さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[や~よ]

夕刊を取りに出づればおぼろ夜を分けて近づく声ありにけり
夕ぐれの長きうちにと誘はれて狭山丘陵のほとりまで耒ぬ
夕ぐれのねぐらへ帰るみちすがら熟れたる柿を鴉はつつく
夕ぐれの光のなかに朝顔は全き青となりてしぼみぬ
夕ぐれは神々しきまでに照るといふマッキンリーも見ずに終はらむ
夕ぐれは忽ち襲ひ眩まむに素手のままわがいづこまで追ふ
夕ぐれは波うつやうに迫り来て点りはじむる思ひのごとし
夕ぐれは干しゐたる物みな仕舞ひ満つる思ひしばしくつろぐ
夕されば幼が母を恋ふに似て所在なく待つ帰りくる娘を
融雪のためのトーチが点されてちりぢりに揺るる夜に会ひにけり
優等生の少女なりしがまっすぐには生きられなかったと訪ね来て言ふ
夕には夕の歌を歌ふならむ森の声もやさしくなりぬ
夕の灯のともりそめたるさゞめきの巷をくぐり来しよ敗北感のまゝ
夕映えを背後にしたるマンションは燃ゆる砦のさまにそばだつ
夕映えに会ひたるものをみな仕舞ひしまひ忘れしものある如し
夕映えにヨットひしめき暗きあり明るむありて帆の乱立す
夕映えの終はらむとして菜畑は火を放ちたるごとくかがよふ
夕映えもせぬまま昏れていづこにか月置く空のむらさき淡し
郵便のあまた束ねて届く日と何も来ぬ日とありて郊外
郵便の嵩の見ゆれど去りやらぬ蜂のまだゐてドアをとざしぬ
夕まけてはろけき沖に海流のあらはに見えて光るをりふし
夕まけて廊に逢ひたるドクターの白衣よごれてゐたりし思ふ
夕焼けに家家の持つ輪郭を木賊のしげみまばらとしつつ
夕焼は水の底まで届くにや底の砂さへかすか茜す
夕闇を透かして未だ見えてをり地上五米ほどに舞ふ蝙蝠は
有料の橋も渡りてゆきしとぞ徒歩順礼より帰り来て言ふ
雪を踏みて待ちゐし子らの四、五人をさらひてゆけりスクールバスは
雪を前に枝おろしされしプラタナスははなればなれの影置きて立つ
雪掻きをなりはひとせる人あるは子供心にかなしかりけり
雪国に生れし性を今に持つ桜吹雪の下ゆくときも    ※
雪国に生れて久しきわれなれば鬼になる日の無しと言はれず
雪雲は深く垂りゐて思ほへばゆくへの知れぬ人一人あり
行き過ぎて人に言はれてふり向けばいきなりぞめくつばなの白さ
ゆきずりに見にしあさがほ唇はすでにすぼめて花形なさず
ゆきずりの駅舎のなかのギャラリーに見たる山の絵けぶらひやまず
ゆきずりの思ひといふもはかなくて新製品といふ養毛剤を買ふ
ゆきずりの華美なる女人を振り返り見つゝはかなし女ごゝろの
逝きたるはたれも訪ひくることなくてポニーテールの少女も見えず
行きて見むよしもあらねど白鳥のもどり耒しとふみちのくの沼
雪の日のカーブミラーはどこまでも白の世界を映してゐたり
雪の日のくれむとしつつ灯の入りし向ひの店にうごく人影
雪の日は翳りを深くおはします聖観音にも会ひまつりたり
雪の日は先が見えなくなる如しドアをあけて郵便を取りたるのみに
雪のままになること一つなき日にて駅を出づればまた雨の坂
雪の夜に母は囁きおんおんと山狼は啼くと教へき
雪の夜のごときしじまに身を置けりいかにしてわが思ひ届けむ
雪除けのお守りなども貼られゐし昔も人は畏れて生きし
雪はすでにやみゐて音なく雨が降る二時間ほどしてポストに出づれば
雪割草の鉢かたはらに寄せ呉れて旅の終りの朝餉ととのふ    ※
ゆくへ追ふことをせざりし罰としてくり返し聞く冬の旅・鳥
ゆく先にわが身の丈の草むらは葉鶏頭にて不意に立ちたり
行く人のひとりひとりに降りかかる桜花びら見つつあとゆく
ゆくりなく思ひ出でてはさびしけれ癒えがたき病を告げ耒し夜の電話
ゆくりなく還る記憶もおほよそにデイルタイを今日読むにもあらず
ゆくりなく競馬が映り斜行とふ反則のさままざまざと見つ
ゆくりなく見し映像に火を噴きてゐたる大蛇も討たれて失せぬ
逝ける日に病室の窓を覆ふまでアキアアカネ来て舞ひしと伝ふ
油断してゐしにあらねどわが肩にかかりくる荷のまざまざと見ゆ
湯の花の香りかそかに残りゐてベットに届く朝の日ざしは
湯の町の丘のなだりはわが知らぬ異国の街のごとくかがよふ
湯の宿に病みつきし人も寒からむ木枯らし一号明日は吹くとぞ    ※
指先を試すごとくに土器片をつなぎつなぎて両耳の壺
指先の力衰えとりおとす軽きものなど殊更にして
指先のやはらかきロボットはまだ無きか触れたる肘は冷たかりけり
指先より力の抜けてゆく如し舞ひやまぬ蝶の群れを見をれば
指染めて蕗を剥きをりもの言はぬめんどりの如くさびしき日にて
夢を見てゐしにあらずや手に触れてほっきり折れぬ細きつららに
夢に出てもの言ふわれは棕梠縄をのせたる如き髪をしてゐつ
夢に見てぱっと割れしは何ならむうすぎぬのごとき風が耒てゐる
夢見ゐしふしぎにわれは性別も分かぬみどり子をあやしゐにけり
夢見たることをうつつに片寄せし机上の辞書の崩れむとする
ゆらめきて宙をゆくときに吸はれたる揚羽の影は土に届かず
ゆり返しゆり返しつつ葱の花ほきと折れたるひと茎無しや
百合の木の並木の道は雨の日と風の日とありて春ならむとす
ゆるやかに裾ひきたまふみほとけの右足の拇指ふつくらとせり
ゆるやかに降る夢にて願ひゐき滝の如くに落ちたしと
ゆれ出づるけはひをりをりきざしつつたしなめて置く感情一つ