さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和55年11月12日

 
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大西 『梅の花散る』、それでよろしいと思います。梅花とか桜花とか、漢詩に使われるような言葉遣いですからね。梅の花で構いません。
 27番。『かりそめの病とわれは思いしに病名知りて心騒ぎぬ』『かりそめの病とわれは思いしに病名知りて心騒ぎぬ』。ほんのちょっとの病気だと思っていたのに、病名を聞かされて心が騒いでならないと歌っています。『われは思いしに』とあるんですが、この病の主が果たして作者なのか、肉親の誰かなのかちょっと分かりづらいところがありました。『かりそめの病とわれは思いし』、作者でしょうかね。どうおとりになる? 読んでいて。作者。作者でしょうか。どっちにもとれる感じですね。子どもか夫かでも分かるような。もし、子どもとか夫とかでしたらば、この病名と。『かりそめの病とわれは思いしに』、この病名を知りて何とかとか、何か入れませんと、作者の病気になってしまう。そこら辺をご工夫ください。誰の病気か。
 28番。『人の世に日の本の人と育まれお召し待つ日の長くありけり』『人の世に日の本の人と育まれお召し待つ日の長くありけり』。『お召し待つ日』っていうのが、戦争前の人種、私のような人種ですと、お召しっていうのは召集令状のことだったですね。戦争後の人ですと、神のお召しかな。神のお召しで、亡くなる日、身まかる日というということかな。
 
A- (****グンタイノ@00:02:30)召集令状。
 
大西 やっぱり戦前派。戦前の人種ですね。『人の世に日の本の人と育まれ』。召集令状を来るか来ないかと恐れつつ、期待しながら待っていた日が長くあったという。戦前の人と分かると、ぐっとくる歌ですね。ちょっとこの歌このままでよろしいんですが、詞書きが必要かもしれませんね。もしかして、神のお召しと思われても困るから。若き日のことを詠んだのだというようなことが、詞書きにあれば。昭和何年、わがよわい何歳なりきとか、なんかね。そういう詞書き。何年頃ですか? 作者いらっしゃれば。昭和何年。18年。よわい。
 
A- (####@00:03:56)。
 
大西 ああ、そうですか。
 
A- (####@00:04:01)。
 
大西 そういう状況。早く行っちゃいたいという。かえって、教練でしぼられてるのがつらいわけですか。
 
A- (####@00:04:17)。
 
大西 ああ、18年。入隊を待つ日、待ちつつとかなんか。入隊の日を待ちつつとかなんか。入隊してどうせ行かなくちゃならない、そういう時代だった時代かな、入隊。
 
A- (####@00:04:43)。
 
大西 もう戦争たけなわですね。昭和18年というとね。そういうこと。
 
A- (####@00:04:52)。
 
大西 そうですね、私なども奈良にいましたけれども。祝園部隊というのが京都にありまして、そこへ手榴弾を作りに行きました。そこの手榴弾というの誰が持つのかっていうことを心配しながら作りましたね、動員されて。それは沖縄に運ばれて、自決するために使われる手榴弾だったんです。それがつらかったですね、作りながら。そういう戦争の頃を思い出します。昭和18年。
 29番。『御仏の肩の辺りを赤とんぼ行きつ戻りつ鎌倉は昼』『御仏の肩の辺りを赤とんぼ行きつ戻りつ鎌倉は昼』。仏様の、仏像の肩の辺りを赤とんぼが行ったり来たりして、鎌倉の昼は静かです、という歌ですね。『鎌倉は昼』という工夫した置き方をしていますが、鎌倉、古都鎌倉。仏都鎌倉、鎌倉五山などと言われてお寺の多い街ですから。これはこのままでよろしいでしょう。
 30番。『明け初めしあかね色なす東空明星一つ光美し』『明け初めしあかね色なす東空明星一つ光美し』。明けの明星というと金星でしょうか。金星が美しい明け方の空。これもこのままでよろしいでしょう。
 それから、31番。『胸に火のともれるごとき思い湧く津軽路を行く夜の旅にして』『胸に火のともれるごとき思い湧く津軽路を行く夜の旅にして』。旅の歌ですが、車窓から外を見てでもいるのでしょうか。遠い野の果てに街の灯、村の灯がともったりしているのを見ながら夜の旅を行くのでしょう。『胸に火のともれるごとき思い湧く』。何となく、旅情を温めながら、津軽というような北の国を旅していく気分が出ています。これはこれでよろしいです。
 32番。『幼子の手折りて供う猫じゃらし清めし墓にさやけく揺れる』『幼子の手折りて供う猫じゃらし清めし墓にさやけく揺れる』。幼子が猫じゃらし、エノコログサですね、エノコログサを、猫をじゃらすのに使う、猫じゃらし、エノコログサ、それを供えた。そうすると、清めたばかりの、お掃除をしたばかりのお墓に、爽やかに猫じゃらしが揺れました、というのですね。墓参の歌。もし、文語にきちっとしたければ、『幼子の手折りて供うる』となります。連体形ですからね。連体形で、『幼子の手折りて供うる猫じゃらし清めし墓にさやけく揺るる』となります。もし文語でするならね。揺れるでも優しいですけれども、『清めし墓にさやけく揺るる』、供うる、文語にすればそうなります。これも、子どもと一緒にお墓参りをしたときの歌で、よくできています。
 33番。『うろうろと探しあぐねし病室に伏しいる君はただ事ならず』『うろうろと探しあぐねし病室に伏しいる君はただ事ならず』。病院に人を見舞ったときの歌ですね。なかなか病室が分からなくて、うろうろと探しあぐねてやっとたどり着いた病室。そこに寝ていた君、あなたはただ事でない様子で、大変な場面のようで伏せっていました。病院の、分かりづらい迷路のような所をたどって、病室を探し当てていったけれども、そこに寝ている人は、かりそめの病ではない、ただ事でない状態であったということを言っていますが。過不足なくきっかりと歌えていると思います。ただ事ならず、別にそれ以上、詳しいこと分かりませんけれども、この歌はこれでいいと思います。ただ事ならずという緊急の状態を伝えています。
 34番。『秋祭りののろし聞こゆる朝の路地引きゆく犬の耳立て止まれり』『秋祭りののろし聞こゆる朝の路地引きゆく犬の耳立て止まれり』。秋祭りののろしがドドーンと上がった。ちょうど犬を引いて路地を歩いていたときだった。犬がはたと止まって、耳を立てて、その音をいぶかるようなしぐさをしたというのですね。『朝の路地引きゆく犬の耳立て止まれり』、ちょっと字余りになっていますが、耳を立てて止まったということですね。
 
(無音)
 
大西 そういうとき、どうしても最後の7音のところが字余りになってどうしようもないときは、ひっくり返してみたりして、形を整えるのがようございます。与謝野晶子の歌を見ていますと、そのひっくり返し方がとても上手ですね。字余りになるときに、さっとひっくり返して、字余りを途中に押し込んでしまって、最後の7音は整えておくというようなやり方を、与謝野晶子はとてもよくやっていることが分かるんですけれども。うまくは行きませんが、この歌の場合ですと、『朝の路地耳立てて止まる引きゆく犬は』とこうしますと、『引きゆく犬は』ということで7音で、余らないで止まりますね。そんなようなやり方。工夫しますと、字余りをうまく途中でごまかして処理することができる。字余りをなるべく上のほうで、上の句のほうで処理してしまって、下の句の方では七七となるべく置くように。最後の7音は特に気を付けますと、着地がしっかりしますね。『秋祭りののろし聞こゆる朝の路地耳立てて止まる引きゆく犬は』とすれば、『引きゆく犬は』は7音でございましょ。そういうふうにして、字余りを処理していくということです。
 35番。『行楽の木立に透けし木食の堂へ業者らけもの道ゆく』『行楽の木立に透けし木食の堂へ業者らけもの道ゆく』。葉っぱが木になって、落ちて、木立が透け透けになってるわけですね。それで、向こうが見えるようになった、晩秋の道。木食上人のお像のある堂でもございましょうか、木食の堂。そこへ業者たちが、けものしか通らないような草の道を分けてまいるところですという歌ですね。『行楽の木立に透けし木食の堂へ業者らけもの道く』。業者らっていうのは何の業者かなあ。けもの道、猟師かな。狩猟の人? そこのところ、よく分からないんですが、業者。ちょっと唐突に業者が出てくるので、そして木食上人の堂などへ行くものですから。業者の所に、棒引っ張っちゃったんですが、何の業者かな。それから、けもの道というのは、けものしか通らないような草深い道というように普通は使いますのでね。草深い道を業者たちがたどって行ったと歌っています。形は非常に整っておりますが、業者らのところが少し分かりづらい。もし狩猟者であれば、狩人たちは、でよくなりますからね。狩人たちは。狩人でもなさそうですね。
 36番。『暮れかかる野道を急ぎ自転車のペダル踏みゆけば秋草そよぐ』『暮れかかる野道を急ぎ自転車のペダル踏みゆけば秋草そよぐ』。夕暮れの秋はつるべ落としなどと言って、日の暮れるのが早うございますから、暮れかかった道を急いで自転車を踏んでいく。と、その自転車が起こす風で、周りの秋草がそよいだりします。晩秋の頃の、野道の感じが出ていると思います。
 それから37番。『わずかなる支えを持ちて蓑虫はポストの縁に今朝も揺れいる』『わずかなる支えを持ちて蓑虫はポストの縁に今朝も揺れいる』。『わずかなる支え』、たった1本の糸であることが多うございますが、ほんの細い支え、糸に支えられて、ポストの縁についたミノムシが今朝も揺れている。まだ大丈夫みたいだと思って作者は通っていく。ポストの、今朝もですから、しばらく前からそのミノムシが下がっているのでしょうね。今朝も、ただそれだけ言っただけで、それが今朝だけではない、何日も前からそのミノムシがあったということ分かるわけで、「も」というような助詞一つもゆるがせにはできないですね。ポストの縁に今朝は、今朝はもうなしって言えば、昨日まであって、きょうはない。今朝はとしたときの、「は」の使い方もまた大事ですね。今朝は、昨日はそうじゃなかった、今朝はそうだというふうにね。助詞の使い方も気を付けます。
 38番。『ちごゆりは触れなば散らん朝露におののくごとくうつむきて咲く』『ちごゆりは触れなば散らん朝露におののくごとくうつむきて咲く』。チゴユリ、咲いていて、ちょっと触れたらすぐにも散りそうな感じに咲いていて、まるで朝の露にもおののくような感じだ。はかない感じに咲いている。うつむいて咲いている。『触れなば散らん』、そういう感じだということで、花の様子を、風情を描いていると思います。朝露にもおののくように、触れたらすぐたちまち散ってしまうかのように、うつむき加減に咲いている。これは写真のようにというかな、きちっとチゴユリという植物を描いていらっしゃいますね。
 それから39番。『和歌俳句この道遠く遥けくもわが生涯の生きがいとして』『和歌俳句この道遠く遥けくもわが生涯の生きがいとして』。和歌と俳句、両方なさっている作者。この道はそれぞれに遠い、遥けき道であるけれども、私の生涯の生きがいであるに違いないと、覚悟を新たにしたような歌ですね。この歌もちょっと止まっていない。どこで点を打つかというと。どこでも止まっていないでしょ。どこで止めましょう。どこかでね。『和歌俳句この道遠く遥けくも』。この道遠し、で止めますか。遠しで止める方法。それから、『わが生涯の生きがいとなす』という止め方もあるかもしれない。して、どうするのですかとこうならないように、きちっとどこかで止める。『和歌俳句この道遠く遙けくもわが生涯の生きがいとなす』、それでもよろしいですよ。『和歌俳句この道遠し遙けくもわが生涯の生きがいとして』。そういうどこかで止めるということを、まず一つのポイントにして、お歌いください。遠しにしましょうか。遠しでそこで切る。
 
-- 遠しとした場合は(####@00:18:44)。
 
大西 はい、そうなんです。どこか1カ所で止めればよろしい。ここまでで何か質問ございましたか。大急行で来ましたね。
 
-- この作者名はいつ発表ですかね。
 
大西 2首目が終わったとき。この2首目の歌がまだ残っているから。作者、分からないほうが、私、言いたい放題、言えますでしょう。お顔が分かってる、あの人だなって思って、言いたいこと、言えなくなってしまいますでしょう。だから・・・
 
-- (####@00:19:22)。
 
大西 じゃあ何番かおっしゃってください。
 
-- 何番ってのは(####@00:19:29)数時間前に知ったんです。それで時間、全然なくて。それで、慌てて(####@00:19:48)即席ラーメンでね。16番なんですけど。
 
(音質不良にて起こし不可)
 
大西 稲こきの方。
 
-- それで、先生に直していただいて本当にこう(####@00:20:18)。
 
大西 今度、2首目のほうですね。『初霜をスクールバスの来たりたり山茶花を持つ吾子は先頭』『初霜をスクールバスの来たりたり山茶花を持つ吾子は先頭』。
 
-- 実は孫なんですけど。(####@00:20:45)。
 
大西 あら、お年を隠したわけ?
 
-- 隠したわけじゃ(####@00:20:55)。
 
大西 孫は孫でいいと思いますけどね。
 
(音質不良にて起こし不可)
 
大西 苦しいときだけに限りますけれども、例えばわが孫と書いて、子と読ませたり。この吾子と書いて、子と読ませたりいたします。嫌いな人はすごく嫌って、吾子は吾子、孫は孫だって言いますけれども。好き嫌いですけれども、孫でもいいような気がしますけどね。来たりたり、というのはちょっと詠嘆調ね。その即席ラーメンにしてはおいしゅうございますよ。
 
-- (####@00:22:00)。
 
大西 歌はお好きなんですね。
 
-- 好きとかってじゃないんだけど(####@00:22:17)。
 
大西 大先生というわけにはいかないですけど。
 
-- (####@00:22:25)。
 
大西 私がもしこの場面作るとすればね、『初霜のスクールバスの近づけば山茶花持つ吾子が先頭に立つ』とかなんかすると思う。そうすれば生き生きするじゃない。『山茶花持つ吾子が先頭に立つ』とでもして、先頭をきって花を持ったうれしさに駆けていくというような感じが出るかなと思います。『初霜をスクールバスの近づけば山茶花持つ吾子が先頭に立つ』。吾子でもいいかな、『山茶花持つ吾子先頭に立つ』。「が」がなくてもよさそうね。
 
-- (####@00:23:06)使い方によって。
 
大西 助詞一つが歌を動かす。『初霜をスクールバスの近づけば山茶花持つ吾子先頭に立つ』、そうしましょうか。そんなことで動きを出して。『吾子は先頭』なんて言ってごまかさないように。きちんと最後までいたしましょう。あと何か。
 はい、どうぞ。
 
-- (####@00:23:37)。
 
大西 社長さまです。埼玉県歌人会の今、会長。今どころか、何十年も会長さんしておられて。戦後、間もなく浦和で、戦後の歌壇が衰退しましたときにね、例えば斎藤茂吉のような人が戦争の詔勅が下ったときに泣いて、それを受けて戦争に入った。戦争だ戦争だって歌を作っていて、終戦の直後、終戦の詔が下ったとき、また泣いたと。そういうときに、和歌を作った人の責任はどうなるのだっていうようなことが問われましてね、戦後間もなく歌が廃れてしまったときがあったんです。で、新しい人間性豊かな歌を作らなきゃっていうんで、新歌人集団というのが浦和で生まれたんです。そのときに加藤さん、近藤さん、宮さんっていうような人が、今そうそうたる所にいる人たちが、浦和で新歌人集団というのは昭和23年ですかね、作った。そのときに一緒に推進力となったのが加藤先生なんです。もう戦争前から大体モダンな歌、モダニズムの歌と言い換えてもいいんですけれども、モダンな歌を作っていらしたんです。15、6の頃から。ずっとそういう歌をお捨てにならないんですね。今もう65、6でいらっしゃるでしょうけれども、いまだにモダンな歌を作ってらっしゃって、やっぱり前衛だなと思うんです。あの社長さんです。
 あと何か。今度、来られないっていう方。はい、どうぞ。何番の歌かやってしまいましょう。この次いないところで悪口言われたりすると、かわいそう。23番?
 『あまりにも突然なりし吾子の死にわが魂は抜けたるごとく』『あまりにも突然なりし吾子の死にわが魂は抜けたるごとく』。これは、悪口言う歌じゃありませんね。突然に亡くなった子ども、魂が抜けてしまったようだと歌ってらっしゃる。抜けたるごとく。これもどこか止まってないです。『あまりにも突然なりし吾子の死に抜けたるごとしわが魂は』として強調したらどうでしょう。『抜けたるごとしわが魂は』、とひっくり返すことによって強める、ね。『あまりにも突然なりし吾子の死に抜けたるごとしわが魂は』。そして、強調して魂を下に持っていけば、この歌きちっとするんじゃないですか。最近のことですか? お子さまの死。
 
B- 今年の5月16日に。
 
大西 突然に?
 
B- 突然に。
 
大西 本当。もう大丈夫?
 
B- ニューヨークに1人。ちょうど半年になります。1人で住んでおりましたので。気がついてやれなくて。
 
大西 でもこうしてね、特に挽歌っていうジャンルが歌の中にも、相聞歌とか挽歌とかございますね。挽歌というのは人を挽く歌と書いて、弔う歌なわけですけれども。歌の大きな力の一つが挽歌なんです。亡くなった人を弔い、自分を悲しんだ歌を作っている間に、次第に死者も生き残った人も魂が鎮まるという、そういう挽歌の役目。昔からあるんですね。だから、悲しかったらいくらでも、もう言葉がなくなるまで亡くなった人を悲しむ歌を作って、残った悲しみを歌っている間にね、心が鎮まっていく。鎮魂歌って言いますけれども。魂鎮めの歌。そういうところがありますから。悲しければ悲しいと、もう歌うことなくなるまで歌っていらっしゃれば心が鎮まります。相手の魂も鎮まるはずです。
 それから、どなたかいらっしゃいますか。35番。『薄野の果ての古りにし尼が』、いおりと読むんですか? 尼がいお。尼があん。『枝折り戸閉ざす蔦のもみじ葉』。『薄野の果ての古りにし尼が庵枝折り戸閉ざす蔦のもみじ葉』。薄野の果てに古びた尼さんの庵があって、もう今はお人がおられないのですか、枝折り戸が閉ざされていて、そこに蔦のもみじ葉がかかっていて、枝折り戸を閉ざしてしまっているように見えると。古びてしまった尼さんの庵を歌っていらっしゃる。『薄野の果ての古りにし尼が庵枝折り戸閉ざす蔦のもみじ葉』。まとまった、ちょっと古風ですけれども、いい歌ではありませんか。これでよろしいですよ、これは。
 あと次、来られない方。大丈夫? 11番。あ、ボイラー。『ボイラーの騒音絶へし静寂へ頭を下げて帰路に着くなり』『ボイラーの騒音絶へし静寂へ頭を下げて帰路に着くなり』。再就職の方ですか? そうじゃない。
 
C- 再就職。
 
大西 じゃ、やっぱり当たりましたね。再就職。第二の人生ということですね。この歌は、絶へしの所ね、絶への「へ」、は普通の「え」です。なぜかっていえば、絶えん、絶えたり、絶ゆと、ヤ行に活用するので、ヤ行は、やいゆえよの「い」も「え」も、普通の「い」と「え」ですね。だからこれ普通の「え」。絶へしじゃなくて普通の「え」。『ボイラーの騒音絶えし静寂へ頭を下げて帰路に着くなり』。この歌いいんじゃありませんか。自分と一緒に働いて、一日終わった、ボイラーに向かって頭を下げて、また明日という感じで、感謝の気持ちを込めて帰路についたという歌で。職業に対する敬虔さというんですか、敬虔な気持ちが出ていて、この歌はこのままでいいです。よろしゅうございますか。
 こういうふうなボイラーなどというものは、ボイラーを扱っていない人でないと歌えませんね。だからどんどん歌っていらして。先の朝日の大会の第1位になった歌。警棒に割られた傷の歌でございました。あの方は、警棒で殴られた傷があるのは、あの人しか歌えないんです。あの人しか歌えない歌。それから、今お子さんを突・・・