さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

音声資料

「短歌講座」

昭和53年10月17日

 
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大西 歌っていうのは、たった31音でございますけれども、さまざまに自分の世界を歌うことができるし、それから、目に見えたものをそのまま歌うこともできるし、あるときは、聞こえない音も呼び寄せて歌うことができるし、自分の体験できない地獄や天国の世界も形作ることができるでしょうし、そういうふうなさまざまなことができる歌の形であると思います。そのことを、たった5首読んだだけでも、お分かりいただけるのではないでしょうか。
 そうした、さまざまなことができる歌の形ではございますけれども、この方たちはもう歌を作って恐らく30年、40年、生方さんなどは50年もたってらっしゃるんじゃないでしょうか。そういうふうに、年季を入れることによって、やり遂げてこられた歌の成果なんですね。ですから、始めからこういう素晴らしい、これから何十年、何百年後に、昭和時代の歌として残るに違いない、こういう名歌が、誰でも即座に出来上がるというわけではなくて、やはり、生方さんなら50年、加藤さんも、もう15歳ぐらいから作っておられたとおっしゃいましたから、やっぱり50年近い歳月が流れておりましょう。そういうふうに、若いときから志して、やっと60を過ぎ、生方さんなど75、6でいらっしゃいましょうか、そういうお年を召して、やっと達成できる歌の深さというものがあるわけでして。だから、当意即妙にできる歌もあれば、50年かけて磨き上げて、後代に残る歌を作ることもできる、そういう奥深い道が、歌の世界であるように思います。
 私ももう、歌を作り始めて40年と思っております。島田修二さんも多分それぐらい歌を作ってらっしゃるでしょう。3、40年作っている人が、今の歌を支えているといいますか、専門家の世界ってものは、30年、40年の年季を積んだ歌詠みが、満ちあふれているというのが状況でございます。そういう年季をかけた歌っていうのが、一方に、高いところにあって、そして、ピラミッドの頂点が高ければ高いほど、その裾の広がりの広い文学っていうのが歌であろうと思います。
 歌の人口は現在、埼玉県内で約5000人ぐらいと私は思っておりますけれども、俳句は、もう少し多ございまして、もう少しというよりか、2万人ぐらいいるんじゃないでしょうか、県内に、俳句を作れる人、ときどきは作る人って言いますと。大体4対1ぐらいの割で、俳句人口と歌の人口があると思いますけれども、その5000人ぐらいの歌詠みが、県内にはおられるだろうと思います。この与野市にも、何百人もの歌詠みがいらっしゃるだろうと思います。その方たちが折りに触れて、喜びや悲しみや、美しいものを見たときの感動、何かうれしいことのあったときの喜びっていうふうなものを歌いながら、過ごしていらっしゃるのではないかと思われます。
 行けば行くほど遠くなる山っていうものがありますけれども、本当に歌っていうものは、これでもう大丈夫だっていう際限のないものでございまして、私なども40年たって、やっと自分の歌いたいことが、ある程度歌えるなという感じがいたしますし。それから、昔よく題詠っていうのがありまして、私が小さい頃など、お勅題で『海上雲遠し』とか、そういうような題が出されて歌を作ることが、小さい頃ございましたけれども、その題を出されて10分もすれば、それにふさわしい歌ができるんじゃないかなと思うまでに、40年かかったような気がいたしますのです。ですから、歌の成らないのを嘆くよりも、まず、歌を作る期間が短いのだということを自覚なされば、そう悲しむこともなく長い間、自分を達成するというか、誰彼と比較するというのではなくて、自分らしい歌が作れていくと、そういう道になるのではないのかと思います。
 私が歌を本格的に始めたのが24歳のときでございましたけれども、そのときに私の師匠の木俣修という人が、「歌はマラソンだよ」と教えました。私は必死に走ればあのゴールに到達するもんだと思って、必死に走り出した感じでございましたが、それをたしなめるようにして、私に師匠は「歌はマラソンだ。そんなに、短距離競走のように、息せき切って走って倒れ込むようなものじゃないよ。一生かかって走るんだよ。敵は自分だよ」とおっしゃいました。相手のない競争のマラソンを走り続けるっていうのが、寂しいといえば寂しい、孤独な歌の道なんだろうと思います。ですから、たまたま何かの賞をいただくとか、そういうようなことがございますけれども、それは本当に運命のようなものでございまして、例えば、私の第2歌集っていうのが、日本歌人クラブ賞をいただきました。そのときも、たまたま他に競争の、いい歌集が同じ年代の人に出なかったからいただけたのであって、その翌年に『不文の掟』という第2歌集ができていたら、いただけなかっただろうと私は思いました。そういうふうに、賞などというものも、大変運命的なものでございますし、必ずしもその人の実力というものが評価されるんじゃなくて、そのときの運命のようなものだと思います。埼玉県の短歌大会とか、何々市の短歌大会とかいうのがございますけれども、それで1位を得て賞品をいただくのも光栄であり、大変立派なことですけれども、そのときの選者がガラリと変われば、そのときの評価はまた変わりますし、いちいち悲観したりしてはいけない文学なのだろうと思います。自分の中に敵がいる。いつもそういう光栄に憧れたり、人と競争することが悔しかったり、そういうようなことをする自分自身の中に敵がいるのであって、「自分自身を敵にしたマラソンだよ」って言われたのは、私の師匠の言葉であったと思います。自分の中に敵がいるわけで、誰と競争するというようなものではないということですね。自分の生涯の友達として、自分の中の敵と戦って、そして、続けていくのが歌のマラソンなのだろうと思います。
 歌のマラソンは多分、その人の命が終わるときに終わるのであって、勝ち負けは永久につかないマラソンであるかもしれません。そんなような気持ちが、やっとここのところへ来まして、自分の中で定着したように思います。若いときはやはり、功名心もございますから、誰それよりもたくさん歌が載りたいとか、何かの賞を取りたいとか、よく思ったものでございましたけれども、考えてみれば、自分がいただいた賞も運命ならば、いただかなかった賞も運命だろうというふうに考えられるようになって、やっとマラソンが途中まで来たなという感じがいたしているのでございます。
 そんな現代の歌の状況なのですけれども、さて、どういたしましょう。皆さんの歌を、みんなで選びますか。それとも。はい。
 
A- (####@00:08:30)ので、よく分かりませんが、(####@00:08:34)今回が初めて(####@00:08:37)させていただいても(****ダイジョウブデスカ@00:08:39)。
 
大西 私が、皆さんの拝見して、感じたことを申し上げる。他に何かご希望があれば。みんなで選び合うとか、みんなでも批評し合うとか、そういうほうが良ければ、そうでも良うございます。どうでしょう。どういうのがいいですか。作者は伏せてございますね、皆さんの歌。作者伏せたままのほうが、私も言いやすいし、私は、どなたがどれをお作りになったか全然知らないわけで、お互いも知らないわけで、そうした中で私が思ったことを申し上げ、それから、皆さんが、私はそうは思わないということがあれば、またおっしゃる。それでいきますか。それとも。
 
B- 先生に読んでいただいて、ここはこうって、ちょっと限定的にやってもいいんじゃないかなという気がしますけどもね。
 
大西 そうですか。皆さんは、発言なさらないの? 結構ですの。どうなさいましょう。それでやってみますか。では、来週のときにまた考えますか。みんなで点数入れて、みんなも批評し合うとかしますか。それから、お名前は分からないままにしてよろしいですか。私自身も知らない、皆さんも、作者以外は知らない。よろしゅうございますか。分かりました。休憩取らないで良うございますか。このままで? あら、いい音がしました。
 それでは1番の歌から。時間が4時まで。
 
C- はい。若干、何だったら(####@00:10:48)3時頃、いつでもいいですけど、途中で1回(####@00:10:52)てていただいても。
 
大西 はい。じゃ3時までちょっとして、それから休憩取りましょうか。全部で何首でしょう。
 
D- 28ページ。(####@00:11:05)だ。
 
大西 56ですね。そうすると、鈍行で行っていると6時までかかりますから、準急ぐらいで飛ばしながら、全体に届くようにいたしましょうか。56首目まで届くように、ちょっとスピードを上げまして、考えたことを申し上げます。
 『きょうよりも明日への一歩願いつつ母もひと針共に進まん』『きょうよりも明日への一歩願いつつ母もひと針共に進まん』。『久々に晴れし朝(あした)の目にまぶし運動会のさざめき聞こゆ』『久々に晴れし朝の目にまぶし運動会のさざめき聞こゆ』。さあ、この歌では、最初の『きょうよりも』の歌では、子どもが日に日に進歩していくのを見て、作者であるお母さんも一緒に子どもと負けないように、進歩のある生活をしたいと思っている。そのことを、『母もひと針共に進まん』と表現していらっしゃるんですね。多分このお母さんは、針仕事などをよくなさるお母さまなのでしょう。ですから、日に日に進歩していくという気持ちを『母もひと針共に進まん』というふうに表現していらっしゃるんだと思います。『きょうよりも明日への一歩願いつつ母もひと針共に進まん』。というようなことが、女の私には分かるわけですね。『母もひと針共に進まん』ということで、このお母さんは、針仕事を日ごとなさっていて、そのひと針を進むように、進歩のある生活をしたい、張りのある生活をしたい、と思っていらっしゃるのだなということが分かります。
 それから、次の一首は、晴れた朝の運動会の遠いざわめきが聞こえてくる。それが、長い雨の後の久々の晴れた日だったので、目にまぶしいように明るい朝だった。遠くから、運動会のざわめきが聞こえてきて、本当に運動会の日、晴れて良かったなという、そういう気持ちが表れているでしょう。
 両方とも、作者が歌いたいことが歌えていると思いますね。ここが歌の第一歩であろうと思います。まず、歌いたいことを思った通り歌うということが、歌の第一歩になりますから。その作者の、進歩していこう、子どもに負けまいと思う努力の気持ち、それから、運動会の日に晴れて良かったなという気持ち。それがそのまま出ておりましょう。ですから、これでよろしいのです。歌の第一歩として、出発点が間違っていないと思います。
 2番。『諸人にとわの別れを惜しまれつ木槿咲く道兄を送りぬ』『諸人にとわの別れを惜しまれつ木槿咲く道兄を送りぬ』。『喉病みて通うた道は桜散りはや木犀の香り漂う』『喉病みて通うた道は桜散りはや木犀の香り漂う』。最初の歌は、お兄さんを亡くした悲しみを歌っているのでしょう。諸人ですから、多くの人に送られて、もう二度と会えない、永久の別れを惜しまれながら、お兄さんのひつぎがムクゲの咲く道を去っていった、それを送った。そういう歌ですね。ここの歌で、言葉で直す所が、惜しまれつというところですね。惜しまれながらということですので、惜しまれつつとなるのですね。『諸人にとわの別れを惜しまれつつ木槿咲く道兄を送りぬ』。何々しながらというときは、「つつ」ということになります。多少字余りになっても、正しい言葉を使うように。何々しつつとなります。惜しまれつということになると、言葉の終止形になって、惜しまれた、というふうに解釈される言葉になりますから、意味が違ってしまいますからね。『惜しまれつつ木槿咲く道兄を送りぬ』。ちょうどムクゲの咲く頃、初秋の頃なのでしょうか。お兄さんが亡くなられて、送られていく。もう二度とお会いできないお別れなのだということですね。
 それから、2番目のほうの歌では、喉を病んで病院に通った、その月日が長かったことを嘆いた歌だと思います。喉を病んで通うた。通うた、っていうのは、ウ音便を使っていますけれども、ちょっと口語くさくなりますから、通いし、でいいでしょうね。通いし道。『喉病みて通いし道は桜散りはや木犀の香り漂う』。通院をしていた頃、桜が咲く頃だった。その桜の花も散り、夏が過ぎ、そしてモクセイの香りが漂う頃になってしまった。そういう、喉の病の癒え難さっていうふうなものを、嘆いているのでしょうね。桜の花の頃だったのに、通院し始めてからもう夏が過ぎ、暑い夏だったがそれも終わって、モクセイの花が咲きだすようになったという、その闘病のつらかった、長かった、そのことを嘆いた歌だろうと思います。
 この2首の場合は、言葉遣いに気をつけることですね。惜しまれつつというふうに、きちっと文法にかなった言い方をすること。それから、『喉病みて通うた』っていうのは、小唄などでは、通うたっていうふうなこと言いますけれども、歌は口語にパッチリしてしまうか、そうでなければ文語で正しく書くか、どっちかだと思います。『喉病みて』と文語で書いてありますね、上のほうが。ですから、それに続けて『通いし』ときちっと文語で作らなければいけないところです。これもよろしいでしょう。亡くなった方を送らなければならない、悲しい花の歌。それから2首目は、長い病院通いの生活を嘆いた歌ということで、よろしいと思います。
 それから3番。『身まかりてもだせる母の額にはかすかなぬくみわれを待ちたり』『身まかりてもだせる母の額にはかすかなぬくみわれを待ちたり』。『二箇年の病床は今空にして慌ただしくも野辺の支度す』『二箇年の病床は今空にして慌ただしくも野辺の支度す』。お母さまを亡くされた方の歌。駆けつけたときは、もう身まかっておられる。身まかるっていうのは、身をまかるということですから、死ぬということですね。まかるっていうのは、出掛ける、出ていっちゃうということですね。身をまかるということですので、亡くなる、死ぬということを、身まかると申します。もう亡くなってしまって、ものを言わないお母さん。そこへ、作者は駆けつけたわけでしょうね。ところが、作者を待っているかのように、その触ってみたお母さんの額が、温かかったという歌でしょう。『身まかりてもだせる母の額にはかすかなぬくみわれを待ちたり』。自分を待っていたかのように、触ってみた額があったかかった。まだ冷たくはなっていなかったときに駆けつけた。なんとも言えない悲しみを、悲しいともなんとも書いていなくて、十分に分かりますね。駆けつけたときに亡くなっていて、もう何も言えなかったお母さんが、かすかに額にぬくみを残しておいてくれた。それは、自分を待っていたのではなかったろうかと、そう歌っていらっしゃいます。
 2首目を見ますと、そのお母さんは2カ年病床におられたということが分かる。そして、2年もの長い間、病んでおられた。それなのに、そのことも今むなしくなって、そして、2年間の歳月を置き忘れたように、慌ただしいお葬式の準備が始まってしまう、そういう場面ですね。その2年間の長さに比べると、弔いの準備などというものは、肉親の手を離れて、事務的に慌ただしく処理されていきますね。それかつらいんですね、作者はね。2年間の病床、闘病生活もむなしくなってしまって、なんと慌ただしいお葬式の準備だろう。お母さんですから、作者も親族の、直系親族ですから、大急ぎで喪服を整えたり、髪を結ったりしなければなりませんね。そういう慌ただしい葬りの準備に追われてしまう、そういう場面を歌っています。
 この方は、お母さまを2カ年の病床の後、亡くされたのですから、もっと歌がおできになると思います。この2首だけではなくて、その後、いろいろな葬りの行事がございますね。それを克明に記しておかれることも、子どもの務めでございましょう。やがて初七日が過ぎ、三七日が過ぎて、亡くなった人は遠ざかっていきますが、遠ざかっていくと同時に悲しみっていうものは、胸の中に沈澱してたまっていきます。そういうことを心ゆくまで歌ってみるということが、人を弔う歌であろうと思いますね。そして、その方が生きた証しというのは、たった1枚のお位牌にしかなりませんが、その方の生きていた当時のことを残すものとして、写真よりももっと真実みのあるものが、歌であろうと思うんです。ですから、亡くなった方が身辺にいる方は、十分にそのことを歌い尽くしてあげるということが、亡くなった方への魂鎮めでもあり、残された者の魂鎮めでもあると、私は思います。ですから、私は妹を喪ったときに、これでもか、これでもかと、笑われるほど妹の歌を作りました。作っていた間に魂が鎮まっていくのですね。多分、残された者の魂が鎮まっていくっていうことは、亡くなった人もそれだけ報われるのではないのかなという気がいたしますね。誰かを、肉親を喪ったような方は、心ゆくまで、その方を思う歌、その方の思い出を歌ってあげることが何よりでございます。
 4番。『住着きし狭庭の蛙声そろえ雨降る前に合唱するなり』『住着きし狭庭の蛙声そろえ雨降る前に合唱するなり』。『幼らと待ちに待ちたる運動会は長雨やみて秋晴れの日』『幼らと待ちに待ちたる運動会は長雨やみて秋晴れの日』。さて、4番の1首目のほうは、カエルの合唱です。住み着きしと言うときは、住まず、住みたりと活用しますから、住みから、「み」から送り仮名を入れますね、住み。送り仮名というのは今、大変乱れておりますけれども、大体においては、活用するところから振ります。活用するところ、住むという言葉は、昔学校でお習いになったでしょう。住まず、住みたり、住むと、四段活用ですね。すると、住まず、住みから振ることになりますね。住み着きし、「み」を平仮名で入れてください。『住み着きし狭庭の蛙声そろえ雨降る前に合唱するなり』。いつの間にか自分の、狭い庭のことを狭庭、この、狭い庭と書いて狭庭と読ませますし、それから小さい庭とも書きますが、狭庭というのは、狭い庭、小さい庭、特に小さくなくても、自分の家のお庭を謙遜して言うときに、狭庭と使います。自分の家の小さい庭に、いつの間にか住み着いたカエルがいて、雨の降る前には、それを予告するように合唱を始めるのです、という歌で、この一首はおおらかで、面白いと思いました。自分の庭も狭いばかりに声をそろえて、カエルたちが合唱する。カエルっていうのは、湿度に敏感な動物だそうでして、雨の気配をいち早く知って、それを鳴くことができる動物ですね。そのカエルたちが一斉に合唱するという、雨の降る前のそんな感じをつかんでいると思います。
 それから、2番目のほうは、運動会の日に晴れたという歌ですね。1番にも、その歌がございました。『久々に晴れし朝(あした)の目にまぶし』、『幼らと待ちに待ちたる運動会』、どっちがよろしいですか。『久々に晴れし朝の目にまぶし運動会のさざめき聞こゆ』。『幼らと待ちに待ちたる運動会は長雨やみて秋晴れの日』。どちら? 単純に比較して。1番のほう? 1番のほうが整っていますのね、整っている。そういうふうに比較して考えますと、こっちのほうが整ってるんじゃないかなっていう感じがするのですね。ただ、1番のほうはね、作者の家に幼子がいるかどうか分かりませんね。