さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和56年6月10日

 
  別画面で音声が再生できます。
 
大西 ・・・り、台所に立って、大根を1006本に刻んだ、そういう厨歌がありますけれども。厨の歌を歌うときは、どうしてもありふれた形になってしまいやすいので、よく見てきっちりと描くことが大事ですね。これはそういうような意味で、よくできた歌だと思います。だから空豆なんかも、うかうかとゆでたりしませんように。よく、しっかりと眺めながら、厨仕事をしていただきたいと思います。うっかりしてると今度は手を切ったりいたしますから、気を付けながら包丁などを使ってください。
 それから、29番。『生きんためかわいいわが身を使うなり思わずもかな一つ世のため』『生きんためかわいいわが身を使うなり思わずもかな一つ世のため』。ちょっと意味が分からなかった。述志の歌なんですけれどもね。生きるがためには、かわいい愛する自分の身をも使って仕事にいそしんでいるのです。そこまで分かるよね、『生きんためかわいいわが身を使うなり』。誰でもそうしておりますからね、分かるんですけれども。『思わずもかな一つ世のため』。どういう意味でしょうね。
 
-- 思わずも・・・。
 
A- 慈善事業でもしてるのかもしれない。
 
大西 ああ、ボランティアか何かね。『思わずもがな』、点が振ってあれば『思わずもがな』、願望を表しますけどね。
 
B- 点が見えない・・・。
 
大西 かもしれませんね。『思わずもがな一つ世のため』、思わずにいたいっていうことになりますね、『思わずもがな一つ世のため』。何かそう言えば、ボランティア、慈善事業、そんなことに心尽くしている人のお歌でしょうか。志を述べる歌としたら、作者は分かっていらっしゃって、それで十分かもしれませんけれども、第三者にも、読む人に分からないという、少しもどかしさがありますね。『生きんためかわいいわが身を使うなり』、そこまでは分かる、誰でもそうしている。で、下の句で作者の固有のことを歌おうとしてらっしゃるんですよね。『思わずもがな一つ世のため』。作者は尽くそうとしている世界のことがあるのかもしれません。
 それから30番。『頬撫でし緑の風の冷たさよビルの谷間の憩いのひととき』『頬撫でし緑の風の冷たさよビルの谷間の憩いのひととき』。日の差しているところは大変穏やかで暖かい日でも、日陰に入ると冷たい風が吹く場所がありますね。そんな場面でしょうか。頬を撫でていく緑の風、若葉吹いてくる風も冷たく感じられる。ビルの谷間のようなところで、ビルとビルの間のようなところでしょうかね。ビルの谷間で休んでいますと、頬を撫でる緑の風が冷たく感じられます、と歌っています。ビルの谷間ってことは新しい言葉のようで、作者が気に入って使ってらっしゃるんだと思います。ビルの谷間、よく新しい歌に出てくる言葉です。
 それから31番。『野田の山捨てし鷺かも小雨降る水田に映る影もわびしき』『野田の山捨てし鷺かも小雨降る水田に映る影もわびしき』。野田の鷺山っていうのが廃れてしまって、今では鷺の群れを見ることができないと言われておりますけれども。その小雨の降る水田に、田んぼに、1羽だけ来て餌をあさっている鷺なのでしょうか。その鷺の影が水田に映っている。この鷺は野田の鷺山を捨ててきた鳥かもしれない。何となく、影がわびしく感じられるという歌ですね。『野田の山捨てし鷺かも小雨降る水田に映る影もわびしき』。取り残されて1羽だけいる鷺の様子を見て、作者自身のわびしさみたいなものをね、ちょっと投影させて歌っているのかもしれないと思います。わびしげな1羽いる鷺を歌っている歌です。しっかりと歌えていますね。
 それから32番。『薔薇垣の続く路地あり幼子は花びら追いて風に走れり』『薔薇垣の続く路地あり幼子は花びら追いて風に走れり』。これはバラの咲く、ちょうど今時分の明るい風景の歌でございまして、バラの垣根が続いている美しい優しい路地があるのでしょう。そこに遊んでいる幼い子どもが、花びらを追いかけるようにして、風の中で走っていたという歌で、なかなか風景として、絵になる風景を歌っていらっしゃると思います。
 『花びら追いて』って、ひらひらと上から舞ってくる花びらを追っかけているような感じに歌われていて、この花びらはバラの花びらではないのかな、というところになりますけれども、どうでしょうか、その感じ。バラの花ですと、追っかけて走るというようなことはあり得ますか。バラの垣根が続いていて花びらが散る、花びらを追っかけて子どもが走り。ちょっと何ていうのでしょうか、現実の世界よりも少し美化して歌っていらっしゃるようなところがあると思いますが。優しく美しく一首を仕立てていると思いました。丸しましょう。美しい歌。ちょっと現実離れしたところがあるかもしれません。
 『花びら追いて風に走れり』っていうようなときは、サクラの落花などによく使いますね。それからひらひら舞ってくる花びらだったらば、『花びら追いて風に走れり』っていうようなことがリアルな感じなんですけども。バラの花ですとちょっと低いでしょ。だから風に舞うというような感じでなくて。しかも花びらは、バラは重たいでしょ、花びら一枚一枚が。だからそのまま垂直に落ちる感じがするのですね。サクラの花びらですと、ひらひらと重さがなくて舞うような感じがするんですけども。そこら辺がちょっとリアルなところを超えた感じがいたしますけれども。場面が美しいです。
 それから、33番。『明日捨てる足踏みの古きオルガンを夫(つま)は夜更けにひそと弾きおり』『明日捨てる足踏みの古きオルガンを夫は夜更けにひそと弾きおり』。これはちょっと何ていうのかな、映画のシーンのような感じで、ロマンのある歌だと思います。丸をします。明日、ピアノでも買えたのかな、エレクトーンでも買っちゃったのかな。それで明日は捨てることになった足踏みの古いオルガン、そのオルガンを惜しんで、捨てることを惜しむような気持ちなのでしょう、思い出の深い、そのオルガンを夫が夜更けにひっそりと音を立てていたという歌です。オルガンっていうのは詩的な世界を運んでくる道具なんですね。オルガン、古くなって人の住まなくなった、子どものいなくなった古い校舎でオルガンの音が聞こえたとかいう歌がよくありますけれども。オルガンの音っていうのは何となく詩的な感じを呼び起こすものなんですね。
 それから、手風琴っていうものがありますでしょう。アコーディオンって言ってしまえば駄目なんですけれども。林芙美子に『手風琴と魚の町』っていう小説がありましたけども。手風琴とかオルガンとかいうのは、何となくこう、イメージを誘う言葉のものですね。『明日捨てる足踏みの古きオルガンを夫は夜更けにひそと弾きおり』。そういう夫の気持ちが作者、妻である作者にも分かるようなところが。何も言ってないけれども、やっぱり邪魔になって捨てるんだけれども、惜しいというような、思い出のあるオルガンだということが分かって、何となくロマンを感じさせる歌だと思います。夜中だからあんまり音を立てられなくて、緩やかに踏みながら弾いているのですね。
 それで、『明日捨てる』とありますね。『明日捨てる』。これは口語でございますが、『明日捨つる』というと何となく硬くなるでしょう。『明日捨てん』、のほうが軟らかいでしょうか。『明日捨つる』よりは、『明日捨てん』。そんなふうにしてもいいかと思います。でも、中身が新しいですから、明日捨てるでもそうは感じませんけれども、正しくは明日捨つる、または『明日捨てん足踏みの古きオルガン』っていうことになるかと思います。
 それから34番。『岡山は雨となりけり夜も更けて祭りばやしの遠く聞こゆる』『岡山は雨となりけり夜も更けて祭りばやしの遠く聞こゆる』。旅の歌ですけれども、旅先で雨になってしまう。旅先の雨っていうのは寂しいものですけれども。その雨の夜更け、どこかでお祭りがあるのか、遠くから祭りばやしの音が聞こえてきて、しみじみと旅愁が誘われたという歌で。これも丸をいたします。岡山の歌。
 旅先で、歌ができなくなると旅でもしようかしらって人がいるんですけども、旅の歌っていうのは美しく歌おうとすればするほど絵はがきのような歌になってしまって。湖水には船が浮かんでいたとかね、砂は白くて人が遊んでいたとかね、松は緑であったとかね、山が霞んでいたとかね。そういう絵はがきのような歌になってしまいがちなんですけれども。こういうふうに歌いますと、岡山の旅の歌が生きてくるのではないでしょうかね。『岡山は雨となりけり』、景色とか何も言ってないけれども、その旅の夜更けに遠い祭りばやしの音が聞こえてきたということで。しみじみと懐かしさを誘うような、旅愁が感じられるような歌になっています。
 旅行の歌を作るときは、なるべく絵はがきのような歌でなく、個性の豊かな歌を作るように。例えば石一つ見ても、その石のいわれなどをよく考察してよく聞いて歌いますと、例えば、どんないわれのある石、殺生石なんて石がありますか、そういう石のいわれなどをよく知れば、また新しい歌ができますけれども。写真のような歌ではね、写真のほうに負けてしまいますので。絵はがきのような、写真のような歌でなく、心の深い歌を作るように。そうすれば旅行にいらしても、アルバムに書き添えても深い歌になって残ると思います。
 それから35番。『暖かな日差しに毛布広げれば虻も止まって羽温める』『暖かな日差しに毛布広げれば虻も止まって羽温める』。これは、もっぱら始めから口語的な発想をしていまして、こういう歌はこういう歌でよろしいのかと思います。暖かな日差しに毛布を広げたら、『虻も止まって羽温める』。温かな優しい歌でございまして。こういう歌を五七五七七の定型にきちっと当てはめて文語に直してっていうようなことをしますと、何でもない歌になってしまいますから。
 こういう歌はこういう歌で、口語的な発想の歌として、自由に作っていただければいいと思いますね。どんな歌でも、その人の人間味というか作者が出ていればよろしいので、全部が全部、古風な古典的な歌い方にしてしまわなければならないとは私は思っておりません。いろんな歌があって、口語なら口語で、自由律というような歌もありますし、新短歌と言われるような世界もありますから、自由に歌っていらっしゃると、その人の個性っていうのが生かされて帯びていくんだと思います。
 『暖かな日差しに毛布広げれば虻も止まって羽温める』。なんか丸があげたくなっちゃいました。優しい歌で、よろしゅうございます。丸あげます。こういう歌はこういう歌で育てていっていただきたいと思います。例えばこれを文語に直してしまいますと、『暖かき日差しに毛布広ぐれば虻も止まりて羽温むる』となりますでしょ。何でもない歌になってしまう。でも口語で歌うことによって、何となくふんわかとした毛布が広がっていて、そこにアブが止まって気持ちよさそうだっていうような感じがね、口語で歌うことで生きているんじゃないでしょうか。それを無理に文語にしてしまいますと、とりとめのない歌になってしまう。そういうことがありますので、こういう歌はこういう歌でずっと作り続けて深めていらっしゃればいいんだと思います。
 それから36番。『木の枝にたまりし雪の落つるごと乙女椿は音立てて散る』『木の枝にたまりし雪の落つるごと乙女椿は音立てて散る』。椿っていうのは割に重たい花でございますし、花びらが一つ一つこぼれるんじゃなくて、花の形のまんまで落ちますから、ちょっと落ちたときに重い音を立てるわけですね。乙女椿の花が音立てて散った、その音というかその感じ、量感て言いましてね、そんなものが、木の枝にたまった雪が落ちた感じで、音がして、重量感があって、落ちたっていう感じですね。『木の枝にたまりし雪の落つるごと』、直喩ですね。ちょうどそのように乙女椿が音を立てて散りましたという感じで。これはこれでよろしいでしょう。
 それから、37番。『風さやか狭庭に白き薔薇咲きて独り居われの心和みぬ』『風さやか狭庭に白き薔薇咲きて独り居われの心和みぬ』。風が爽やかで、美しい日。狭庭、わが家の狭い庭ということで、必ずしもそんなに狭い庭でなくてもわが家の庭を歌うときは、自分の家の庭ですのでちょっと謙遜して、狭庭と歌うことが多ございますけれども。風が爽やかに渡る日であって、わが家の狭い庭には白いバラが咲いています。そして1人で留守番をしている、1人で住んでいる私の心を慰めてくれましたということで。『風さやか狭庭に白き薔薇咲きて独り居われの心和みぬ』。この、花に癒やされて、花に慰められて過ごしている、1人で昼間をいる作者なんですね。という、1人のときを慰めてくれるようなバラの花が咲いて美しいと歌っています。これもよろしいでしょう、感じが出ています。
 それから38番。『好香(こうこう)なる梔子垣の白たえは道行く人の心和めり』『好香(こうこう)なる梔子垣の白たえは道行く人の心和めり』。『好香なる』なんて言ってらっしゃいますけれども、『香り良き』でよろしいですよね。『香り良き梔子垣の白たえに』、でしょうね。『香り良き梔子垣の白たえに道行く人の心和めり』。『白たえは』としますと、何とかしなくちゃならないわけですから、『白たえに道行く人の心和めり』。クチナシというのは言葉のない花と言われていますけれども、香りの高い花ですね。その香りの良い、美しいクチナシの花が咲いている垣根。そのクチナシの花の白たえ、美しい、白々とした花に、道行く人はその花の美しさにも、また香りの良いその花の香りにも心を和ませて通っていきますということですね。
 クチナシというのも割合に歌に取り入れられやすい花でして。今頃ですと、クチナシとか、新聞の選歌などしていますと、アジサイ、クチナシ、バラっていうふうな、三大花ですね、たくさん出てまいります。クチナシ、アジサイ、バラ、今頃のよく使われる歌の花だと思います。これもこれでよろしいでしょう。『香り良き』と普通に言う、『好香なる』なんて大げさに言わないで、香り良きとか香り高きとか。そして、『白たえに道行く人の心和めり』。自然にこう、いくほうがいいと思います。
 それから39番。『古し書架のみ残して嫁ぎゆきしこの部屋広し夕日明るく』『古し書架のみ残して嫁ぎゆきしこの部屋広し夕日明るく』。『古し書架のみ残して』、そこが字足らずになりますから、『のみを残して』と七音にしましょう。『古し書架のみを残して嫁ぎゆきしこの部屋広し夕日明るく』。これは丸をしたいと思います。古びた、昔買ってやった、お嬢さんに買ってやった書棚なんですね。その書棚の古くなったのだけを残して、本はみんな持って行ってしまったお嬢さん。書架だけを残していった。その娘の部屋に行ってみると、折しも夕日が斜めに差していて、余計に部屋を明るく際立てて見せるわけですけれども。子どもがいなくなった部屋は、広々とした感じで寂しいなあということを歌ってらっしゃるのかなと。『古し書架のみを残して嫁ぎゆきしこの部屋広し夕日明るく』。
 誰かがいなくなって部屋が広くなったっていうことの感じは、昔から千代女の俳句にあったでしょう、『起きてみて寝てみて広し蚊帳の中』とかいうんですね。人がいなくなると、その部屋が広く感じられるという感じ方は、ごく普通のことですけれども。この歌ですと、『古し書架のみを残して』ていうところでね、そこに買ってあげておいた本はみんな持って行っちゃった。書棚だけを残していっちゃったんだというような感じがあって。がらんとした書棚と、誰もいなくなった部屋っていうのがね、殊更広く感じられて、子どもを嫁がせた悲しみみたいなものがあると思います。
 さて準急ぐらいで39首やりましたけれども。次のときにもう一首目を、もう一首のほうやるわけですが、次の回においでになられないという方は見てしまいましょうと思いますけれども。顔を見せないで何番とおっしゃってください。顔を見ると悪口言えなくなっちゃう。よろしゅうございますか。次来れないという方があれば。あと何か質問、何でもお聞きになってください。あと15分ございますから。
 
C- 23番のね、『薔薇祭り出店見つけて一早く』の一は、この一を使ってよろしいでしょうか。
 
大西 本当はいけません。
 
C- 平仮名がいいですか。
 
大西 はい。そのほうがいいかと。それから逸という字が、普通は使うんですね。逸ってどんな字でしたっけ。
 
D- 兔っていう字みたいにしんにゅうじゃないかな。
 
--大西 こんな字かな。
 
大西 23番、逸早く。今、こんな字ないでしょうから、平仮名でもよろしいですね。「本当はいけません」なんてごまかしてごめんなさい。
 あとございませんでした? 何か残したところ。
 
E- 35番。暖かなっていうのが・・・。
 
大西 あ、送り仮名ね、はい。『暖かし』、普通は「か」から振りますね、暖か。35番。「た」は2つ要らないので、暖かから振りますね。そういうふうに、すっ飛ばしたところあるからおっしゃってください。標準はね、お人が読んで、自分でなくて、お人が読んで読みやすいということが標準になると思いますよ。送り仮名の付け方も、毎日新聞と朝日新聞ですごく違うんです。新聞によっても違いまして。それから教科書がまた違って、さまざまな付け方をしておりますけども。私どもは読みやすいように、間違って読まないような送り仮名を付ければ標準になるんだと思いますね。
 
-- 先生、私、辞書引いちゃうんですよ。分からなくなっちゃうからしょうがなくて。
 
大西 私もそばにしょっちゅう辞書を。今度出る『婦人公論』、『別冊婦人公論』っていうのに歌が載ることになって。私の歌を送っておいたんですね。そしたら夕べ電話がかかってきて。挟み撃ちっていう言葉を使ってて。挟み撃ちをね、私が・・・。
 
-- 『婦人公論』は来月号ですか?
 
大西 別冊だそうです。
 
-- 別冊ですか。そうですか、はい。じゃ買います。
 
(無音)
 
大西 『挟み討ちに遭う夢みしと見て覚めて家を巡れるまた雨の音』っていう歌を送ったら電話がかかってきて、「挟み討ちの討ちはこれでいいですか」ってね。それで「待ってください」ってすぐ辞書を引きまして。「辞書あるんですか」って言うから「机の上にいつもあるんです」って電話で言ったんですけども。この字書いたんですね、辞書には。撃。
 
-- 四十七士のときにこういう左の使ってありますね。
 
大西 はい、それであだ討ちっていうときはごんべんに寸を書くけども、挟み撃ちのときは撃ではありませんかと向こうの記者が言うんです。「どっちでもいいんです」って言ったんですけど。撃という字を書くとね、仮名音がないと読みづらいような気がしたんですよね。でもこっちの討のほう書くとね、そのまますっと読めるような気がしたんですね。で、『婦人公論』なんかに載せるのには読みやすいほうがいいと思って、したんですけれども、向こうは「広辞苑を引いたらこっちです」っておっしゃるんですね。だから言葉の好き嫌いはありますけども、私は撃はあまり好きな字じゃなくて、こっちの字のほうが好きだったんですけども。向こうがそうおっしゃるもんですから、「どうぞそうしてください」と申し上げましたけれども。6月に載る歌なもんですから、雨の歌を多くそろえて5首出したんですけれども。ごんべんのほうが感じが出るんじゃ・・・。
 
-- そうですよね。撃っていう字は・・・。
 
大西 どうしてこんな歌ができるかって言いますと、私はいつも図書館で公務員として働いていますね。そして家で夜の時間を歌を作って過ごしますね。両方からいつも挟み撃ちなんです。それで、どっちも駄目になっちゃうことが多いんですけれども。駄目なときは寝ちゃうんです。挟み撃ちに遭って暮らしているなと毎日思っているんですけれども。そんなのがたまたま『おんな太閤記』などを見ますと、挟み撃ちになるとこあるでしょう。そういう夢を見て、自分が挟み撃ちに遭うような夢にうなされて、覚めるとまた雨の音がしてたっていうふうなことなんですけれども。いつも挟み撃ちになってる感じがして。図書館で本が重ねてあると、ばらばらばらって崩れてくる夢などよく見ますね。そうして暮らしているもんですからこんな歌ができたんです。はいどうぞ。
 
-- 24番とか32番の歌で、途中で切れてまた切れるという。24番とか32番、途中で切れてはいけないというようなことはございませんか。
 
大西 24番の歌。今、24番とか32番のように一つの歌で、2カ所で切れていいかというお尋ねでした。