さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和53年10月24日

 
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大西 こんにちは。
 短い期間でしたので、せいぜい10首ぐらいしか出ないんじゃないかと思っておりましたら、先ほどいただきましたのが20何首、20何人か出してらして、感心いたしました。
 この前は、準急ぐらいの速さでございましたので、物足りない方もおありだったと思いますので、きょうはなるべく『秀歌を読む』っていうほうを短くしまして、そして皆さまの歌を詳しくやって、もし時間があればまた『秀歌を読む』に戻りたいと、そんなふうに思いますけれども。『秀歌を読む』1っていうのを差し上げましたので、2っていうのも差し上げないと格好付かないので、大至急、今刷っていただきました。
 ゆうべ大急ぎで抜き出したんですけれども、アトランダムになりまして、特に系統があるというわけではございません。ただ県内に住んでおられる方で、加藤克巳さんの歌をこの前挙げましたので、他にいらっしゃる鈴木幸輔さんというような方の歌、それから清水房雄さんというような方の歌も挙げておくほうがいいと思いまして、4首目ですが、清水房雄という方は、現在アララギの選者の1人をしていらっしゃる方で、写実派の最も右翼と言われている、頑迷と言われるほどの写実派の方でいらっしゃいます。今、浦和に住んでおられて、東京の都立第何高等学校ですか、なんか都立の高等学校の校長さんをしておられて、定年で辞めた後、昭和女子大に今勤めておられますけれども、剣道の先生で大変男性的な方でいらっしゃいます。
 これは、学生紛争、学校紛争のさなかの歌でございまして、『内面的苦悩などしてゐる暇なし目の前のバリケードをいかにする』『内面的苦悩などしてゐる暇なし目の前のバリケードをいかにする』。いかにも端的に校長さん、学校の管理者としての立場を明解に歌っていらっしゃるんですね。その学生の悩み、それから教師側の悩み、そんなこといろいろあろうけれども、そのことを考えている暇はないの。目の前に学生がストライキを決行してバリケードを築いている。『目の前のバリケードをいかにする』、そういういかにも剣道の先生らしい、明解な歌い方をしていらっしゃいますが、この方などが今のアララギの写実派を支えている大きな1人であろうと思います。そういう方が浦和に住んでいらっしゃいます。
 それから、2ページの最初、鈴木幸輔さんという方がやはり浦和の元町に住んでおられます。『霜の夜のわれの眉間に立つごとき北斗に向ひ帰りきたりぬ』『霜の夜のわれの眉間に立つごとき北斗に向ひ帰りきたりぬ』。鈴木さんは秋田県の出身で、いかにも北国の人らしい厳しい面影を持った作家ですが、その方は若い頃に北原白秋の門人になって、北原白秋晩年のお弟子さんの1人でしたが、北原白秋は、まるで手の上に宝石を転がしたようなそういうめでたい素晴らしい才能を持っていると、鈴木さんの才能を褒めたと言われています。白秋が大変愛した才質の持ち主なのですが、その歌い方は、北国の人らしい厳しさに満ちた、しっかりした作風でございます。今は、長い風と書いた『長風』という雑誌を主宰して、浦和で活躍していらっしゃいます。
 この歌を見ますと、寒い冬の夜、北斗七星に向かうようにして帰ってきた、その北斗七星は自分の眉間に立つようなそんな鋭さで迫ってくる。そういう夜更けに家路に就いてきたというふうな歌でございましょうが、なんか凜冽な厳しい冬の夜の寒さっていいますか、そんなものを見事に歌えている歌だと思います。
 それから、その次の佐藤佐太郎っていう方も、やはりアララギ系統の写実派の作家ですけれども、この方はまた少し叙情的な哲学的な味を持った作家で、『歩道』という、歩く道、『歩道』という雑誌を主宰して、東京におられる方ですけれども、現代の歌壇の代表的な実力のある作家の1人でいらっしゃると思います。
 『薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音とおもひき』『薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音とおもひき』。薄ら明かりの中で目が覚めたところでしょうか、朦朧とした意識の中で何か外で物音がしている。その物音は青杉を焚いている音ではないかと思った、という歌なんですけれども。青杉を焚くときのあのパチパチと跳ねるような音でございますね、そういうようなものが外で聞こえていたわけでしょう。目覚めの朦朧とした意識に、あ、あれは杉を焚いているような音だなと思ったという。さりげない中に何か朝の目覚めのおぼろな中の物音というふうなものを確かに捉えた、そういう歌だと思います。
 それから、終わりから2番目は木俣修、私の師匠でございますが、『六十歳のわが靴先にしろがねの霜柱散る凛々として散る』『六十歳のわが靴先にしろがねの霜柱散る凛々として散る』。もう今、先生は70を超えられましたけれども、60になった還暦のときの歌として割に有名になった歌でございました。こういうときに、むそとせの、なんて読まない。60歳のと、ちゃんと今の言い方で読んでいらっしゃいます。『六十歳のわが靴先にしろがねの霜柱散る凛々として散る』。還暦を迎えて新しい意欲に燃えて生きていこうとするような、そういう覚悟の激しさっていいますか、そのようなものを歌えている歌として当時評判になった歌でございました。
 ご存じのように、木俣修という人は、40そこそこで宮中の歌会始の選者になられて、そして現在、天皇皇后両陛下ならびに妃殿下たちのお歌を見ていらっしゃる先生です。40かそこらで宮中に入るときに、歌壇では、何か宮中の歌の指導に当たるということについて非難めいた言葉が聞かれたことがございましたけれども、私の師匠はそのときに、宮中の歌というのは、旧派の、古今調の江戸時代伝わってきた桂園派の、旧派の歌のなよなよとした人間味の薄い花鳥風月みたいな歌が、宮中の歌でずうっと通ってきたけれども、それではやはりいけないのではないか、戦後の歌っていうのは人民の、民衆のものなのだから、宮中の人々だって、皆人間に違いないのだから、人間らしい歌を作っていただこうではないかと、そう思って入ったと決意を述べて歌会始の選者になられ、宮中の歌のご指導に当たるようになった人でございます。
 その後、割合に歌会始の歌も、宮さまたちが作られる歌も、私たちとあまり変わらないような歌をご発表になるように、必ずしもお上手ではありませんけれども、割合に人間味のある歌が作られるようになったというのは、木俣修っていう人が宮中に入った後にそうなったんだと言われております。そのことを悪口言う人もございました。例えば亀井勝一郎などという、亡くなった方ですけれども、あの方などは、宮中の歌はなよやかでみやびやかなのがいいのであって、人間らしくなくたってよかったんじゃないかと、そういうことを言う方もおられましたけれども、木俣さんはそういう覚悟で、皆と同じレベルで、人間らしい歌を作っていただきたいと思う気持ちで、宮中のご指導に当たっていらっしゃって、今も1週間に1度、土曜日、伺って、皆さまの歌を見て差し上げるようです。
 一度、秩父宮妃殿下の歌を拝見したことがありましたけれども、ものすごい大きな文箱に、蒔絵の付いた立派な文箱に紐が結んであって、箱が幾つも入っているんですね。最後の小さい箱の中に、妃殿下がお書きになった返しっていうんですか、入っていて、これくらいの紙、すらすらっとこう書いてあるんですね。それを先生が本当に全部直すぐらい朱筆で直して、そしてまたこうたたんで、紐で縛って、宮内庁のお役人が取りに来る、そういうご指導をしていらして、それは文箱の立派なのに驚いたんでございますが、それぐらいにして、本当に歌のことについては木俣先生を先生として、どの宮さまも両陛下もお付きになっていらっしゃるわけですね。
 去年ですか、春の園遊会に木俣先生ご夫妻が招かれていらしたらば、両陛下がこう回ってらして、で、先生の前にお立ちになって、皇后さまがね、奥さまに向かって、「木俣先生には大変お世話になっております」と奥さまにお礼をおっしゃったそうです。皇后さまがね。で、木俣先生の奥さまというのは、若い後添いの方なもんですから、いろいろ苦労をなさった方なんですけれども、皇后さまにそう言われただけで全部苦労が吹っ飛んでよかったなと思ったって、涙ぐんでしまったっておっしゃってましたけれども。そういう先生が私の師匠なんでございます。
 それから、この前のときに、岡野さんの歌を読みましたときに、前さんの歌のことをちょっと話したかと思いますけれども、最後の歌、前登志夫さん。この方は安騎野志郎という名前で現代詩を書いていらしたんですけれども、途中から歌に戻られた方なんです。で、前登志夫というのは本名で、吉野の、奈良県の吉野山中に住んでおります。で、吉野山中の山林の持ち主らしいんですね。そういう家に生まれてしまって、その吉野の山中を離れることができなくて、山の中に暮らしている人なんです。そういう風土という、吉野山という風土に根差した歌を多く作っていらして、都会に住んでいる私たちと違った一種のムードというか、何か風土性を持っていらっしゃるんですね。
 この歌、『鯉幟はためく村よ死なしめてかごめかごめをするにあらずや』『鯉幟はためく村よ死なしめてかごめかごめをするにあらずや』。そういう寒村といいますか、貧しい山里なものですから、多分子どもが間引きされて、死んだような子どももたくさんいるだろうというふうな解釈がされています。そういうたくさんの子どもたちを死なせた後でこいのぼりを立てて、かごめかごめなどと言って、子どものいかにも楽園のような様子が見えるけれども、その背後にはたくさんの亡くなったみどりごがいるのだというふうな解釈がされているようです。そういう風土、山林の中に住んでいる人でないと歌えないようなそういうものを歌って、魅力のある作者だと言われている人です。理屈を聞けばそうなんですけれども、『鯉幟はためく村よ死なしめてかごめかごめをするにあらずや』。読みますと、何かしらこう暗い、人間の悲しみみたいなものが伝わってくるのではないでしょうか。
 私も岩手県の盛岡に育ちましたけれども、やはり岩手県の山村、例えば遠野みたいな所ですね。そういう山の中では、間引きということが私の幼い頃にもまだありましたですね。いろいろな方法はあったんでしょうけれども、たくさん子どもを育てられないんですね、農家では。何とかして間引きをするわけですけれども、そういうことにまつわる悲劇とか、それから呪いだとか、そんなようなことを聞いて、幼いときに、私は三人姉妹でしたけれども、もっときょうだいがいたんじゃなかったのかしらなんて思ったことがございました。私の家はサラリーマンだったので、母に聞いたら「そんなことはしなかったから大丈夫だ」って言いましたけれども、そういう東北の山村とかね、それから吉野山の山奥なんていう所は、精いっぱいの生活しかできませんでしたから、子どもが多いと困ったわけですね。それで間引きをし、そして水子地蔵を建てて地蔵さまを祭るというふうなことが行われていたようです。そういう風土を背景にしますと、この歌などが少し分かる、感覚的にね、理屈では分からないとしても感覚的に分かるというところがあるんじゃないでしょうか。
 あと、たくさんいい歌があってお話ししたいのですけれども、皆さまの歌を読んで時間が余ったら、最初のほうに挙げた前衛の歌というのも少しお話ししたいんですけれども、そこで一応切りまして、皆さまの歌に戻ります。
 で、書いていただく時間もなかったように、この歌をまだ私は拝見していないのです。ですから、いきなりここで読みながらお話ししなければなりませんので、少し考えながらいたしたいと思います。
 この前の歌の全体の感じとすれば、素直に皆さん歌ってらしてよかったと思います。この前読んだ歌も、きょう読んだ歌も、秀歌と言われる、いわゆる今の歌の世界の代表的な歌と思われるような歌は、それぞれに中身が複雑で、そして表現が屈折していますね。単純に歌っているわけではない。いろいろ一つの言葉にもイメージをこう込めて、複雑な内容を一首の中で歌おうとしているのが、ピラミッドの頂点の人たちの、現代を代表するような人たちの作家の条件であろうと思います。そのピラミッドの頂点にいるという方たちも、最初からその頂点にいられたわけではなくて、やはり自分の悲しみや喜びを率直に歌うという出発点があって、そして次第に高まっていったことは違いないと思うんですね。ですから、私たちも修練によって、その高みへ上っていくことはできるのだろうと思います。
 1番からまいります。『深みゆく秋の秩父路久々にみ仏訪ね夫(つま)と歩みぬ』『深みゆく秋の秩父路久々にみ仏訪ね夫と歩みぬ』。『可憐なる薄紫のほととぎす狭庭の隅につつましく咲く』『可憐なる薄紫のほととぎす狭庭の隅につつましく咲く』。1首目は、秩父路の巡礼の状態でもありましょうか。深くなっていく秋の秩父路を訪ねて、久々にみ仏を拝むために夫と山路を歩いていったというのですね、1首目。『深みゆく秋の秩父路』と、こう背景をまず置いて、そこをみ仏を訪ねて夫と2人たどっていく姿を持ってきた。最初に背景の美しい秩父路を置いて、そこへ2人の姿を歩かせた。この状況のやり方はよくできていると思います。丸を差し上げていいかと思います。
 そうして、欲を言いますと、例えばこの歌が序歌という最初の歌になりまして、そして2首目、3首目と、今度は何番から参拝してらしたか分からないけれども、例えば4番の札所ではマリア観音がおられますね。そういうようなマリア観音の美しさ、気高さそんなものを歌ったような歌がこう続いていって、で、何番、何番と拝んでいらして、そして夕方になって家路に就いたというふうな、歌が続くような感じの歌ですね。その最初に置くような序の歌っていいますか、そんな感じに歌われていると思います。こういう形から出発して、その秩父巡礼のさまざまな模様を詳しく、深く歌っていかれるとよろしいのではないかと思います。
 2首目のほうですと、ホトトギスというあの可憐な形をした花の様子を歌っておられますね。狭庭、この前も出てきましたけれども、自分の家の庭がそう広くないということを卑下した言葉として、よく小さい庭という意味に使われる言葉ですので、いかにもこの作者がつつましい、狭庭などと歌って自分の庭を謙遜して歌っていらっしゃって。そして、薄紫のホトトギスがまた静かに花を付けているという様子を歌っていらっしゃる。
 少し、『可憐なる薄紫のほととぎす狭庭の隅につつましく咲く』、可憐でつつましいというふうな花の形を少し、何というのでしょうか、くどく描いているところがあるんですけれども、ホトトギスのあの花の感じはよくつかまえているように思いますね。この歌も丸をして差し上げていいと思います。
 私は、一昨日の日曜日に東京の歌会がありまして、木俣先生の主宰している『形成』という雑誌の歌会に行ったんですけれども、そこの歌にやはり狭庭っていうのが出てきたんですね。狭庭に白鷺が降りてきてね、羽ばたいて5、6歩歩いたっていう歌が出てきたんです。そしたら、先生は笑われてね、狭庭に白鷺が降りてきて、5、6歩歩くというのは狭庭じゃないとおっしゃるんですね。それで、作者は男の人でしたけれども、謙遜して歌ったんだって言ったんですね。本当は大きなおうちらしいんですよね。それで、私の師匠は、狭庭というふうなことはあんまり好きじゃないなと、庭でいいじゃないかと、大体狭庭に白鷺が降りたら窮屈だよとおっしゃっておられましたけれども、好き嫌いはあると思うし、それから庭って言っただけでは音が足りないときありますね。で、狭庭とする、普通に接頭語を付けて卑下した言葉、謙辞って言いますけれども、謙遜する言葉、謙辞って言いますけれども、そういった、何でもなく使っておりますけれども、その置き方によって鶴が舞ったり鷺が降りたりするときに、狭庭ではおかしいということも覚えておかれればいいと思いますね。
 それから、庭のことを美化して歌うとき、園という言葉を使うこともありますね。公園の園を書くときと、それからくさかんむりの苑を書くときとありますが、もう少し美化すれば園ということになりますが、園っていうと、またもう少しちょっと広い感じになりましょうね。小園といってみても、やっぱり狭庭よりは広い感じになると思います。いろいろ使い分けていらっしゃればいいと思います。
 2番の歌。『たしなまぬわれにしあれどうまし酒飲むはかくやと師の講義聴く』『たしなまぬわれにしあれどうまし酒飲むはかくやと師の講義聴く』。『嫁病みて四十日のみどりごを里子に出せりひ弱身のわれは』『嫁病みて四十日のみどりごを里子に出せりひ弱身のわれは』。さあ、1首目のほうですが、自分はうまし酒、おいしい酒をたしなむことのない私なんだけれども、おいしいお酒を飲んで酔えばこんなふうであろうかと思って講義を聴いた。そういう歌ですね。これは例えて歌ってらして、何ていうか、酔うような気分で誰かのお話を聞いていて、そして酔っぱらったらこんな気分かなという感じだったというんですね。これは例えがうまくいっていると思います。これも丸あげましょうか。
 それから、2首目のほうは、お嫁さんが病気になって子どもを見ることができなくて、そしておしゅうとめさんである作者も体が弱いために、そのみどりご、40日しかたっていない乳飲み子を見てあげることができなくて里子に出す、その場面なんですね。なんとも切ない、そして申し訳ないというふうな気持ちが詠まれているんだと思います。
 ひ弱身のわれは、そこのところを少し、なんとしたらいいでしょうね、ひ弱身のわれは。
 
A- ひ弱き。
 
大西 ひ弱きわれは、はい。『里子に出せりひ弱きわれは』。それから、何か他にございません? ひ弱身っていうのは、いかにも何か不安定ですね。ひ弱きわれは、ひ弱のわれは、でもいいですね。ひ弱っていうのは、そうですね、身弱ともいいますか。身が弱い。身弱のわれは、ひ弱のわれは。ひ弱身、ちょっとくどいかもしれませんね。そこのところを直していただいて、ひ弱きわれは、ひ弱のわれは、身弱のわれは、何かそんなようにして。最後の7音はなるべく字余りにしないで、7音できちっと押さえたほうが歌が安定いたしますから。『ひ弱身のわれは』というと8音になりますでしょう。だから、一つ落としてしまうということ。
 よろしゅうございますか。『里子に出せりひ弱のわれは』、ひ弱きわれは。そういうときに頑丈であればお嫁さんが病気になっても平気でみどりごを預かることができるだろうに、それができなくて残念だな、お嫁さんにも悪いし孫にも悪いなという感じでしょうね。それが歌われていると思います。
 40日のみどりごっていうふうな今の言い方で歌っていらっしゃるのは、さっきの六十歳のわが靴先っていうふうな今の歌い方ね、今の言い方をそのまま使って40日、それで十分なんですね。これでこのとおりでようございます。これも丸ができますでしょう。
 それから、次は病気の名前。『カベルネの何かも分からず病窓に癒ゆるを願いし北国を恋う』『カベルネの何かも分からず病窓に癒ゆるを願いし北国を恋う』。『地上へのきざはし探して歩き回る夢より醒めれば虫の音聞こゆ』『地上へのきざはし探して歩き回る夢より醒めれば虫の音聞こゆ』。これも両方ともいいですね。
 昔、北国で病気にかかって、胸に空洞があるなどと言われて、カベルネと言われたけれども、なんのことか分からなかった。ただ若くって病気をしていて、ひたすらに願うことは治って丈夫になることだけだった。ああいうひたすらだった若いころが懐かしいし、その自分が病を養っていた北国も懐かしいという歌なのでしょうね。これも丸でよろしいでしょう。
 それから、次のほうは、怖い夢を見ていたんですね。どっか深い穴のような所に落ち込んでいて、地上へ出る、階と書いてありますが、階探してっていうと字が足りないでしょう、6音だから。今きざはしと読んだんですけれども、階段だって構わないですよね。『地上への階段探して』だって構いませんでしょう。この歌では、そういう深い所に落ち込んでいて何とかして地上に出たいと思って、上り口を探していたという、その夢の内容が面白いのでしょ。だから、きざはしと、こう言わなくても階段でも構いません。何か焦って地上へ出る道を探してしきりに歩き回っていた、怖い夢だった。で、夢から醒めたら地上に自分は眠っていて、そして虫の音が外には聞こえていた。ほっとしたような、その悪夢っていうんですよね。こういう怖い夢・・・。