さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和59年10月26日

 
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大西 こういう日常の中にある、かかってきた電話などというものも歌になるのですね。だから、電話をかけるにしろ受けるにしろ、それはなかなか、歌の材料になるものだということをね、ここで知っておくとよろしいと思うんです。かかってきた電話、かけた電話、それぞれに歌の材料にはなる。それをうまく処理する。どうやってうまく処理するかということを考えていけば、いいわけだと思います。この場合は『化学室に勤むる子より徹夜する電話かかりて外灯を消す』。一本調子に詠んでいるけれども、その子どもと作者との関係とか、子どもが勤めている場所、しかもマージャンなんかで徹夜するわけじゃなくて、実験をするために、徹夜してきょうは帰れない、大変だなあと思いながら、待つことをやめて明かりを消したというお母さんの気持ちね、そんなものがよく出ていると思います。
 12番。『死に際の夫(つま)の握りし手の感触われの体に時に燃えおり』『死に際の夫の握りし手の感触われの体に時に燃えおり』。この方は、ご主人に亡くなられた方のようですね。死に際にご主人が握ってくれた手。その手の感触がいつまでも忘れられないで作者に残っているんですね。そして、『われの体に時に燃えおり』、夫に握られたその手の感触が、自分の体を時々熱くするような感じだと歌っているんですね。いずれ人間はどちらかが逝って、先の9番の歌ではないけれども、いずれかが先に亡くなる。そういう死の場面に握られた手、その記憶が今でも時々熱く体によみがえってくるという女の人の歌ですね。これなども哀れを誘う歌ですけれども。『われの体に時に燃えおり』というこの訴え方がね、女の人の肉体のね、ほめきというか、ほてりというか、そういうものを感じさせて、なかなかよくできている歌だと思います。『死に際の夫の握りし手の感触われの体に時に燃えおり』。
 13番。『戦の日夫(つま)が残せし三歳児かく長けて老いたるわれの手を引く』『戦の日夫が残せし三歳児かく長けて老いたるわれの手を引く』。戦争で、ご主人が出征して行ってしまって、二度と帰らなかった。そのときに3歳であった子どもも、40年過ぎましたから、いい男の子になった。こんなに大きくなって、自分の年取ってしまった手を引いてくれているというんですね。戦争の傷跡というものは40年たっても、なかなか消えるところではない。年を取ってうまく歩けなくなって、子どもに手を引かれるようになってしまった。その子どもは、思えば3歳のときに、夫を行かせて残された子どもだった。そういう戦争の痛みというものを、いまだに背負ってこの作者は生きているのでしょう。その子どもを自分の手で育て上げて、こんなに大きく立派に育って、私の手を引いてくれる、という歌なんですね。『戦の日夫が残せし三歳児かく長けて老いたるわれの手を引く』。手を引かれるほどに老いてしまった作者、残っている戦争の痛み、夫の思い出、さまざまに歌われている一首だと思います。
 14番。『父の日はいつも田植えのさなかにて代かく夫(つま)を遠く見ており』『父の日はいつも田植えのさなかにて』、もなかにて、と読むのかもしれない。『もなかにて代かく夫を遠く見ており』。農業の生活ですね。父の日というのがあるけれども、その父の日はいつも、百姓をしている自分たちにとっては、田植えの真っ最中なんだ。だから、父の日だっていってのんびりお父さんを、ご主人を祝ってあげることなんかできやしない。代かきをしている夫を遠くから見ていて、きょうは父の日なんだがなあと思っているというね、お百姓さんの一家の様子なんですね。どうして父の日っていうの、こんな時期に選んだんだろう、田植えで忙しい最中で、祝ってもあげられないじゃないか、のんびりもさせてあげられないじゃないかと思いながら、『代かく夫を遠く見ており』、この表現がいいんですね。『代かく夫を遠く見ており』。ああきょうは父の日だ、という思いが奥さんである作者には湧いてくるわけですね。そんな歌。
 15番。『バイオリン弾く人の目が青ければわが混血の孫を悲しむ』『バイオリン弾く人の目が青ければわが混血の孫を悲しむ』。音楽会かテレビか分かりませんが、バイオリンを弾いている人の目が青かった。外人だったんでしょうかね、それとも混血児だったんでしょうかね、バイオリニストの目が青かった。それを見ていて、ああ私の孫も混血児だなあ思っているんですね。こういう混血児というようなものは、戦前はあまり見なかった社会現象だと思いますが、今は国際結婚がどんどん多くなって、混血児というのも白い目で見られることはなくなって、それはとてもいいことなんですけれども、それだけに、悲劇が多いことも事実だと思いますけれども。この『わが混血の孫を悲しむ』ということで、横浜のマスタニさんというのでしょうか、この人は自分に混血児の孫がいることを思わずにいられなかったんですね。その子の未来、将来の運命というようなことまで含めて、バイオリンの弾き手の人の目が青かったことから、自分の混血児の孫のことを思っている。そういう歌で、この歌なども、何か現代っていうようなものを象徴しているような歌だと思いますね。『バイオリン弾く人の目が青ければわが混血の孫を悲しむ』。
 16番。『独居ゆえ鍋のいずれも小さしと言われもすらん死にたる後に』『独居ゆえ鍋のいずれも小さしと言われもすらん死にたる後に』。今、独居老人というのが増えております。私も独居老人の1人なんですけれども。1人で住んでいると、お鍋がみんな小さいのね。大きなお鍋は棚にしまってしまって、小さいお鍋を買って、私も使っておりますが、死んだ後ね、この人は1人で暮らしてたから、みんなお鍋が小さいなあって言われるだろう。『言われもすらん』、言われたりもするだろうな、死んだ後で、と言って、だんだん年取っていきながら、死んだ後の、何を言われるか考えているんですね。私は死んだ後に本がいっぱいあって困ったなあって言われるだろうと思っているんですが。本だらけの家に住んでおりますが、『言われもすらん死にたる後に』。本の好きな人だったから本ばかり多いと『言われもすらん死にたる後に』と私は歌うところですが。この作者は小さいお鍋を使いながら多分、お炊事をしているのでしょうね。そして思った。一人住まいだったから、どの鍋も小さいなあと死んだ後で言われたりもするんだろうなあと、しみじみと自分の独居、独り居ということをはかなんでいる歌なんですね。『独居ゆえ鍋のいずれも小さしと言われもすらん死にたる後に』。
 17番。『髪すけばカールの抜け毛ぱらぱらと落ちてカルメンの情熱も失す』『髪すけばカールの抜け毛ぱらぱらと落ちてカルメンの情熱も失す』。このヤナギサワさんていう人は、大宮の短歌会のメンバーで、埼玉県の庄和町に住んでいる人ですが、年はそうですね、54、5かなあ、の奥さまですけれども。髪をすいていると、カールをした抜け毛がぱらぱらと落ちて、何となく人生の秋を感じさせる。昔は私だって情熱的で、カルメンのような情熱だって持っていたんだけれども、何となく今は年とってしまって、カルメンのような情熱も失せてしまったなあと思った、という歌なんですね。
 作者が言いたいところは、カルメンのような情熱も失せてしまった、ということを言いたいわけだけれども、その上の句に何を持ってくるかということで、それがリアルになるか、抜け殻になるかの境目なんですね。それが、髪をすいたらカールの抜け毛っていうので、パーマネントをかけて縮れた毛がぱらぱらと落ちた。そのことで人生の秋というようなものを感じて、そうして、『カルメンの情熱も失す』と持ってきたから、この歌がよくて、これは2人の選者に取られていた歌でしたけれども。『カルメンの情熱も失す』という言葉をうまく生かして、だんだん人生の秋を迎えようとしている感じを上の句に出した。『髪すけばカールの抜け毛ぱらぱらと落ちてカルメンの情熱も失す』、というような歌が入選しているんですね。
 こういう歌が朝日の全国短歌大会の中から拾えた歌なんですけれども、いろんな社会のこと、そして身辺のこと、いろいろによく観察をして、そして世界を広げていけば、自分の抜け毛がぱらぱら落ちることなんか毎朝のことですけれども、それがなかなか歌にならない。それを歌にするのにどうするかというようなことをね、考えていくと、私たちの歌っていうのは、そんなにスランプに陥らないでやっていかれるのではないかなあと思って、この歌を抜いたわけです。
 何かここで質問ございますでしょうか。
 
A- 先生。短歌の場合にね、文字、例えば「待合室」と書いた場合に、それを「ベンチ」なんて仮名振って読むようなことは許されないんですか。
 
大西 「待合室」と書いて「ベンチ」と読むの。
 
A- ええ、読みたいときがもし来ましたら。
 
大西 やっぱり待合室のベンチって言わないと、公園にもベンチがあるしね。やっぱり、ふさわしい・・・。
 
A- それが上に付くことがあって、ベンチと言おうか、待合室と言おうかって考えることがあるんですよね。
 
大西 「待合室」を「ベンチ」とは読まないでしょうね。無理でしょうね。
 
A- やっぱり待合室で。
 
大西 待合室は待合室・・・。
 
A- 日赤なんかの場合に使おうと思う場合は、待合室のほうがいいですか。
 
大西 やっぱり日赤の待合室って言わなければ、状況が分からないでしょうね。
 
A- そうですか。
 
大西 ベンチっていうのは腰かけのことだからね。待合室っていうのはルームのことだから、ルームだからやっぱり「ルーム」ってしかルビは振れない、振るとしてもね。「待合室」に「ベンチ」は無理だ。
 
A- そうですか。それでもし、例えば、お花の先生なんかの場合に、ちょっとこう、飾るわけではないけど詠む場合に、お花の先生って言えばそれで分かるけど、花の君とかなんとかっていうふうな詠み方はできないもんなんですか。
 
大西 生け花のお師匠さんを花の君と歌うの。駄目だなあ。
 
A- そうですか。
 
大西 花の君っていったら、美しい人という意味になってしまうからね。
 
A- 恋人なんかをやっぱり例えるわけですよね。
 
大西 そうですよ。花の君よりも・・・。
 
A- やっぱり、お花の先生・・・。
 
大西 やっぱり、生花の師匠と言わなければ。
 
A- そうですか、はい。
 
大西 それから何か。最後にもまた質問を受けますけれども、あれば。
 
B- 今の2番の、寒灯という言葉を使っていらっしゃって、感じはとてもよく分かるんですけれど、寒い日にともしびを傾けてっていう感じで分かるんですけど、寒灯っていうと一つの言葉のようになってしまうんですけど。
 
大西 2番の歌ね。
 
B- はい。
 
大西 この寒灯っていうので、ちょっとやっぱり選者の中でも議論がありました。いいところをお突きになりましたが、寒灯っていう、寒いときの火ともしということで、俳句の季題なのね、寒灯っていうのはね。俳句の季語にあるわけ。寒灯ともして何とかなんとかでっていう、よく俳句に使う季語なわけなので、それをここに持ってきたことが果たしていいかどうかという議論はありましたけれども、ここに寒灯がないとね、この歌、生きないのね。製図に明かりをかしげ合う、では少し気分が出ないかな。その寒さというか、季節というか、それが出ないから寒灯と、あえて作者はしたと思うんだけれども、それが俳句の季題だっていうことは問題になりましたね。その言葉に寄り掛かっているんじゃないかと。もし寒灯って言葉がなければ、この歌、そう点数が入らなかったんじゃないかというような議論も確かにありました、それは。これを取ってしまうと、この歌、ちょっとあっけらかんとしちゃう。
 それから、細石器というのも分かりづらい言葉ですね。細かい石器、石の器、石器時代の人が使ったさまざまなやすりとか、矢じりとか、そういうものなんだけれども、細石器っていうのがちょっと分かりづらい言葉かもしれない。ともかく、細かい仕事を一生懸命している、しかも寒い日だ、というようなことでこの一首が生きるんでしょうね。
 他にございませんか。
 この秀歌の中からきょう学ぶことは結局、視野を広げて社会的な目も持つということの大事さね。それから7番の歌のように、『自己触診している乳房暗がりに鬱々と栗の花においくる』といったような、コンポジションというのかな、構成する、何を持ってきてその歌を生かすか、というようなことを、工夫することも大事だというようなことを知りたい。
 それから13番の歌などでは、戦争というようなものが人間に与えた影響がどんなに大きかったか、それを私たちは歌い尽くしても尽くせないで死ぬんじゃないでしょうか。私の世代はちょうど、私よりも2、3年上の男の人、みんな戦争に行っちゃったんですね。そして、私たちの世代には独身者がとても多いんです。配偶者を求めようとしてもなかなか2、3歳上の人というのはいなかった。みんな戦争で死んじゃったんですよね。それで私たちの仲間に、富小路禎子さんとか、北沢郁子さんとかいますけれども、独身でいます。別に結婚したくなかったわけじゃなく、相手に恵まれなかったという、そういう時代のひずみというようなものをね、一生しょって生きている世代が女のほうにもあると。
 それから男の人は、戦争に行って青春をむなしくしたという痛みもあるでしょうし、戦争で傷を負って帰ってきた負傷兵もいっぱいいると思う。そういう戦争の傷跡を多かれ少なかれ私たち以上の世代の人は持っていると。そういう思い出を大事にしながら、その歌の原点として持ちながら、繰り返し繰り返しやっぱり、その痛みを歌うことで平和を訴えていかなくちゃならないというようなことが、一人一人の責任でもあるのかもしれない。そういうようなことを13番の歌などで知りたいと思いますし、15番の歌などでは、これから社会情勢がどんどん変わっていって、国際結婚などが増えていくだろう、そういう時代に即応した歌の作り方をしていかないといけないんじゃないか。16番の歌を見ると、独居老人というようなことがどんどん社会問題になっていきますが、そういう生き方もやっぱりしっかりと畳んで歌っていきたいと思うし。
 
C- 先生、でもあの当時はね、それが当たり前なんだと。命などもう差し出すような気持ちでおりましたんで、現代のわれわれの常識で当時を振り返ることはもう、駄目なんですね。今で言えば、みんな駄目なんだよと。しかし、当時は、それは仕方ないと、当然だと、生まれた時からそのつもりで育てられましてね、そうやってきたんで、だからビンタ張られても仕方ないというふうな気持ちでおったからね。だから、果たして当時の気持ちで詠むべきか、現代の気持ちで詠むべきか、迷っちゃう。どっちなんでしょう。
 
大西 やっぱり・・・。
 
C- 現代の気持ちで、現代の常識、現代の観念で、当時を振り返って詠むっていうことは、無理じゃないかなっていう感じがしますけどね。
 
大西 だから、作者に残っている、作者自身の痛みがあれば歌うのであって、私などもね、戦争中に学校教育を受けましたから、学校の教員になったときに釜石市という鉄山の都に就職したんですね。そして、たちまち艦砲射撃に襲われる。で、生徒たち、私は1年生を担任していたので、生徒150人を連れて、その敵機がぐるぐる回ってる中を逃げたんです。その逃げたときに何を思ったかというと、私が1人死んで150人の生徒を救うことができるなら、死んでもいいと思いました。
 そんな時代を、生きてきていますからね、戦争中のいろんなことを知っているし、それから、釜石の港が全滅して、女学校の校庭が死体置き場になった。ある朝行ってみたら、校庭が死体だらけ。大きな焼き芋みたいなのがごろごろ転がっている。引き取り手もいない、みんな死んじゃってるんですから。そういう女学校に勤めていた思い出もあるし、戦争の痛みというものは一人一人違った形で生きていると思うんですね。それはやっぱりいつかは書かなくちゃならないと、私、思います。
 
C- 当時私、盛岡にいました。
 
大西 盛岡ですか。
 
C- ええ、盛岡で空襲に遭いました。
 
大西 それぞれの思い出っていうものは違うと思うんですよ。私もあの頃は、何か、万死に値する一死というようなことを教わっていましたからね、1人死んで150人が助かるなら、いつでも死ぬというような覚悟をしていた。そういう戦争の思い出、一人一人持っているんじゃないでしょうかね。子どもが助かるなら自分が死んでもいいとかね、そう一人一人が思って暮らしていた、そういう一人一人の体験というのを、やっぱり大事に歌いたい。
 
C- でもね、振り返るのも悲しい戦争の経験、持ってますけどね、むしろ、われわれみたいに年取りますとね、そんな昔を悲しんでるよりね、もっと派手な明るいことをやりたいなって感じしますね。(****アカルイコト@00:22:00)を考えてれば、こんな暗いことばっかしするべきではないですね。
 
大西 ああ。それは一人一人でいいんじゃ・・・。
 
C- やっぱり年のせいじゃないですかね。もう先は短いんだと。さっきもありましたね。そうしますとね、もっともっと明るいもので自分自身ね、励ましながら朗らかになったほうがいいなって感じしますね。
 
大西 それも一つの考え方でよろしいんじゃないですか、はい。ここで休憩取ります。
 
(雑談)
 
大西 それでは続きをまいります。この前は、1、3、5、7と奇数の歌をいたしましたので、きょうは偶数の番号の歌をいたします。
 2番。『歌詠みのすべも知らずに下手くその文字を並べて心満たせり』『歌詠みのすべも知らずに下手くその文字を並べて心満たせり』。この間もお話しいたしましたが、歌というのはともかく心ゆくまで自分の思いを歌うということが一番だと申しましたが、この歌は心満たせりと最後に言ってらしゃるから、歌を作ることで心を満たすことができるということを歌っていらっしゃいますね。で、今まで歌を習ったことがないので、すべも知らない、方法なども何も知らないけれども、文字を並べて心を満たしているという歌で、この作者が歌に生きがいを見つけているというか、歌うことで心を満足させているという、自分の心境を歌っていらっしゃるんですね。
 1番の歌で、誰にも見せまいと思う歌を作っている、という歌い方をしてらっしゃいましたが、そういう歌い方の第一歩というところを、この方が進んでいらっしゃるんだなあということが分かります。それを読んだ人がどう受け取るかっていうことは2番目の問題で、読んだ人がなるほどと思う、そういう歌をなるべく作りたいということを、この間お話しいたしましたが、この人は、心を満たすことでまず第一段階を踏んで、これから悩み多く歌を習っていらっしゃるんだろうなと思います。『歌詠みのすべも知らずに下手くその文字を並べて心満たせり』。
 4番。『ここまでは夫(つま)と登りき下り路の行く手は独りで決めねばならぬ』『ここまでは夫と登りき下り路の行く手は独りで決めねばならぬ』。ご主人と一緒にここまでは登ってきた。でも、下り道になったこれからは、自分で決めて生きていかなければならないと歌っていらっしゃいますが、もしかすると、3番の歌で、夫(つま)の最後とならん花と歌っていらしたから、ご主人が再起不能の病気なのか、それともいなくなられたか、どちらかして、ともかく今までは一緒に登ってこれた道だけれども、下り道になって、これからは自分で決めなければならないという、厳しい未来を歌っていらっしゃる歌だと思いますね。『ここまでは夫と登りき』。過去ですから、登ってこれた、登ったことであった。でも下り道になった。老いの坂という意味が、下り路にはあるでしょう。老いの坂道をこれからは独りで決めて生きていかなければならないのだと、自分で自分を決心させて励ましているような歌が、4番の歌であろうと思いますね。『ここまでは夫と登りき下り路の行く手は独りで決めねばならぬ』。老いの坂の下り道をしっかりと生きて独りで行こう、というような気持ちを表していらっしゃると思います。
 6番の歌。『彼岸の入り夫と歩む清澄の庭に優しく萩の花咲く』『彼岸の入り夫と歩む清澄の庭に優しく萩の花咲く』。清澄寺というのは、千葉県の日蓮宗のお寺でしょうか。せいちょうじ、などと言っておりますね。日蓮宗のお寺かもしれませんね。彼岸の入りでご主人と清澄のお寺に参った。そのお寺には優しくハギの花が咲いていました、という歌ですね。こういうふうに、行ったところの地名を詠み込んでおくということは、作者にとっては大変記念になることで、清澄の庭と歌って、その日清澄の寺に参ったことを長く記念する。作った人のメモリアルというのか、記念になる歌として、こういうふうに地名を詠み込んでおくのも一つの手段であろうと思います。
 地名を無理にはめ込もうとするとね、無理な歌になることもあるので、そのときは、清澄寺に参りて、というふうに詞書を付けてね、そしておいておくということが大事ですね。無理に地名を詠み込むと難しくなるから。特に外国へ行ったときそうなんですが、長い地名が多いでしょう。それを詠み込むともう、3句も4句も取ってしまって、さっぱり言えないことがある。そういうときは、ミュンヘンを訪れて、とか、ジーグフリードの遺跡を訪ねて、とかいうふうに詞書をして、歌では要らないことを省いて歌っていくということも大事だと思いますが、この歌の場合は清澄っていうのがうまく入っていますね。『清澄の庭に優しく萩の花咲く』。初秋の気分で、ハギの花が咲いていて、優しい感じがしたのでしょう。それを作者もまた素直に歌っていらっしゃる歌だと思います。地名の詠み方を気を付けることね。無理だと思ったら詞書にして、括弧で書いてもいいし、清澄寺に参りて、というふうな詞書にしていく方法もあるということですね。そういうときに詞書が必要になる。前書きともいいますけれども、詞書を付ければいい。この歌の場合はこれで大丈夫ですね。
 それから8番。『つくし摘む土のぬくもり春四月花冷えの風ほほを撫でゆく』『つくし摘む土のぬくもり春四月花冷えの風ほほを撫でゆく』。摘み草の歌ですが、つくしを摘んでいると、土は何となく春のぬくもりを持っている。けれども風は何となく冷たくて、ああ花冷えだなと思うような風が吹いて、ほほを撫でていく、という歌なんですね。『つくし摘む土のぬくもり春四月花冷えの風ほほを撫でゆく』。その風が冷たくて、春と思えないような違和感があったのでしょう。そういう言葉を花冷えの風という言葉で表していて、土はもうぬくとい感じで春の気配なんだけれども、風は冷たいわと思って摘み草をしている場面。しっかりとまとめていますね。
 それから10番。『媒介の蝶も来ずして四階のベランダの花小さき種もつ』『媒介の蝶も来ずして四階のベランダの花小さき種もつ』。4階に・・・。
 
―― 風かな。
 
―― 風だ。
 
大西 花冷えの風かな。ちょうどいいところで風が吹いた。
 マンションのようなところに住んでいらっしゃる作者なのでしょうか。4階のベランダに花を培っていらっしゃる。4階だから、なかなか、虫媒花、虫によって仲立ちされる、そういうお花なのかもしれないけれども、媒介してくれるチョウチョウも飛んで来ない。