さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和59年10月19日

 
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大西 ・・・『母と姉をかばいつつ長男のいまだ幼顔残すが悲し』、残れる悲し。『泣く母と姉をかばいつつ長男のいまだ幼顔残れる悲し』。長男のって言ったんで、男の子だってこと分かるけれども、『喪主なれの』とでもしましょうか、喪主。で、長男だって分かるかな。『喪主なれのいまだ幼顔残すが悲し』。残れる悲し、とかなんかしないと、この一首だけで、結局ね、歌って次の歌読めばお分かりでしょうってことはできないんですね。一首一首の勝負ですから、亡くなったことや、残された家族の様子や、いろいろ一首の中で言おうとするのはなかなか困難なことですので、何をおもに言うかっていうふうに、お花を生けるときでも要らない枝をカットしていくでしょう。そして、残したい枝を生けますね。お花と同じところがあるんですけれども、何を省略してカットしていくか。何を残して歌うか。その残した焦点を中心にして、一首がきっかりと独立していなければいけない。そういう原則があるわけですね。そんなことを考えて、『泣く母と姉をかばいつつ喪主なれのいまだ幼顔残すが悲し』とでもして、取りあえずここは置いといて、後、作者のほうでまた推敲していただくということで。推敲ということは、押したりたたいたりするという言葉ですので、押してつぶしてみたり、たたいて伸ばしてみたりしながらね、歌を作っていくことが推敲でございます。
 27番。『梅雨しとど悲し秋草咲き初めりなつめ実結ぶ朝な朝なに』『梅雨しとど悲し秋草咲き初めりなつめ実結ぶ朝な朝なに』。毎朝、秋になって、梅雨がしとどにぬれて、秋の花が咲き初めた。なつめは朝々実を結んで、次々に実っていくという歌なんですが、『梅雨しとど悲し秋花咲き初めり』。この「り」という字はね、四段活用にしかつながらないので、咲き初めりとは言えないの。だったらどうする? 咲き初め。
 
(複数音声かぶさり起こし不可)
 
A- 咲き初めてって言ったらどうなんかな。
 
大西 咲き初めて。それから、そこで止めるとしたら? 咲き初め。
 
(複数音声かぶさり起こし不可)
 
大西 咲き初めぬ。「ぬ」という言葉もあるわね。『梅雨しとど悲し秋花咲き初めぬ』。または「て」。咲き初めて。なつめ「は」と入れましょうか。『なつめは実結ぶ朝な朝なに』。『梅雨しとど悲し秋花咲き初めぬ』、咲き初めて。『なつめは実結ぶ朝な朝なに』。秋になって充実のときを迎えていようとしているお庭の様子ですね。『梅雨しとど悲し秋花咲き初めてなつめは実結ぶ朝な朝なに』。秋のお庭の様子。
 29番。『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々も遠く去りゆく』『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々も遠く去りゆく』。1人年を取って残されてしまって、生きる望みも消え失せるほどだったけれども、今では落ち着いてきた。そして、悩んでいた日々も遠くなって、今は少し落ち着いて、寂しいけれど落ち着いて暮らしているなという歌なんですね。『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々も遠く去りゆく』。今では少しは落ち着いたわという感情を歌っているのでしょう。
 そこで、この歌で問題があるとすれば、「も」という助詞が二つあること。『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々も』。ね。気にすればなるでしょう、「も」が二つあること。どっちかが消せるかな。
 
A- 日々は、と(####@00:05:39)、「は」じゃおかしいですか。『悩みし日々は遠く去りゆく』。日々は、ではおかしいかな。
 
大西 日々の、日々は。
 
A- おかしいかな。
 
大西 『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々の』。
 
A- 日々の、か、日々は、か。
 
大西 日々は遠く去りゆく。
 
A- 「は」、じゃ。
 
大西 そうするか。それとも悩みし日々も遠く去りゆくのほうを残すとして、上の「も」を取る方法はどうかな。
 
A- 生くる望み、生くる望みも。
 
大西 生くる望みも、の。
 
(複数音声かぶさり起こし不可)
 
大西 生きる望みもなくなったわっていうと、「も」もほしいところだね。
 
B- そういうことですね。「は」とかなんとかね。
 
大西 『老い独り生くる望みも消え失せて悩みし日々も』、いいか、しょうがないかな。そういうところをね、ノートにくしゃくしゃっと書いておいたときには分からないの。でも、こうやってきれいに印刷してもらうと、「も」が二つあるってことになるわけなので、歌を作るとき、なるべくきれいにお清書して、そして眺めると、よく分かってくるんですね。「も」が二つあった。
 それからもう一つ、きれいに書いてみることと同時に、口の中で何度も詠んでみることですね。できれば声を出して詠みたいんだけれども、お母ちゃん何か変だぞなんて言われるのも困るので、誰もいないようなときを見計らって、声を出して詠んでみると、調子が悪いところに気が付いたりするんです。だから、きれいに書いてみることと、口に出して詠んでみること。それが歌の推敲には大事だと思います。
 もし、私が夕べ考えていて、上のほうで、『老い独り生きゆく望み』とするといいかな。『生きゆく望み消え失せて』とすると、「も」が消えるし、『老い独り生きゆく望み消え失せて』とすると、「の」も「も」も要らなくなってね、いいかなと思ったりしました。『老い独り生きゆく望み消え失せて悩みし日々も遠く去りゆく』のほうがいいでしょうかね。そんな感じね。いろいろいじくってみると、また出てくるんですね。
 
C- (####@00:08:34)。これ私なんですけど、この次うかがえるかどうか分からないので、次の一首(####@00:08:42)。
 
大西 はい。30番。『六十年を過ぎて二度目の初出勤爽やかにして心ときめく』『六十年を過ぎて二度目の初出勤爽やかにして心ときめく』。再就職したのですね。
 
C- それで今、この間からちょっと反省してるんですけどね、自分は60歳のつもりで書いて、これはむそとせと詠もうと思ったんですけど、実際には60歳を過ぎてからということで、はっきり60歳を過ぎてと書いたほうがいいかなと。
 
大西 そうですよ、そうです、60歳のほうがいいです。『六十歳を過ぎて二度目の初出勤爽やかにして心ときめく』。再就職したけれども、それも爽やかにして、そして爽やかに初出勤できたということですね。そのときに、むそとせなんてもう言わないの。60歳は60歳でよろし。
 
C- のほうがいいわけですね。
 
大西 なるべく現代の言葉に近づけないとね、こうして詠めば分かるけれども、今度これを伏せて、むそとせもなんて言われてもなんのことかむそむそして、分からなくなるでしょ。だから、耳で聞いても、字で読んでも分かりやすく、60歳は60歳でよろしいですよ。『六十歳を過ぎて二度目の初出勤爽やかにして心ときめく』。再就職をした歌ですね。よろしいですよ。
 31番。『塩原のいで湯の里の水引草狭庭になつき赤き花咲く』。塩原の温泉街、温泉の山から水引草を移してきた。それが私の狭い庭にもなついて、赤く花を咲かせたという歌なんですね。『塩原のいで湯の里の水引草狭庭になつき赤き花咲く』。狭庭になついたっていうんでもいいけれども、なつくというと人間の気持ちのようでしょう、人間の気持ち。植物だったらなんだろう。根付く。
 
A- 根付くですよね、やっぱりね。狭庭に根付きです。
 
大西 『狭庭に根付き赤き花咲く』。根付くだと植物のことになるでしょう。『塩原のいで湯の里の水引草狭庭に根付き赤き花咲く』。根付きのほうがふさわしいようですね。
 
A- ぴったりですね。
 
大西 優しい歌ね。それから33番。『朝ごとに楽しく歩く垣根越し花美しく空気おいしく』。老後のお散歩でしょうか。朝々に楽しく散歩していくと、垣根越しに花が咲いて美しいし、空気もおいしい。秋の、朝のお散歩ですね。『朝ごとに楽しく歩く垣根越し花美しく空気おいしく』。楽しそうに散歩をしておられる。ここらあたりから歌が始まっていくのですね。
 それから、35番。『雪は緋々と真横に降りて軽井沢辺りの木々は踊りてやまず』。『雪は緋々と』、この緋っていう字は、赤いっていう字ね。赤いんじゃないだろうな。霏々と降るというんだから、あめかんむりにあらずを書くんですね。雪は霏々と降る。あめかんむりにあらずを書いて霏々。雪は霏々として、しんしんと降って、真横に降っている。そして、軽井沢の辺りに来ると、木に降る雪はまるで踊っているように、真横に流れてるっていう歌ですね。『雪は霏々と真横に降りて軽井沢辺りの木々は踊りてやまず』。汽車で今、軽井沢を越えようとしているのでしょう。窓から見る雪の様子。真横に降って、軽井沢の辺りを過ぎる頃、木に踊るように雪が降っている。『雪は霏々と真横に降りて軽井沢辺りの木々は踊りてやまず』。しっかり見ていますね。
 37番。『風もなく夜の帳(とばり)のただ中にむくげは白く匂い咲きいる』『風もなく夜の帳のただ中にむくげは白く匂い咲きいる』。風もない夜、静かな秋の夜、夜の帳は緞帳とか、幕とかスクリーンとか、カーテンのようなもの、帳ですね。風もない夜の帳の中で、夜の闇がすっぽりと降りたそのただ中で、むくげだけが白々と匂って咲いていますという歌ですね。『風もなく夜の帳のただ中に』、ただ中、真っ最中、真っただ中に、むくげの花が白く匂って咲いていますっていう歌ですね。ムクゲはさっき言ったように、万葉集のアサガオになぞらえられた花なんですね。夜でも白く匂って咲いているということですね。これもしっかり歌えていて。39番。
 
A- 先生、これ私なんですけど、私この(####@00:14:40)分かりませんので、38番もお願いできますか。
 
大西 はい。『子らと過ぎ半年を経て』でしょうね。
 
A- へて。へて?
 
大西 経て。いとへんに、経という字を書く。『子らと過ぎ半年を経てようやくに孫が慣れしかわが膝に乗る』。気持ちがよく出ている歌だと思います。同居するようになって半年を経て、たって、ということだから、半年がたって、ようやく孫が慣れてきたのか、わが膝に乗ってくるようになった。家族みんなで仲良くできるようになったっていう。
 
A- 自分もその通りなんですよね。子どもも、孫も慣れてきてるけど、私自身も慣れて、自分の気持ちもここに歌いこんである、自分ではね。
 
大西 分かるでしょ、それは。お孫さんを代表させて歌っているわけですね。『孫と過ぎ半年を経て』、経てですよ。ようやくに。孫も、とすれば他の人のことも出てくるかもしれない。誰も慣れたし、孫も慣れた。自分も慣れたし、家族も慣れた。孫も、とすれば、他の人も出てくるかもしれない。そういうときに、「も」という言葉は割合に大きな働きをするのね。『子らと過ぎ半年をようやくに孫も慣れしかわが膝に乗る』。いいじゃない、苦労して半年はみんな大変だったけども、ようやくみんな慣れてきた。孫も慣れてきた。みんなも慣れてきた。そういうときの「も」が大事なんですね。『孫も慣れしかわが膝に乗る』。
 39番。『懐かしき恩師の便り着にけり』。着きが要りますよ、着き、送り仮名。着きにけり。でないと、ちゃくにけりと読まれちゃう。『懐かしき恩師の便り着きにけり暗記するまで読みふけりたり』『懐かしき恩師の便り着きにけり暗記するまで読みふけりたり』。しっくりと歌われていて、懐かしい恩師からのお手紙が着いたので、一生懸命読んでいたら暗記するほどになっちゃった。繰り返し、繰り返し読んでいたら、暗記するほど読みふけってしまったという、いかにも懐かしくてうれしい作者の気持ちが出ていると思います。
 41番。
 
B- すいません、40番お願いいたします。
 
大西 はい。『見下ろして一面に見ゆる海の火葬なぜか悲しき過疎の山道』。疎の字は右の端のりっとうが要らないね。りっとうが要らない。『見下ろして一面に見ゆる海の火葬なぜか悲しき過疎の山道』。見下ろすと一面に海が見えていて、海の火葬ってなんですか。
 
B- 海に面した火葬場だったんですが。火葬場が海の近くなんで。
 
大西 火葬っていうのは火葬場のことじゃないでしょう? 火葬っていうのはお葬式。だったら、火葬場と入れなければ。火葬場か火葬所か。『見下ろして一面に見ゆる海の火葬所』、火葬場。
 
(音質不良にて起こし不可)
 
大西 過疎の山道にその火葬場が海に面しているのを見ると、悲しく思われるという歌ですね。『見下ろして一面に見ゆる海の火葬』。山萩咲き乱れっていうのはなんですか。
 
B- 過疎の山道と最初したんですね。それよりも、山萩咲き乱れて、一見してみると山のほうに上がってくると、海に面したとこなんですが、火葬場があるんですけど、そこには山萩だけが咲き乱れて、見る人もいないっていう寂しいあれを歌いたかったんですけど、山萩咲き乱れのほうがいいかしら、と思ってね。
 
大西 それはね、片方には海が一面に見えていてね、そして山のほうには山萩が乱れているなんてちょっと欲張りね。やっぱり、どっちかしか言えないんだよね。どっちかしか言えない。歌にはそれぞれ限界があってね、あれもこれもって歌うわけにはいかないかな。ピカソの絵だと向こう向いた人もこっち向いた人も同じ顔になってあるけれども、ああいう方式はなかなか歌では難しいのね。一方を見れば一方は見えないことになるわけだ。だから、そういうところはやむを得ないから諦めるの。『なぜか悲しき過疎の山道』のほうがいいんじゃないですか。
 ここは、見下ろしてっていうのは、見下ろしてっていうのも要らないかもしれないね。『一面に海見ゆる丘の火葬場』とかさ、『一面に海見ゆる丘の火葬場』。『一面に海見ゆる丘の火葬場なぜか悲しき過疎の山道』。『一面に海見ゆる丘の火葬場なぜか悲しき過疎の山道』。火葬場だから、なぜかって言わないまでも、言わなくても悲しいんだけれども、まあこのままにしておいて。火葬場でお葬式に立ち会ったわけ?
 
B- はい。母が(####@00:21:10)。
 
大西 じゃあ、なぜかなんて言ってる場合じゃないね。だって、悲しみの原因があるわけだから、なぜかなんて言ってるひまないんだよね。だから、そのことを登っていたとか、何とかっていうことを表したほうがいいんじゃない。『過疎の山道登りて行けり』とかなんとかって言って、そういうふうにして、なぜかなんて言ってる場合じゃないようですね。
 『一面に海見ゆる丘の火葬場過疎の山道たどりて登る』とかね。そうすれば、火葬場に作者も行こうとしてることが分かるでしょう。『一面に海見ゆる丘の火葬場過疎の山道たどりて登る』。そのほうがいいんじゃない。ずっと気分が出るかもしれないね。そんなところね。何もかにもは言えない。でも、ある程度のことは言える。それが歌なんですね。何もかにも言おうとするとピカソの絵になってしまう。そういうような感じですね、よろしいですか。
 41番。『秋雨の音を聞きつつ騒がれし西部地震のテレビ見入るも』『秋雨の音を聞きつつ騒がれし西部地震のテレビ見入るも』。秋の雨がこちらは静かに降っているけれども、長野県西部地震のあの惨状はすさまじい。そのテレビを見ていたということですね。騒がれし、大騒ぎだったなあということを表しているのでしょうね。『秋雨の音を聞きつつ騒がれし西部地震のテレビ見入るも』。現地の恐ろしさは大変なことだけれども、こちらは秋の雨の静かな音を聞きながらテレビを見ているところですということですね。これはしっかりまとめてあって。
 それから、43番。『露結ぶ畑の茄子の残り花小鉢に張りし水に浮かべぬ』『露結ぶ畑の茄子の残り花小鉢に張りし水に浮かべぬ』。露を結んで咲いたナスの花。もう残り少なくなった花なんだけれども、その花はもう実らない花なのかもしれない。それを摘んできて、小さい鉢に水を張って浮かべてみたら、薄い紫色が美しかったというのですね。『露結ぶ畑の茄子の残り花小鉢に張りし水に浮かべぬ』。なかなか難しいところをしっかり歌えていて、よろしいと思いましたよ。
 それから、45番。『ゆくりなく彼岸花赤く燃え立つを幻のごと見る皇居の土手に』『ゆくりなく彼岸花赤く燃え立つを幻のごと見る皇居の土手に』。皇居の土手の彼岸花は美しいんで有名なんですね。ゆくりなく、思いがけなくマンジュシャゲが赤く燃え立って咲いているのを、幻のようだと思いながら見ておりました。皇居の土手に咲いていた彼岸花ですという歌ですね。『ゆくりなく彼岸花赤く燃え立つを幻のごと見る皇居の土手に』。『幻のごと見る』、ちょっと字余りだけれども、詠んでしまうと何でもないようですね。『ゆくりなく彼岸花赤く燃え立つを幻のごと見る皇居の土手に』。これは写実派の歌ですね。ただ、ゆくりなくっていうところで、ちょっと作者の感情が出ていると思う。思いがけないことですね。
 47番。『紫蘇の実をこぼるるほどに摘み取れば指先染まりて香り漂う』『紫蘇の実をこぼるるほどに摘み取れば指先染まりて香り漂う』。シソの実をあふれるほどにたくさん摘み取った。そうしていると、指先が緑色に染まって、周りにかぐわしいシソの香りが漂ったという歌ですね。季節感のあふれた歌。『紫蘇の実をこぼるるほどに摘み取れば指先染まりて香り漂う』。しっかりと季節を表して歌っておられますね。
 それから、49番。『新しき思い出加えいつもより十日遅れて木犀聞きぬ』『新しき思い出加えいつもより十日遅れて木犀聞きぬ』。モクセイ、いつもよりも、いつもの年よりも、10日も遅れて咲いたかしらと思う。そのモクセイの香りなんだけれども、新しい思い出も加わったような気がする。1年過ぎてまた今年、モクセイが咲いた。それを歌ってらっしゃるんですが、『木犀聞きぬ』というところね。聞くという言葉、音を聞くときにも使うけれども、匂いを嗅ぐときにも使うんですね。木犀嗅ぎぬと同じこと。匂いを嗅ぐという、口へんに、臭うという、臭気の臭という字を書く、嗅ぐという字がありますが、嗅ぎぬと同じこと。10日遅れてモクセイの香りを嗅ぎましたということですね。そのモクセイの香りも、去年のモクセイの香りとは違って、何か新しい思い出が加わった匂いのような気がするという歌ですね。それからこれは、木犀聞きぬ、考えて作っていらっしゃると。
 51番。『厚き毛の中に抱きて母犬は暑さいとわず乳含ませる』『厚き毛の中に抱きて母犬は暑さいとわず乳含ませる』。暑い夏なんだけれども、お母さん犬は暑さをいとうことなく、子どもにお乳を与えている、犬の様子なんですね。これは写実的な歌ですね。『厚き毛の中に抱きて母犬は暑さいとわず乳を』、乳含ませるっていうのは文語じゃありませんね。口語ですね。乳を含ますでいいんじゃないかな。『厚き毛の中に抱きて母犬は暑さいとわず乳を含ます』として文語的にまとめてみるという感じで、乳を含ます。せるだと口語になってしまいますね。
 さて、時間もありませんが、ここまでで質問があれば。
 
C- 先生、(####@00:29:06)、最後のところ。
 
大西 52番?
 
C- はい。
 
大西 『炎暑の日も稲田の雀追う寡婦の日焼けし顔や曲がる足腰』。よく見たね。『炎暑の日も稲田の雀追う寡婦の』、なんで寡婦なの? 知っている人?
 
C- はい。
 
大西 寡婦って言っちゃうのがいいかな? 『炎暑の日も稲田の雀追う寡婦の日焼けし顔や曲がる足腰』、ちょっとかわいそうになっちゃうね。日に焼けてるし、足腰は曲がってるし。ちょっと、ものを見るとき、少し優しい目で、見てあげてほしいですね、描くときに。腰が曲がっていても、足がびっこであってもね。優しい目で、冷酷に見ないで、優しい目で見てあげてほしい、歌ってほしいと思います。
 寡婦であって、日に焼けて真っ黒で、足腰が曲がってるっていうと、かわいそうじゃないかな、少し。だから、どうしたらいいか分かりませんけども、この場合のやもめの奥さんはかわいそうな感じだな。真っ黒けで足腰曲がってる。まあ、『炎暑の日も稲田の雀追う友の』ぐらいにして、寡婦も言いたいところだけども。そして、寡婦と自分との関係ね。寡婦の友、友の寡婦。それから、知っている人。突き放してやもめで、しかも日に焼けて、真っ黒で腰が曲がってるっていうと、救いようがないじゃない。だから、少し掬い上げるという・・・。