さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和57年10月12日

 
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大西 ・・・『抜けていくなり』と直したんでしたね。
 それから、72番。『我が子今東南アジア目指し発つ愛機が南へ飛ぶにも似たり』『我が子今東南アジア目指し発つ愛機が南へ飛ぶにも似たり』。商社にでも勤めていらっしゃるお子さんなんでしょうか。私の子どもは今、東南アジアを目指して発とうとしております。その様子を見ると、自分の愛用の飛行機が南へ飛ぶ様子にも似ていますと歌って。東南アジアへ旅立っていく子どもさんを、励まして歌っている歌かな。『我が子今東南アジア目指し発つ愛機が南へ飛ぶにも似たり』。なかなか、元気よく歌っていらっしゃいますね。東南アジアというような危険な土地へ発っていく子どもさんなんですけれども、愚痴っぽくなくて、すっきりと歌っていらっしゃると思います。『我が子今東南アジア目指し発つ愛機が南へ飛ぶにも似たり』。愛用の飛行機が南へ飛ぶような感じで、その子どもが東南アジアへ発っていくのを見送ったというような意味だろうと思います。割合に大まかに、元気よく歌っていらっしゃると思いますね。
 それから、74番。『派手すぎかと思わるるシャツ買いおけば休日の朝の若返りし夫(つま)』『派手すぎかと思わるるシャツ買いおけば休日の朝の若返りし夫』。少し派手かしらと思ったシャツも、思いきって買っておいたら、休みの日にそのシャツを旦那さまが着たんですね。そしたら、若返ってとてもよく似合ったという歌ですね。『派手すぎかと思わるるシャツ買いおけば休日の朝の若返りし夫』。こんな場面もあっていいのでしょう。少し派手かしらと思うようなものも買っておくと、お休みの日などには、思いきって若返って、元気になったご主人を見ることができるんですね。これも奥さんの知恵でございましょう。
 それから、76番。『影膳の父に向かいて日ひと日食せざりしと聞く幼きわれは』『影膳の父に向かいて日一日食せざりしと聞く幼きわれは』。お父さんが出征、戦争にでも行かれたんでしょうかね。それで陰膳をすえて、お母さんは一日いっぱい、ものを食べなかったと、幼かった頃、私は聞きましたという歌ですかね。『影膳の父に向かいて日ひと日食せざりしと聞く幼きわれは』。戦争中の思い出かもしれませんね。この場合のかげという字は、これではありませんね。陰ながらの陰だから、陰という字。これは影法師の影でしょう。この陰を使わないと間違いですね。『陰膳の父に向かいて日ひと日』。お母さんは、陰膳のお父さんの写真にでもお膳をすえて、そして一日いっぱい向かい合っていて、お食事もしないでいたということを、幼かった頃、私は聞いて育ちましたという、そういう戦争中の思い出かもしれません。
 それから、78番。『歌会に伴いゆきし日のありき点字にて今も歌よむという』『歌会に伴いゆきし日のありき点字にて今も歌よむという』。この歌はいい歌だと思いましたね。友達のことを、歌の会に伴って一緒に行った日があったけれども、今のその人のことを聞いてみると、点字で、今も歌を詠んでいるということですというので、点字で歌を詠むっていうんですから、目の悪い方なんですね。目の悪い方、いつか歌会に一緒に行ったことがあったけれども、今もなお、点字で歌を詠んでいるということだと歌っていて、何も言ってないけれども、その相手の人が、目が悪い方だということが分かるようになっているんですね。こういうふうに、何も言ってないけれども分かる部分が多い歌が、趣がある、深みのある歌ということになると思います。そんな感じがいたします。
 ここまででしょうか。質問がありましたら、おっしゃっていただけますか。この歌のことでも、その他のことでもよろしゅうございます。どうぞ、ご自由に。
 
(無音)
 
大西 どうぞ。
 
A- 恥を忍びまして。65番の歌を作ったんですけれども。これが、鈴虫の鳴く声が重い心をなぐさめてくれたんではなくて、心が重いのに声がさえたために、かえって一晩中寝れなかったという苦しみを味わったんですけど、その証明ができなくてもどかしいんですけれども。どんなふうに、いつも返したらよろしいでしょうか。なぐさめられるはずの鈴虫の音も、そのときの気持ちによっては、かえってつらい場合もあるというようなことを表したいんですけども、表現ができないんですけども、この程度しか。
 
大西 私もこの間、コオロギがあんまり鳴いてね、眠れない夜がありましたね。そういうこと、あるんですけれども。そうであれば、鈴虫の透き通る声さえざえとなんて詳しく言わなくて、鈴虫の声を聞きつつ眠られずとかって、はっきりおっしゃってもいいんじゃないですか。
 
A- そうですか。そしたら、それでよろしいでしょうか。ことのある夜よというのは、この「よ」はおかしいですか。おしまいの「よ」は。
 
大西 そうですね。鈴虫の声を聞きつつ眠られず。
 
A- 夜という字を強調したかったのですが、夜よという詠嘆になるような表現、これを持ってきたんですけど、なんか夜が重なっちゃって(####@00:09:03)なったような気もするんです。
 
大西 夜をという言い方がありますね。夜を、夜通しという意味ですけれども、心に重きことのある夜をと。
 
A- 夜。
 
大西 「を」という言い方もございますね。『鈴虫の声を聞きつつ眠られず心に重きことのある夜を』。
 
A- どうもありがとうございます。
 
大西 それで、声を聞きつつで物足りなければ、『透き通る音にも眠られず』とか、いろいろな方法はあると思いますよ。『鈴虫の透き通る音にも眠られず』とか。いくらでも工夫できますけれども。眠られなかったら、眠られないと書いておしまいになってもいいんじゃありません? 回り遠くなくて。『鈴虫の透き通る音にも眠られず心に重きことのある夜を』と、こうしておけば大丈夫でしょう。
 
A- やっぱり、あまり抽象的になると分からなくなりますね。
 
大西 眠られなかったわけだから、そのことにポイントを、いっそ絞ってしまったほうが伝わりますね。結局、歌っていうのは、伝わらないとしょうがないんで。私が解釈したように、さえざえと聞きながら眠っていて、なぐさめられたと解釈されてはなんにもならないわけですね。だから、間違って解釈されない最小限度のくさびだけは打っておくということが必要ですからね。眠られなかったんだったら、眠られずとしておけば。
 
A- どうもありがとうございます。
 
大西 それから、ございましたら、何でも。
 
B- (####@00:10:53)。
 
大西 どうぞ。
 
B- 先ほど、6番の(####@00:11:00)稲の花、風媒花っておっしゃって(####@00:11:03)風媒花の媒は、媒介の媒ですか。
 
大西 風媒花?
 
B- (####@00:11:10)っておっしゃってなかった(####@00:11:12)。
 
-- 風媒花っていうのは、媒介の媒ですよね。
 
(無音)
 
大西 稲は風媒花でしょ。風が媒介する花。それから虫媒花っていうのは虫が、蜂だの蝶などが媒介する花が虫媒花ですね。稲などっていうのは風媒花でしょ。風によって実を結ぶんですね。多くの花は、虫媒花が多いんじゃないですか。虫が花粉を運んでくれる。それから今ですと、梨とか林檎とかは、みんな人工授粉しちゃうんですね。そんなこともございますけれど。
 
C- それから、もう一つよろしゅうございますか。私、49と50なんですけれども、今、文書くすべっていうのは、漢字で書きたかったんですけど術でよろしいんですか。文書くすべをっていうのは、算術の術でしょうか。それでよろしいんでしょうか。
 
大西 漢字で書くとすれば。
 
C- 漢字で書きたかったんですけど、分かんなかったんです。
 
大西 算術の術です。魔術の術。
 
C- それから一般的に、私、これ、自分の歌も自分に関連付けて(####@00:12:44)気がするんですけども、こういった詠み方でいいんでしょうかしら。なんか総論的なものになっちゃって。もうちょっと何か、何とかできないかなと、自分でいつも悩むんですけども。
 
大西 そうおっしゃられれば、そうなんですけども、例えば50番の歌、『夫(つま)もなく子もなき老いの独り居を文書くすべを知りて生きゆく』っていうと、これ私にも当てはまるの。
 
C- なんか、関連的に総論的になっちゃって、もっと。
 
大西 代わりに歌ってくださったって感じがしたんですけれども。本当に、こういう人は多いわけでね。その事情が、一人一人違うわけなんですね、結局。妻もなく子もなく、何とかもない、六無斎って、昔習いましたけれども。板木なしでしたか。金もなければ死にたくもなしって、六無斎がございましたけれども。そういうことをおっしゃられればそうなんですね。
 ところが、夫もなく子もなくて1人住んでいる、一人一人の事情はまた、ひどく違うわけなんですね。その違いみたいなものに触れていけば、歌がその人の歌になっていくわけで。おっしゃるとおり、総論って言われれば誰にでも当てはまる。この中にも他にもいらっしゃるかもしれない。このとおりだわって人がね。
 
C- いつまでたっても、その総論的から抜け出られないんです。それで悩んじゃうんですけど。
 
大西 ああ、そうですか。でも、そうすると、やっぱり身の回りをよく見回して歌っていらっしゃらないといけないんじゃないかな。身の回りから。私はよく、40何年も歌を作ってますと、しょっちゅうスランプに陥って、歌うこと、もうないやと思っちゃうんですね。そのとき、もう一回、身の回りを見回してね、机の上に何があるとかね、そこら辺を、身の回りから見回すようにしているんですけれども。
 昨日もちょうど四国から歌を作っている友達が、はるばると訪ねて、夜見えたんですけれども。私の部屋に入ってくるなり「工場みたいだ」って言いました。工場、本がいっぱい積んであってね。机の上には鉛筆が50本もさしてあってね。書こうと思ったとき、いつでもぱっと取れば、どの鉛筆もとがってないといやなんですね。そういう鉛筆を50本も立てていて、それで周り中、本だらけにして、くしゃくしゃにしている部屋を見て「工場みたい」って言われて、びっくりしましたね。自分のいる部屋が工場だなんて夢にも思ってない。立派な書斎だと思ってるわけなんですけどね。
 工場みたいだって、お人が見て思うっていうのは、結局、人といたく違った暮らしを私はしてるんだなって思いました。それで「床がもう崩れるから、2階には本を積むな」って言われるほど、本を積んで暮らしている。部屋を見れば工場みたい。印刷工場みたいです、そう言われてみれば。それで、あっと思ったんですけど。そんな特殊な暮らし方を1人で暮らしているわけなので、そういうことを描けば自分が出てくるわけですね。工場のような部屋で仕事している、寝起きしている。そういうことを描くことで、私が出てくるんじゃなかろうかと思うんですけれどもね。
 ただ、1人暮らして夫も子もないっていうと、たくさんいますんで、代表して作ったような感じになってしまうのね。だから、身の回りをよく見回してごらんなさい。そうすると、よその1人暮らしにはない何かがあるかもしれない。それから1人暮らしのお年寄りに、多分あるものが、私の所にはさらにないというものもあるかもしれない。だから、身の回りから見回してごらんになったらどうでしょうか。
 
C- どうもありがとうございます。
 
大西 そんな感じがいたしますけれども。そう言われて見るとそうですね、私のことでもある。他にございますでしょうか。
 
D- 32番の歌です。きょうはお見えになんないんで、もし時間があったら準備してって言われたんですけど、先ほど、先生「ユーモラスでよい」っておっしゃった歌ですけど、その作った方は一番始めに、無防備っていう、倒置に言葉を持ってきたことを(####@00:16:47)にしてらっしゃるようですけど、形は構わないんでしょうかってことを。
 
大西 無防備っていうのは面白いんじゃないんですか。
 
D- 漢字がいやに、すごい気になすってたようなんです。
 
大西 例えば、無防備にっていうことを言い換えれば、迂闊にてっていうようなことになると思う。迂闊で。うっかりしていて。迂闊にてかつらかぶらぬ。どっちがいいかってことですね。言い換えれば迂闊にてっていうことです。迂闊、うっかりしていて。
 
-- 無防備のほうが。
 
-- いいような気がするわね。
 
大西 『迂闊にてかつらかぶらぬ』。無防備のほうが面白いんじゃありませんかね。単刀直入でね。そういう面白さがあっていいんじゃないですか。言い換えるとすれば、迂闊にて、迂闊にもっていうことになりますね。そんなふうにしたのと、どっちがいいか。お孫さんが通るってうっかりしていて、かつらかぶらないでいちゃったというわけなんですね。迂闊にも、迂闊にて、そういうふうに訳したのと、無防備にっていうのと、どっちがいいかっていうと、皆さん、無防備のほうが面白いとおっしゃるから、そのほうが率直でいいんじゃないでしょうか。むしろ、新しさがあるんじゃないでしょうか。
 
D- ただ、見たときに、あの形見て、歌だったら、もっとやわらかく、こういう意味だと思って。
 
大西 じゃあ、その次だって、国鉄の、と来るわけだけれども。別に、やわらかい言葉とか、そういうこと関係なく率直でいいんです、今の歌は。古今集ではないから。古今調のときは、やわらかに、やわらかにと歌ったわけですけれども、今はいろんなふうに歌って構わないとおっしゃってください、どうぞ。それからございません? どうぞ。
 
E- 6番。
 
大西 6番の歌の作者?
 
E- (####@00:18:52)ときに、息子にちょっと聞きましたんです。どう(####@00:18:58)そうしましたら「びっしりとっていうのは、なんだかびっしりつまってるような感じだから、その言葉、変えたらいいんじゃないか」と言われましたんですけど。他に言葉が見つからなかったもんですから。そのまま書いてしまったんですけれど。
 
大西 でも、びっしりとってのは実感じゃないかな。それでいいんじゃないんですか。実感を大事にして。例えば、これをびっしりとっていうような、言い換えると、すき間なく、になるんですよね。すき間なく稲の花咲く。それより、びっしりとのほうがいいんじゃないかな。どうですか、皆さん。すき間なくっていうより、びっしりとのほうが実感がこもるでしょ。びっしりでいいって、皆さんもおっしゃってますよ。言い換えれば、すき間なくみたいになっちゃう。きれいにすればね。でも、そんなきれいごとにしなくてよろしいんですよ。実感をそのまま大事にして。他にございません? 何でもどうぞ。
 
F- 私、27と28番の作ったんですけれど、去年も先生の講座を受けたくて、うずうずしてたんですけど、どうしても歌が作れなくて去年は来れなかったんです。それで今年も作れなくて、受付に来たら、字足らずでも字余りでもいいので何でも作ってくればって、それで作ったんですけど。
 
大西 じゃあ、初めて作られた歌?
 
F- はい。
 
大西 じゃあ、うまいですよ。それにしては。
 
F- いえ。友達にも「1人で来るのいやだから」って言ったら「2つどうしても歌が作れないから、参加できない」って言ったんですよね。だから、先生の講座聞いて、次の日からでも歌ったみたいな人は、いっぱいいると思うんですよね。作って持ってくる人は、きっと時間で30人でも、あと、この教室に入れるぐらいの人を(####@00:20:58)みたい10人くらい必要なふうにできたらって、皆さん、もっと聞きたい方はいっぱいいるんですけど。
 
大西 結局、歌の2首っていうのが入場券になるわけですね。
 
F- それが、とても心に重く(####@00:21:15)。
 
大西 なるほどね。
 
F- 私、去年から来たかったんです。
 
大西 でも、歌、入場券がなかったわけね。入場券が歌なわけだね。
 
F- それで、受付のここの若い方が「何でもいいから」言うもんで、勇気を出して(####@00:21:30)作ったんですけどね。この2日間聞いてみて、とてもうれしく、いろんな知識を先生に授けてもらったような気がして、こんなにいいことなら他の方(####@00:21:42)。
 
大西 歌作らなくても済むなら、もっと来たい人がいるということです。
 
F- そうです。で、聞いてから作るようになる。
 
大西 なるほどね。27、28作ってよかったですよ。28番なんて、なかなかいいもの。『秋の日を背中に受けて白菜を間引きする手にとんぼ止まりぬ』なんて。素直に歌えてるでしょ。やっぱり作ってよかったんですよ。筋がいいですからね。大丈夫。
 
G- 私は昨年、入場券、2首できなくて、作ったことがないものですから、強引に、講座で先生のご講義受けたんですけど。それから初めて作った歌が66番で、さっき先生に褒めていただいた、孫にVサイン出すっていう、66、これ初めて作りまして。やっぱり、それをきっかけに、作り始まりまして。本屋のカルチャーセンターの本を、今回、先生のご指導いただきに行き始めたんですけども。ですから、作れなくても、やっぱりタイミングっていいますか、きっかけがありますとね、いつかやりたいって気持ちを何十年も持ってたんですけども、折がなかったところを、昨年はとうとう作れずじまいで、後ろのほうでこっそり座っておりましたですけど、本当にありがたかったと思ってます。このご講座。
 
大西 でも、人数が制限があるから、歌作らなくてもいいって言うと、困っちゃうのかな。館長さん。
 
H- いろいろ、この講座の持ち方なんかを、去年も言ったと思うんですけど。なかなか、それこそベテランの方から、五七五七七ってやる人と、いろいろいらっしゃるようですけども。うちの乏しい中で講座をやっていく中で、今の、デパートとか、新聞社とかがやってるカルチャーセンターとか、いろいろやってる、それだけにやるとなれば、短歌を幅深くとか、同じレベルとかを広くとかできるもんでしょうけども、つい、こっちが普通の図書館の一つの民間講座の一環としてやるもんですから、どうしても、どこに焦点を絞るかというのが、なかなかその辺が難しいもんで。今、横十人十色じゃないですけども、いろいろなもんですから、ついつい。
 すると、今の先生のおっしゃるように、ただ来てもらって、総論の聞き方、そんな人もいる代わりに、一番、ここでも何べんかずっと手をわずらわしてるわけですけども、始めの頃は作らないで、一般的なことだったんですけども、それが何べんかやってるうちには、同じ顔ぶれの人を見ると、やっぱりそればっか聞くより、自分でやって披露してもらいたいのも人情じゃなかろうかというようなことで、こんな状態に持ってきてるんで。今、そちらの方のことも頭にはありますけども、別のそんな機会もあれば、またやっていきたいと思っておりますけども。ぜひ皆さんの中でこんな方法が一番いいよというのがあったら、ぜひ、お知らせいただければ、そっちのほうもやっていこうと思ってるんですけど。今の段階では、せいぜい2日間ぐらいでやる中で、よく一般的に、あれもこれもと欲張ってる中じゃ、こんなのが今の段階で、方法、頭に浮かばないもんですから。ついつい、こんなことやってるんですけど。
 じゃあ、でも、何が今、若い職員がどう言ったか知らんけども、結果的にはできたんですけど、作らなけりゃ絶対入れさせないという、そこまではやってませんから、来てもらって「どうしても作られないので、私たち今回は作らないで、この次から作るから入れてください」ぐらいに言ってもらえば、そこまでは、そんな石頭なつもりはございませんので、一応、こんなガイドラインとして出したつもりでございますので。
 
G- それはいい、私の言い方が、私は、作れないから人数が足りなかったら入れてくださいっていうように来た。ふざけても字余りでも字足らずでも、それで勇気を得て作ってきたわけで。だから感謝してるってことを、今、言いたかったんで。
 
H- そうじゃなくて、他にも、ちょうど、私はたまたま勇気出したけど、他には、ちょっとっていう、書かないで。人もいらっしゃるかも分からないというようなことあったもんですからね。だから、身近な人が、なんかで、私は今回だけは、まず作るのはやめて、行きたいというのも、近辺の人におられるようだったら、そのときは、それでも構わないんじゃないかと思います。
 
G- 来たいという人はいっぱいいると思います。
 
大西 でも、作ってごらんになってよかったですよ。本当に。
 
G- おかげさまでした。
 
大西 あと、またお作りになれるもの。歌っていうのは、本当に誰にでも作れるもので、そして、免許皆伝ということのない文学なんですね。私のお師匠さま、木俣修っていう人ですけれども、北原白秋の一番弟子と言われているわけですね。その木俣先生が第一歌集を出すときに、本当にたたきたたかれて、ずいぶん厳しく教わって、第一歌集を出したということで。一番弟子でさえも、本当に北原白秋はしごいたらしいですね。そういうふうに、しごきにしごく文学であって、これでよしという免許皆伝はない勉強なんです。ただ死ぬときが終わるときで、終わりのない修行なんですけども。
 冗談に、私はよく人に言われるんですけれども、大西流短歌教室っていうのを作って、1級から10級まで、初段から奥伝までね、そのたびに何万円かずつ取れば、すごくはやって、大西流短歌1級とか、5級とか、そういうふうにすれば、うんと商売になるし、それから、励みにもなるって言われるのね。初級、3級とかって上がっていけば。そのようにして、「うんと金もうけて、蔵でも建てないかい」なんて笑われるんですけれども。そういう学問とか、そういう芸ではないんですね。本当に自分で納得して、昨日よりきょうの歌のほうが少しいいかしら、第一歌集より第二歌集のほうが、少しはましかしらと思いながら作っていく短歌でございましてね。これでよしというときは、おそらくない。
 で、前田夕暮という人などは、自分がもう、お年召してなくなるときに、自分の死んだあとのことを歌にしてるんですね。わが死に顔っていうような歌。死ぬまでともかく修行をして、最後に歌を作って死ぬというのが歌詠みの運命でございまして。これでよしということのない、それだけにもどかしゅうございます、いつまでたっても。
 何かの雑誌に入って、結社にいれば最初、社友っていう身になって入るんですね。で、5年ぐらいたつと、第二同人って言って少し会費が上がりましてね、活字が少し大きくなって、それから、10年ぐらいたちますと、同人っていうのになって、ますます活字が大きくなって、歌が今まで一つしか載らなかったのが、三つぐらい載るようになって、会費が倍ぐらいになってというようなんで、短歌の結社っていうのは、そういうふうになって上がっていくんです。社友、第一同人、第二同人ぐらいの三段階ぐらいしかございませんで。
 それで、大体5年もすると第二同人、10年すると第一同人になるんですけれども、第二同人の頃が、一番力が発揮できるんですね。それで、第一同人になりたくて必死に頑張ってるわけですからね。そして、第一同人になると、途端に歌が下手になっちゃう人がいるんです。もう大丈夫っていう。これ以上落ちないという。第一同人になれたわ、ということで安心しちゃうんですね。それで歌がたるんじゃう。だから、本当に自分だけが敵の文学なんですね。相手がいない。誰と追い越すとか追い越さないとかいうんじゃなくて。昨日よりきょう、きょうより明日と、自分を敵にして、自分と戦う文学なんだと思っております。
 だから今まで私は、7冊歌集を出しましたが、第一歌集よりも第二歌集がすぐれているとは、必ずしも言えなかった。ただ、30年ほどたったときに、やっと歌いたいことが思うように歌えるなと思うようになった。それまでに30年かかってるわけなんですね。今、45年たとうとしておりますけれども、今でもやっぱり、出来不出来がございます。あるときは、自分でも納得できる歌ができるし、あるときは「明日までに出せ」なんて言われて、大急ぎで作った歌なんていうのは、翌日新聞に載ったのを見るとがっかりするような歌を作っていたりしまして、本当に相手のない戦いを、自分自身に挑んで作り続けるのが歌でございまして、本当にこれで大丈夫ということのない、それだけに、どこまでも上り道なわけでして、もうこれでよしという頂上がないものだと思っております。
 ですから、その日その日の思いを、自分の足跡を刻むようなつもりで、家計簿や日記のはしにでも、その日の思いを書き付けておく、それが歌の根本だと思うんですね。そういうふうにして日々を、昨日よりきょう、きょうよりは明日と、心が新しくなるように心がけていく、それが歌の道なのではないかと思います。
 そして、長いこと作り続けていますと、例えば、人生の悲惨な目に遭うこともございました、私の場合。そのときに歌があって、歌を作ることによって乗り越えてこられることが、とても多かったと思います。歌があって、苦しいと歌えば、苦しみが少し安らぐことがあるんですね。「苦しい」と言っただけでも。例えば私ども、苦しいときに本当に「苦しい」と言い、それから、どこか痛いときに誰かに対して「とっても痛いの」って言っただけで、少し安らぐような気持ちがあるときがありますけれども。苦しい、悲しいと歌うことによって、誰にも迷惑掛けずに、自分で自分を超えていくようなところがございました。それを杖とし柱として、45年も歌を作り続けているわけですけれど。それが、歌というものであろうと思っております。よろしゅうございましょうか。どうも失礼いたしました。
 
H- それでは、5日と12日の2日間にわたりました、こちらの短歌講座を、これで終わりにいたします。どうも長時間にわたりご苦労さまでした。先生には、お忙しいところ大変ありがとうございました。
 
大西 どうも。
 
(了)