弥惣兵衛

松平下総守所替にて家来妻子下女通行につき留守居証文

―島田家文書 No.202-43―

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(奥州)
松平下総守従播州□□山形江所替付而
家中之妻子下女□□地江引越候間、房川渡
中田関所役家□□人表書ニ加判形差
越し候間、此内武□□判形以手形、右之
女当八月より来□□迄之内、度々ニ可被遊
通し候、不残通□□ノ上、一紙之手形ニ
我等共加裏判□□遣し候、為其如此候、以上
慶安元年八月□□日 内蔵允(印)
紀伊守(印)
房川渡
中田 人改衆中
(印)
生田九兵衛(花押)
(印)
平野新五左衛門(花押)
(印)
黒屋五左衛門(花押)
(印)
山田十郎兵衛(花押)
(印)
奥平縫殿助(花押)
(印)
黒屋数馬(花押)
(印)
山田久弥(花押)
(印)
奥平土佐守(花押)
(印)
奥平金弥(花押)

本多中務大輔所替にて家来妻子ならびに召仕の女通行につき留守居証文

―島田家文書 No.202-6―

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覚 (大輔)(替)
今度本多中務□□殿就所□従江戸下総国古河迄
家来之妻子并召仕之女引越候間、房川渡中田関所
(大)
罷通候節、中務太輔殿以一判証文可被相通候、依之先達而
(大)
中務太輔殿より判鑑可被差越候条、右上下之女通済候
以後我等共一紙之手判ニ引替可申候、右之通可申渡之旨、
御用番井上河内守殿御断ニ付如斯候、以上
正徳二年辰九月 伊豆(印)
淡路(印)
肥前(印)
因幡(印)
摂津[印]
主計(印)
房川渡
中田 人改中

近衛内大臣養女下向につき留守居証

―島田家文書 No.202-39―

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近衛内大臣殿御養女
純君仙台表江下向ニ付、
房川渡中田於関所
輿之内改候ニ不及候、其段
可相達旨、松平周防守殿
被仰渡候間、可被得其意候、
尤供之女は定式之通
可相改候、以上
慶応三卯
五月四日 跡部遠江守(印)
房川渡
中田
関所

在府大名妻子帰国通方につき申渡

―島田家文書 No.5―

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申渡
江川太郎左衛門
佐々井半十郎
伊奈半左衛門
名代兼
佐々井半十郎
万石以下之面々、追而土着をも可被仰付、付而は当節より
家族共近国之知行所等江差遣候儀、御許相成候、依而は
関所々通方之儀、先前之通御留守居手形を以相通候
儀ニ候得共、此節柄俄ニ発足等之節、手数も相懸自然
不都合も可生候間、主人印紙ニ人数高相認、小女・髪切・
尼・鉄漿附等之無差別自分断を以通行候様可被致候、
尤此藩限之事ニ候条可被得其意候
右之通御書付出候間、支配々関所番人共江可被
申渡候
三月
右之通被 仰渡候間、写遣之候、可被得其意候、以上
三月十七日 佐々井半十郎(印)
房川渡
中田
御関所
番人中

乱心女通行につき証文

―島田家文書 No.202-41―

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一、乱心女壱人乗物ニ而従下総国古河三河国岡崎江
差遣申候、右は松平周防守家来田原弥太夫と
申者之姪ニ而御座候、房川渡中田御関所無滞
御通被成可被下候、為後日証文如件
松平周防守内
宝暦十三 年五月十七日西川兼右衛門(印)
房川渡
中田 御関所
御番衆中

手負百姓通行につき証文

―島田家文書 No.60―

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我等領内之百性手負壱人、従江戸
下野国那須迄指越候、其許御関所
無相違御通し可給候、為其仍如件
寛文九年酉二月十日 那須遠江守(印)
房川渡御関所
御番衆中

囚人通行につき証文

―島田家文書 No.76―

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囚人弐人目籠ニ而越後国蒲原郡水原村陣屋より江戸迄
差遣候条、御関所無相違相通可給候、右は御勘定奉行
曽我豊後守依差図如斯候、為後日仍如件
文政十二丑年二月十五日林金五郎(印)
中田房川渡
御関所
当番人中

首通行につき証文

―島田家文書 No.48―

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首弐つ下野之内片柳村へ
宿次御証文以差越之候
御番所無相違可被相通者也
四月四日 筧新兵衛(印)
くり橋
御番所

病死家来通行につき証文

―島田家文書 No.202-11―

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一札之事
夏目左近将監家来
後藤又左衛門
右は病身ニ付松前表より拙者差添、江戸
表へ罷越候途中ニ而病死仕候、御関所
無相違御通可被下候、若異変申者御坐候ハヽ、
私罷出申披可仕候、為念一札差出申候、以上
夏目左近将監内
文政四巳年山田文之介(印)
十月七日
房川渡
中田
御関所
御番衆中

漂着琉球人通行につき証文

―島田家文書 No.202-21―

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琉球人拾九人内俗拾八人房川渡中田
出家壱人
御関所無御相違被成御通可被下候、右之者共
松平陸奥守領内江漂着ニ付酒井雅楽頭様江
相窺御指図を以江戸江為相登候間、如斯御座候、
以上
松平陸奥守家来
延享二年六月十五日黒沢要人(花押)
後藤孫兵衛(花押)
大條監物(花押)
中田御関所
御番衆御中

日光門跡病気にて奥医師通行につき老中証文

―島田家文書 No.202-36―

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於日光日光御門跡御病気付而
多紀安長罷越候間、夜中ニ而も
断次第関所可相通者也
正月采女(印)
房川渡
中田
関所番中

南部美濃守内飛脚足軽通行につき証文

―島田家文書 No.37―

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美濃守内
飛脚足軽
石澤万蔵
四戸喜兵衛
右は今十六日奥州盛岡出立、
江戸屋鋪迄為差登申候、
御関所御通下候、以上
南部美濃守内
文久四年加嶋加録[印]
二月十六日

津軽越中守家来通行につき証文

―島田家文書 No.63―

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津軽越中守家来
上下
五月十六日立四人
江戸屋敷より奥州津軽迄
津軽越中守内
元治元甲子年五月平井修理(印)

百姓商用にて通行につき証文

―島田家文書 No.77―

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久世謙吉領分
野州都賀郡部屋村
百性
利兵衛
右之もの売用ニ付当廿日
国元出立ニ而幸手宿大のや
嘉兵衛殿罷越候間、何卒
御関所御通し被遊被成下候
様奉願上候、以上
右村
名主
元治元年周平(印)
子六月廿日組頭
忠助(印)
百性代
金右衛門(印)
御関所
御役人衆中様

町人商用にて通行につき証文

―島田家文書 No.78―

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奥州会津若松一之町
善蔵
右は為商用江戸小網丁壱丁目
会津産物会所江罷越申候間
無相違御通可被下候、以上
若松検断
簗田仙右衛門(印)
元治元子年五月五日
倉田作十郎(印)

関所廃止につき役所出仕願

―島田家文書 No.4-2―

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奉願候覚
私共儀
房川渡中田御関所番旧来相勤、武州栗橋宿ニおゐて居屋敷被下置在住
罷在候ニ付
御一新之折柄去辰年六月中、右御関所番引続被 仰付被下置候様
奉願候処、居屋敷共其侭被下願之通早速被 仰付、御給扶持等被下置
相勤罷在、難有仕合奉存候、然ルニ此度諸道関門廃止被 仰出候ニ付、此上
私共何向奉務仕度志願御座候得共、在住ニ而は可相勤様無御座、依而は
承御支配居候者ニ付、何卒出格之以 思召当御役所江被召出、相応之
御用向被 仰付被下候様仕度、依之此段奉願候、以上
二月加藤杢兵衛(印)
足立十太夫(印)
富田潤三(印)
島田耕平(印)
水 小相様