さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

全短歌(10824首)

全短歌(歌集等)

短歌

 
若き日を        鬼百段の        坐りゐて        荒縄を         
丘の上に        粉末を         言ひ出でて       をりをりに       
今にして        踊りの輪を       販売機より       新しき         
印捺して        目を凝らし       指先に         幾重にも        
パンの顔を       暗黒の         帰りゆく        遠ざかり        
たのしよと       見下ろしに       湧き出でて       うちつけに       
物を言ふ        もう一人        交替の         屈するは        
計算機を        迎合の         働くことは       手袋の         
満員の         美しき         形代を         亡きあとの       
うるほひて       姿なく         毛皮もて        塹壕は         
山鳩の         浜木綿の        台詞の無い       病室の         
窓をあけぬ       二十日寝て       待ち時間        トラックの       
堕天使には       幾ひらの        雪国は         さまざまに       
バッテリー       堰さへも        降り出づる       信号を         
美しき         家に待つ        劇薬と         どのやうに       
朝霧を         高まりつつ       重量を         うすら赤く       
太き茎を        足もとの        ほろびゆく       われの名を       
いつまでも       窓ガラスを       玉乗りの        幼くて         
舞台の上は       すべあらぬ       遠ざかり        双眼鏡の        
あらはなる       楕円形の        一本の         黒板に         
壁面の         地表にいま       ひさびさに       菜の花も        
雨のはれまの      錫いろに        雨季迫る        人を降ろし       
さまざまに       カンテラを       無防備に        蔓薔薇の        
夜は夜の        吹き降りの       印度更紗の       畳一枚が        
渦なして        輪郭の         魚の群れに       百合活けて       
 
 
 

07960
若き日を 知らねば母の 簪の 一つさへわが 見たることなき
ワカキヒヲ シラネバハハノ カンザシノ ヒトツサヘワガ ミタルコトナキ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.44


07961
鬼百段の 階ありといふ 夜もすがら ミシン踏むとも いくばくを縫ふ
オニヒャクダンノ カイアリトイフ ヨモスガラ ミシンフムトモ イクバクヲヌフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.44


07962
坐りゐて 胸の騒げり わがなかに 今まざまざと ゐる敵一人
スワリヰテ ムネノサワゲリ ワガナカニ イママザマザト ヰルテキヒトリ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.44


07963
荒縄を 帯に巻けるも 聖者ゆゑ ひとりひとりが さだめをになふ
アラナワヲ オビニマケルモ セイジャユヱ ヒトリヒトリガ サダメヲニナフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07964
丘の上に 残れる木立 きはだてて 人工光線の ごとき夕映え
カオノウエニ ノコレルコダチ キハダテテ ジンコウコウセンノ ゴトキユウバエ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07965
粉末を 手に握るときの 感触を 思へり遠く 施肥なす見つつ
フンマツヲ テニニギルトキノ カンショクヲ オモヘリトオク セヒナスミツツ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07966
言ひ出でて 歎くことにも あらざれば 並びて待ちて 切符を買ひぬ
イヒイデテ ナゲクコトニモ アラザレバ ナラビテマチテ キップヲカヒヌ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07967
をりをりに 現るる扉の ごときもの とばりのごとき ものに救はる
ヲリヲリニ アラワルルトビラノ ゴトキモノ トバリノゴトキ モノニスクハル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07968
今にして 迷ふと知らば かなしまむ 死者に思ひの 近づきてゆく
イマニシテ マヨフトシラバ カナシマム シシャニオモヒノ チカヅキテユク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07969
踊りの輪を 脱け出でてひとり くらがりに ゐたりし夢の あとへ続かず
オドリノワヲ ヌケイデテヒトリ クラガリニ ヰタリシユメノ アトヘツヅカズ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.45


07970
販売機より をどり出でたる 銅貨二枚 地面の闇に 吸はれてしまふ
ハンバイキヨリ ヲドリイデタル ドウカニマイ ジメンノヤミニ スハレテシマフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07971
新しき 持ち場に慣れて ゆく日々に 木蓮の花も 終らむとする
アタラシキ モチバニナレテ ユクヒビニ モクレンノハナモ オワラムトスル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07972
印捺して おきたるのみに われの手に また戻りたり 古りし楽譜は
インオシテ オキタルノミニ ワレノテニ マタモドリタリ フリシガクフハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07973
目を凝らし 獲物を待つと いふごとき 緊迫もなく 過ぎむ一生か
メヲコラシ エモノヲマツト イフゴトキ キンパクモナク スギムヒトヨカ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07974
指先に 視線あつめて 織られゆく ひとすぢの縞の オプティミズムよ
ユビサキニ シセンアツメテ オラレユク ヒトスヂノシマノ オプティミズムヨ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07975
幾重にも かかれる橋の 見えてゐて 川上の橋を 電車に渡る
イクエニモ カカレルハシノ ミエテヰテ カワカミノハシヲ デンシャニワタル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07976
パンの顔を まるく陽気に 描きたり ピカソもいまだ 若かりしかば
パンノカオヲ マルクヨウキニ エガキタリ ピカソモイマダ ワカカリシカバ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07977
暗黒の 空にありたる 断片の 虹も消えたり 画廊出づれば
アンコクノ ソラニアリタル ダンペンノ ニジモキエタリ ガロウイヅレバ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.46


07978
帰りゆく ほかはあらぬか 人の手に われの切符は 買はれてしまふ
カエリユク ホカハアラヌカ ヒトノテニ ワレノキップハ カハレテシマフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07979
遠ざかり 来しわれは何の かたまりか 水のほとりに 声もなくゐる
トオザカリ コシワレハナンノ カタマリカ ミズノホトリニ コエモナクヰル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07980
たのしよと のみに啼くにも あらざらむ ゆふべ雲雀の 複数のこゑ
タノシヨト ノミニナクニモ アラザラム ユフベヒバリノ フクスウノコヱ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07981
見下ろしに 描ける村の 全景に 望楼ありて 一人昇れる
ミオロシニ エガケルムラノ ゼンケイニ ボウロウアリテ ヒトリノボレル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07982
湧き出でて 身を押し包み 去りてゆく 霧のごときか わがかなしみは
ワキイデテ ミヲオシクルミ サリテユク キリノゴトキカ ワガカナシミハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07983
うちつけに 愕くことの 少なきを 恃みて人の さまざまに問ふ
ウチツケニ オドロクコトノ スクナキヲ タノミテヒトノ サマザマニトフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07984
物を言ふ をりをりにのみ 存在し 人ら並べり ながき会議に
モノヲイフ ヲリヲリニノミ ソンザイシ ヒトラナラベリ ナガキカイギニ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.47


07985
もう一人 入れて写真を とらむとし 事務所よりたれか 出で来るを待つ
モウヒトリ イレテシャシンヲ トラムトシ ジムショヨリタレカ イデクルヲマツ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07986
交替の 準備なしつつ 一人一人の 存在濃ゆく なる時間帯
コウタイノ ジュンビナシツツ ヒトリヒトリノ ソンザイコユク ナルジカンタイ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07987
屈するは 膝のみとして 立ち直る 若き日ありき 勤めて長き
クッスルハ ヒザノミトシテ タチナオル ワカキヒアリキ ツトメテナガキ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07988
計算機を 打ちて二時間 今のわれは 数値詰めたる 袋のごとき
ケイサンキヲ ウチテニジカン イマノワレハ スウチツメタル フクロノゴトキ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07989
迎合の 思ひ湧くとき 信号が 青にかはりて こと無きを得つ
ゲイゴウノ オモヒワクトキ シンゴウガ アオニカハリテ コトナキヲエツ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07990
働くことは よごるることか 帰り来て ブラウスを洗ふ ゆふべゆふべに
ハタラクコトハ ヨゴルルコトカ カエリキテ ブラウスヲアラフ ユフベユフベニ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07991
手袋の チュールに透かす トパーズを 賜ひし人も すでにおはさぬ
テブクロノ チュールニスカス トパーズヲ タマヒシヒトモ スデニオハサヌ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07992
満員の バスにゆられて 通ひつつ 帰りには見ず 桃の花さへ
マンインノ バスニユラレテ カヨヒツツ カエリニハミズ モモノハナサヘ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.48


07993
美しき 断崖として 仰ぎゐつ 灯をちりばめし ビルの側面
ウツクシキ ダンガイトシテ アオギヰツ ヒヲチリバメシ ビルノソクメン

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07994
形代を 燃して焔を 立てしのみ 雛の夜を睦まむ 妹はゐず
カタシロヲ モシテホノオヲ タテシノミ ヒナノヨヲムツマム イモウトハヰズ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07995
亡きあとの 家を守りつつ 釘一本 打てざりし人 なりしを思ふ
ナキアトノ イエヲマモリツツ クギイッポン ウテザリシヒト ナリシヲオモフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07996
うるほひて 固まる砂と 思ふまで 鎮まりてあり こよひのわれは
ウルホヒテ カタマルスナト オモフマデ シズマリテアリ コヨヒノワレハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07997
姿なく 来るといふことも あるらむか 思ひ直して ミシンを踏みぬ
スガタナク クルトイフコトモ アルラムカ オモヒナオシテ ミシンヲフミヌ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07998
毛皮もて 耳を覆へる 写真など 出で来て戦争の 記憶を返す
ケガワモテ ミミヲオオヘル シャシンナド イデキテセンソウノ キオクヲカエス

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


07999
塹壕は 何に見えしや たどりつきて 落ち込みざまに 果てしと伝ふ
ザンゴウハ ナニニミエシヤ タドリツキテ オチコミザマニ ハテシトツタフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.49


08000
山鳩の しき鳴く聴けば 戦場の 雑木林も 芽ぐまむころか
ヤマバトノ シキナクキケバ センジョウノ ザウキバヤシモ メグマムコロカ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08001
浜木綿の もつるる花を 見て醒めて もやもやとせり 天井の闇
ハマユウノ モツルルハナヲ ミテサメテ モヤモヤトセリ テンジョウノヤミ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08002
台詞の無い ドラマのやうな 五日経て まだ生きてゐる 喉乾きゐる
セリフノナイ ドラマノヤウナ イツカヘテ マダイキテヰル ノドカワキヰル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08003
病室の 螢光灯も 天井に はりつけられて 窮屈に見ゆ
ビヨウシツノ ケイコウトウモ テンジョウニ ハリツケラレテ キュウクツニミユ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08004
窓をあけぬ 限りは見えぬ 安らぎに 椋鳥らしき 気配聴きゐる
マドヲアケヌ カギリハミエヌ ヤスラギニ ムクドリラシキ ケハイキキヰル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08005
二十日寝て 窓をあくれば わが庭の 春のもみぢの うすくれなゐよ
ハツカネテ マドヲアクレバ ワガニワノ ハルノモミヂノ ウスクレナヰヨ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08006
待ち時間 長くなりつつ 家族の無き ことなどもつひ 言わねばならず
マチジカン ナガクナリツツ カゾクノナキ コトナドモツヒ イワネバナラズ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08007
トラックの 停りてあれば 思はざる 大きタイヤを 目の前に見す
トラックノ トマリテアレバ オモハザル オオキタイヤヲ メノマエニミス

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.50


08008
堕天使には なり給ふなと いう言葉 十年過ぎて をりをり還る
ダテンシニハ ナリタマフナト イウコトバ ジュウネンスギテ ヲリヲリカエル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08009
幾ひらの 花びら濡れて 貼られたる バッグを膝に しばらく憩ふ
イクヒラノ ハナビラヌレテ ハラレタル バッグヲヒザニ シバラクイコフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08010
雪国は 一気に何の 花も咲く 幼くて見し あんずの花よ
ユキグニハ イッキニナンノ ハナモサク オサナクテミシ アンズノハナヨ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08011
さまざまに 縛られてゐむ 水晶は つねつめたしと 思ひなどして
サマザマニ シバラレテヰム スイショウハ ツネツメタシト オモヒナドシテ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08012
バッテリー ライターと謂へり 思ひ切り 高く焔を 伸ばしてあそぶ
バッテリー ライタートイヘリ オモヒキリ タカクホノオヲ ノバシテアソブ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08013
堰さへも みづから作り とどまると 未だ残れる 力を思ふ
セキサヘモ ミヅカラツクリ トドマルト イマダノコレル チカラヲオモフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08014
降り出づる 気配知りつつ 起ちがたし もう少しにて 見境がつく
フリイヅル ケハイシリツツ タチガタシ モウスコシニテ ミサカイガツク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.51


08015
信号を 待つときのまに 風の来て 和服の人の 殊に吹かるる
シンゴウヲ マツトキノマニ カゼノキテ ワフクノヒトノ コトニフカルル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08016
美しき 手を持つ少女 仰ぎ見て 白のベレーを かぶれるも見つ
ウツクシキ テヲモツショウジョ アオギミテ シロノベレーヲ カブレルモミツ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08017
家に待つ 仕事思ひて 帰る道 裾がおもたし 冬のコートは
イエニマツ シゴトオモヒテ カエルミチ スソガオモタシ フユノコートハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08018
劇薬と なる分量も 意識して のまねば癒えず 古りたる傷は
ゲキヤクト ナルブンリョウモ イシキシテ ノマネバイエズ フリタルキズハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08019
どのやうに 高度を測る 鴎らか 這ひ松の上を すれすれに飛ぶ
ドノヤウニ コウドヲハカル カモメラカ ハヒマツノウエヲ スレスレニトブ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08020
朝霧を 透かして山の 見え初めぬ なづみつつ描く 下絵のごとく
アサギリヲ カスシテヤマノ ミエハジメヌ ナヅミツツカク シタエノゴトク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08021
高まりつつ 迫れる波の つぎつぎに 光の束を ほどきて崩る
タカマリツツ セマレルナミノ ツギツギニ ヒカリノタバヲ ホドキテクズル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08022
重量を 増して一気に 落ちむとし 入り日はしばし 赤くくるめく
ジュウリョウヲ マシテイッキニ オチムトシ イリヒハシバシ アカククルメク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.52


08023
うすら赤く 太れるトマトを 押し上げて ゐる力など 今なら見ゆる
ウスラアカク フトレルトマトヲ オシアゲテ ヰルチカラナド イマナラミユル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08024
太き茎を あらはに倒れし 蕗見れば 嵐のあとの 風生臭し
フトキクキヲ アラハニタオレシ フキミレバ アラシノアトノ カゼナマグサシ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08025
足もとの 今淵なせり ひとたびは 沈まむほどの 気概湧き来よ
アシモトノ イマフチナセリ ヒトタビハ シズマムホドノ キガイワキコヨ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08026
ほろびゆく 肉体のなか 最後まで 生きて見えゐむ わが目と思ふ
ホロビユク ニクタイノナカ サイゴマデ イキテミエヰム ワガメトオモフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08027
われの名を たれか呼ばぬか 同じやうな 抑揚に父母は われを呼びにき
ワレノナヲ タレカヨバヌカ オナジヤウナ ヨクヨウニフボハ ワレヲヨビニキ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08028
いつまでも 憶はるることも つらからむ アネモネの束を 供華に賜ひぬ
イツマデモ オモハルルコトモ ツラカラム アネモネノタバヲ キョウキニタマヒヌ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08029
窓ガラスを 対角線に 切りやまぬ 雨見てあれば 次第に激す
マドガラスヲ タイカクセンニ キリヤマヌ アメミテアレバ シダイニゲキス

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.53


08030
玉乗りの 少女は声を あげむとし いつまで堪へて 絵のなかにゐる
タマノリノ ショウジョハコエヲ アゲムトシ イツマデタヘテ エノナカニヰル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08031
幼くて 父と行きたる サーカスに 火の輪くぐりの 獅子などもゐき
オサナクテ チチトユキタル サーカスニ ヒノワクグリノ シシナドモヰキ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08032
舞台の上は 萩も芒も 枯れ果てぬ なまじひに言ひて 思ひ伝へず
ブタイノウエハ ハギモススキモ カレハテヌ ナマジヒニイヒ オモヒツタヘズ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08033
すべあらぬ 思ひなれども 芽ぶきたる 柳などより はるかになびく
スベアラヌ オモヒナレドモ メブキタル ヤナギナドヨリ ハルカニナビク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08034
遠ざかり ゆく帆船の 信号に 濁れりといふ 春のうしほは
トオザカリ ユクハンセンノ シンゴウニ ニゴレリトイフ ハルノウシホハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08035
双眼鏡の 円に入り来る 椎若葉 一枚づつに ほぐれてうごく
ソウガンキョウノ エンニイリクル シイワカバ イチマイヅツニ ホグレテウゴク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08036
あらはなる よろこびに似む 風出でて 樟の若葉の ささめきあふは
アラハナル ヨロコビニニム カゼイデテ クスノワカバノ ササメキアフハ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08037
楕円形の 大き鏡に 映りゐる 階段をたれか とく降りて来よ
ダエンケイノ オオキカガミニ ウツリヰル カイダンヲタレカ トクオリテコヨ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08038
一本の 木としてわれを 思ふとき 花の終りに 降る雨寒し
イッポンノ キトシテワレヲ オモフトキ ハナノオワリニ フルアメサムシ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08039
黒板に 書かれし数字 地殻の持つ 思ひみがたき 厚みを救ふ
コクバンニ カカレシスウジ チカクノモツ オモヒミガタキ アツミヲスクフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08040
壁面の 地図に朝鮮 半島も サハリンも滴 垂るるかたちす
ヘキメンノ チズニチョウセン ハントウモ サハリンモシズク タルルカタチス

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08041
地表にいま ボール一つが 残されて 外切円を なしてしづまる
チヒョウニイマ ボールヒトツガ ノコサレテ ガイセツエンヲ ナシテシヅマル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08042
ひさびさに ピアノ弾かむに 今朝のみし 薬の匂ひ 指に残れる
ヒサビサニ ピアノヒカムニ ケサノミシ クスリノニオヒ ユビニノコレル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.54


08043
菜の花も 穂先まで咲きて 咲き終へぬ 思ひ遂ぐると いふやさしさに
ナノハナモ ホサキマデサキテ サキオヘヌ オモヒトグルト イフヤサシサニ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08044
雨のはれまの あかるき声を 渡しゐる 陸橋が視野に ありて近づく
アメノハレマノ アカルキコエヲ ワタシヰル リッキョウガシヤニ アリテチカヅク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.55


08045
錫いろに ひろがりて木々を 覆はぬか 地にしづまれる 一枚の箔
スズイロニ ヒロガリテキギヲ オオハヌカ チニシヅマレル イチマイノハク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08046
雨季迫る きざしかわれの 足音の タイルに吸はれ 廊を往き来す
ウキセマル キザシカワレノ アシオトノ タイルニスハレ ロウヲユキキス

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08047
人を降ろし また乗せて発つ バスの持つ 安定感を 振り返り見つ
ヒトヲオロシ マタノセテタツ バスノモツ アンテイカンヲ フリカエリミツ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08048
さまざまに 人の訪ひ来て 言ふ聞けば イドラのわれは いづくさまよふ
サマザマニ ヒトノトヒキテ イフキケバ イドラノワレハ イヅクサマヨフ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08049
カンテラを とぼして見ゆる ものを見む 残り少なし 光の量も
カンテラヲ トボシテミユル モノヲミム ノコリスクナシ ヒカリノリョウモ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08050
無防備に 行くといふには あらざらむ 身に寸鉄も 帯びずといへり
ムボウビニ ユクトイフニハ アラザラム ミニスイテツモ オビズトイヘリ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08051
蔓薔薇の 棘のさだかに 見えゐしが もやだつ雨に つつまれゆけり
ツルバラノ トゲノサダカニ ミエヰシガ モヤダツアメニ ツツマレユケリ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08052
夜は夜の 仕事にまぎれ 日中に ありたることの なべて思はず
ヨハヨルノ シゴトニマギレ ニッチュウニ アリタルコトノ ナベテオモハズ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.56


08053
吹き降りの 雨となりつつ 夜に聴けば 風の声のみ 折り返しくる
フキフリノ アメトナリツツ ヨニキケバ カゼノコエノミ オリカエシクル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08054
印度更紗の 布をひらきぬ 目に見えて はかどる仕事 こよひはしたく
インドサラサノ ヌノヲヒラキヌ メニミエテ ハカドルシゴト コヨヒハシタク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08055
畳一枚が 持てるほどよき 大きさに 一枚として 見つつ驚く
タタミイチマイガ モテルホドヨキ オオキサニ イチマイトシテ ミツツオドロク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08056
渦なして 中心のなき 思ひより ふと抜け出でて 夜明けを眠る
ウズナシテ チュウシンノナキ オモヒヨリ フトヌケイデテ ヨアケヲネムル

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08057
輪郭の ほほけて夢に あらはるる までに古りたり 鍵のゆくへも
リンカクノ ホホケテユメニ アラハルル マデニフリタリ カギノユクヘモ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08058
魚の群れに 混りゐたれば 人間の わが名呼ばれて 大き口あく
ウオノムレニ マジリヰタレバ ニンゲンノ ワガナヨバレテ オオキクチアク

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57


08059
百合活けて 壺のおもたき 日と気づく 顎に触れたる 花のつめたさ
ユリイケテ ツボノオモタキ ヒトキヅク アゴニフレタル ハナノツメタサ

『短歌』(角川書店 1978.7) 第25巻7号 p.57