さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[や~よ]

酔ひをれば憚りもなく大声に線路距ててものを言ひあふ
養生に合はぬ魚卵も漬けこみてひとりのわれの寒き年の瀬
洋梨のラ・フランスとぞしたたかに起伏の大き表皮を持てり
やうやうにたどり着きしよ食物を買ひ溜めてこもる連休二日
やうやくに雨上りたり前山の三角帽子霧吹きて立つ
世を捨てしとにあらねども水底の小石のごとき朝のしづけさ
夜が明けて煙は白くなりてをり野の工場一つ焼けおちしのち
よからぬかよきか知らねど五十年歌はず過ぎて来しことのあり
翌年の春のことなどはかり難くクリーニングも出さず過ぎにき
よくばりのわれの歌よとよみかへす見えざる白帆をゆかせたりして
よく見れば点らぬ電球もありたりと帰り来てより子は言ひしとぞ
横雲のかかれる山をそのまゝにまがりてしまふ高速道は
横ざまに細く光の筋映す波が見えゐて沖はいさり火
横線の上に大きくカナダの地図教会の脇の家に棲むとぞ
横笛を習ふ主もさびしきかくれぐれなどにをりをり吹きて
よごれゆくのみに日を経て残雪は膜を張りたるごとくに乾く
夜桜の空間の紺に置かれし昔の月はうつすら白し
寄せて来ていとまもあらぬ勢ひに声あぐる波息を吸ふ波
よそほふといふより繕ふこと多く苦しくなりぬ鏡の前も
四つん這ひになるともわれの守るべきもののやうやと見ゆると思ふ
夜に入りて篝火の秀の明るめば背景の樅の木の葉照りそふ
夜に入りて肩疲るるはゴム編みの手首がきつきゆゑかも知れず
夜に入りて芯まで濡れし屋根ならむつかぬ思ひをしつつ覚めゐる
四人して腕組みゆけどめぐりいは風吹くばかりいづこも迷路
夜の明けにウィンブルドンのテニス見るわが秘事未だ告発されず
世の移るままといへども手触りの粗くなりたる原稿用紙
夜の風は何か促しゐる如し壁にもたれてソックスをはく
夜の惨劇ありしとふ町われの知らぬ町なりしことにふと心退く
夜の苑の葉鶏頭ゆゑ身の丈にぐらりとゆらぐ髪の如くに
夜のとばりといふが下りくるところならむしんとしてをり耳をすませば
夜の橋を渡りてゆけばきらきらと何か輝き金物の店
夜の更けにかかれる電話慰めて慰められてさびしかりけり
夜の更けに仕事終へ来し自動車の帰る気配に踏み板の音
夜の更けに目につくものより片付けて置き場替へたるのみに終はりし
夜の更けの霰の音に驚きて出づれば向かひの主婦も出でゐつ
夜の更けのパートの仕事主婦たちは芝生に散らばるボールを拾ふ
夜の更けの道を帰れば湯の音せり湯を抜く音のする家の前
呼びやまぬ海をそびらに新しき塩を掬ふべきわが手を思ふ
呼び鈴を再び押して一歩二歩既に離(か)れをりわれの心は
夜更かしによいとの如し町角の年中無休のスーパーの灯は
夜更けよりあけ方にかけて星降るといくたびも言へど出でて行かれず
呼ぶ声の澄みて幼き妹よ誰がためとも疾くわれは癒えたき
嘉(よみ)されし手を持つと人に言はれしを宝の如く思ふ日のあり
よみぢとて暑くあらずや帰り耒て氷の水をささげまゐらす
読みつなぎつぶれゐる字も推理して堰の掘られしいきさつを知る
よみてゐてさながらうれしまろまろと若者の書くひらがなの文字
読みて知る菊の枕の悲劇など昭和をすぎて遠くなりゆく
よりわけて箱に入れおくかもめーる五十枚ほどになりてやさしき
夜のまに干潟干潟のつながりて足跡もなく行き来するとぞ
よろづやといふ店が角にありしかば買ひて貰ひて限り知られず
夜半醒めて遠こがらしを追ひてをりわが魂も駆けゐむころか
夜半ひとり歩みゐて誰も怪しまぬ不可思議の世とふと思ひたり
世渡りの技巧などとかつて蔑みてその世渡りに今喘ぎつつ