さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和58年10月21日

 
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大西 ・・・の青虫を、子どもたちの理科教育の教材だったのかな。子どもたちが小ちゃかった頃、その青虫を飼ったことがあったことを思い出したということですね。『靴底に青虫つぶす樹下にして子らと飼育せし昔立ち来る』。今は青虫をつぶして、殺してしまうけれども、昔は子どもたちも幼くて、この虫を飼っていたことがあったのだが、と。昔のことが、『立ち来る』は見えてくるという意味ですね、思い出されてくる、見えてくる。これは青虫に、ふっと昔のことを思い出したという歌で、子どもたちが小ちゃかった頃、青虫を飼ったりしたことがあったっけなあと、その頃が思い出されて懐かしいという歌ですね。面白いですね。青虫をつぶすという感触はあまりよくないけれども、子どもと飼った日のことを思い出した。いい歌です。
 46番。『語らいぬその西陣の緞帳は埼玉県の人物花を』『語らいぬその西陣の緞帳は埼玉県の人物花を』。意味分かる? 西陣織の緞帳があるのね。これはどこだろう、埼玉会館かどこかでしょうかね。その西陣織の緞帳は、埼玉県の人物や物事や埼玉の花などを語らっているのです、という歌なんですね。『語らいぬ』と最初にあるから分かりづらいんですけれども、緞帳にね、埼玉県のいろいろなものが織られているんじゃないかな。その緞帳が埼玉県の人や物や花を語らうように、今、目の前に見えているという歌なんですね。ちょっと理解しづらい、いきなり『語らいぬ』とあるからね。普通に言えば、その語らいぬが、語っているということだから、最後に来るわけ。その西陣織の緞帳の、緞帳は、埼玉県の人や物や花を語らっております。最後に来て、この歌の意味が成り立つわけですね。いきなり『語らいぬ』と来たから難しいんですけれども、まあこんな歌い方もあるのでしょう。西陣織の緞帳が、埼玉県の風物を見事に織り出している緞帳なんでしょうね。そんな緞帳を歌った歌です。
 『埼玉県の人物花を』、少しぶっきらぼうな感じもするけれども、人や物や花を全部言ってしまおうとしたから難しくなったのでね。もっと簡単に易しく歌おうとすれば、例えば埼玉の花だけをね、何の花なのかな? 埼玉の。
 
-- サクラソウ。
 
大西 サクラソウでしょうかね。サクラソウは浦和かな?
 
-- 浦和。
 
大西 ね。埼玉の花って何なんでしょうか。
 
-- サクラ。
 
大西 図書館の先生。埼玉の花。サクラソウは浦和の。
 
A- サクラソウじゃないんですか。
 
-- サクラソウは浦和。
 
A- 浦和と同じ。
 
-- 県はサクラじゃないかしら。
 
大西 サクラですか。県の木はケヤキだね。だけど花は何だろう。
 
-- 鳥はシラコバト。
 
大西 鳥はシラコバト?
 
-- 鳥はシラコバト。
 
大西 花は、私も図書館にいたんだけども覚えてなかった。何の花でしょうね。サクラソウ?
 
-- サクラソウじゃないですか。
 
大西 サクラソウでしょうかね?
 
-- 確かそうだと思って。
 
-- 埼玉の花。
 
-- どうして花っていって、普通の花使うんだろうかね。
 
大西 もっと美しく見せようとしたんじゃないかな。例えばサクラの花だったらば、サクラの花だけをね、その緞帳の中から抜き出して歌うとね、易しいし歌いやすくなるわけね。『西陣の緞帳にして埼玉の花の桜のいたく匂へり』とかね。何か抜き出して歌うほうが歌いやすい。全部を入れてしまおうとすると、事柄的になって、報告になってしまうでしょ。そうでなくて、その中で特に作者が心を打たれたのが、美しいなと思ったのが花だとしたら、『西陣の緞帳にして埼玉の花の桜のいたく匂へり』とかすれば、花だけが浮き立って緞帳から出てくるでしょ。そういう歌い方をしていくほうが、易しいかもしれない。さっきのタイの国へ行った歌があったけれども、全部のことを一首の中で言おうとすると、難しいし、報告になってしまって、報告の歌だと、あ、そうですかってことになっちゃうからね。その中で作者が一番心を打たれたものを抜き出してくる。そして他のものは匂わせて、余情として残すということが大事かもしれませんね。そんな気がします。西陣の緞帳から歌いだすほうがいいかもしれない。『語らいぬ』といきなり言われても、何を語るのさって感じになるからね。
 それから48番。『かすかなる望み抱きて庭に降り茂みにのぞく春蘭楽し』『かすかなる望み抱きて庭に降り茂みにのぞく春蘭楽し』。今年はシュンランが生えているかどうか、かすかな望みを抱いて庭に降り立って、茂みをのぞいたらシュンランがあって楽しいわ、という歌ですね。『かすかなる望み抱きて庭に降り茂みにのぞく春蘭楽し』。優しくシュンランの花が好きな作者がいるような感じです。『かすかなる望み抱きて庭に降り茂みにのぞく春蘭楽し』。いいですね。
 50番。『この辻で輪禍に子をば喪える人あるらしもガラス瓶の花』。『この辻で輪禍』、「か」という字は、この字書くかな。どうだろう。わざわいという字かな。
 
(無音)00:07:34~00:07:46
 
大西 輪禍、輪による禍い。自動車事故、自転車事故。車輪のあるもの、車によって禍いを受けた。それをきっと禍いと書くと思います。この四辻で自動車か自転車か、車の事故で子どもを喪った人があるらしい。ガラス瓶に花が供えてある、という歌ですね。『この辻で輪禍に子をば喪える人あるらしもガラス瓶の花』。ガラスの瓶に花を供えたりするのは、その親なんだろう。きっと子どもが事故で亡くなったんだわ、という歌ですね。よくこの頃体験することなんですけれども。
ガラス瓶の花とそのまま歌うかどうかは疑問のあるところね。確かに花瓶じゃもったいないから、ガラス瓶を持っていったのかもしれないけれども。牛乳瓶か何かの空き瓶に花を挿したのかもしれないし、その通りかもしれないけれども、『人あるらしも花供えあり』とかなんかしたほうが、優しいんじゃないかな。『この辻で輪禍に子をば喪える人あるらしも花供えあり』。花が供えてあると歌うほうが優しいかもしれないね。ガラス瓶だと、いかにもね、いらないものを持ってきて挿したようになっちゃうでしょ。『花供えあり』のほうが優しいかもしれない。『この辻で輪禍に子をば喪える人あるらしも花供えあり』、少し優しくなるね。
 それから52番。『うっすらと埃かぶりし滑り台孫の訪れしばし無きまま』『うっすらと埃かぶりし滑り台孫の訪れしばし無きまま』。しょっちゅうお孫さんが来ていた頃は、滑り台が埃かぶることなんかなかったんですね。いつも使われていて、よかったんだけれども、今は孫も大きくなったのか、訪れることもしばらくない。遊びに来なくなってしまった。それで滑り台も埃をかぶっていてわびしいなという歌ですね。『うっすらと埃かぶりし滑り台孫の訪れしばし無きまま』。よく感じが、寂しい感じが出ている歌ですね。
 いろいろな歌がございましたが、質問はございますか。さっきも申しましたけれども、歌というのは間口が広くて、五七五七七と、日本人なら誰でも歌える形なんですけれども、奥行きが深くて、そして果てしもない道なんですね。私の師匠の木俣修という人は、私が入門したのが昭和24年だったんですが、その昭和24年、私はその頃、24、5のまだうら若い女性だったんですけれども、その私に向かって、木俣修は「これから歌をやるのか。歌はマラソンだよ」と教えたんですね。そして「そのマラソンは、走り続けなけれは勝てないんだよ」と教えたんです。「走り続けて、そして誰と競争するのでもない、自分自身と競争するんだよ。自分自身を競争相手にして続けるのがマラソン。それが歌のマラソンだよ。あんたにできるかね」と言いました。私は「体も丈夫だし、多分大丈夫だと思います」と答えましたけれども、その敵のいないマラソンということが大事だと思うんですね。誰かと競争して、先に着いたほうがマラソンは勝ちですけれども、歌のマラソンは自分自身が敵だということなんですね。自分でもう諦めてしまったり、諦めてがっかりして辞めてしまったり、そういう気持ちと絶えず戦いながら、自分自身を敵にして走り続けるマラソンが歌だと、師匠は教えました。「そのマラソンは、死んでひつぎのふたが覆われたときにやっと終わるマラソンなんだよ。一生続くんだよ」と教えました。
 その師匠が4月4日に亡くなった。そしてひつぎのふたが覆われたとき、私は、「ああ、先生のマラソンも終わったな」と思いました。本当に一生走り続けて、歌を作り続けたお師匠さん、木俣修という人も亡くなって、ひつぎのふたが覆われて、マラソンが終わったのです。終わりのないマラソン、自分自身を敵にして走り続けるマラソン。走り続けなければ届かない。そういうマラソンが歌なんだと教わったのですけども、その先生も亡くなって、1人でマラソンをまた続けることになるなと、私も思っております。そういう気の長いマラソンであるということ、覚えておかれるほうがいいかもしれない。短距離競争ではないのですね。一生かかって走り続けるマラソンが歌なのだと、先生が教えられ、私も今、そう思います。一生かかって少しずつ進歩していけば、きっと到達するのではないでしょうか。以上で終わります。ありがとうございました。
 
B- それでは2日間にわたりました短歌講座ですけれども、先生、どうもお忙しいところありがとうございました。本日担当のほうから向こうへ。すみません。
 
C- (####@00:14:10)熱心にご聴講ありがとうございました。先生にはどうも、遅い時間に来てどうもありがとうございました。後ろからですけど、お見受けしたところ、外国の方がここで (####@00:14:29)6年になると思うんですけど、それだけにベテランの方もいらっしゃるのでございますけれども、先ほど控えのときに、それでも呼び出して (####@00:14:44)方とはいうものの、また随分上達した方もいらっしゃるし、入門の方も、とは言わないけど、のような方もこの中にはあるようだというようなことを、お見受けたまわったわけでございますけれども。そういうことで、短歌講座ということでやってきましたけれども、その中でどんな方法があるかなと思いますけれども、ついつい先生にお任せっぱなしで、私もさぼってるわけでございますけれども。たまたま隣の奥さんに、別のさっきお話しながら、人が自分の、ちょうど先ほど先生のお話じゃないけども、自分の講評を欲する方と、短歌というんですか、文学論というんですか、その一般的なことをやるのがいいというような受講者も、両方に分かれるといって重要なことをおっしゃったわけですけども、それをたまたま隣の奥さんの友達の方が、実際謙遜されてると思うんですけども、一般的なのを聞きたいなというようなことを言われていたという話にちょっと触れたわけですけども。うちのほうも、去年も言ったかと思うんですけど、先生の短歌をずっといつまでも足を引っ張っておくわけにもいかないので、短期間というんですか、短時間にどんな方法がいいかということで、ぜひよろしかったら、皆さんのほうからこんなものを出していただければ、また先生のほうにもやっていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたしたいと思います。先ほどのぜひ、私のところではできませんけど、ああそうですかとはならないように、それぞれ詠んでいただければと思います。
 
大西 どうも失礼いたしました。
 
B- それでは、もしご希望があれば本日録音したやつをお貸ししますので、事務室のほうで。ちょっと時間をいただいて、整理してからお貸ししますので、お教えください。
 
(了)