さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[は~ほ]

ファンとは他愛なきものてのひらを合はせて大きさ比べたりして
不意に向きを変へし子雀かかはりもなくてついばむ他の雀たち
不意に湧く魚藍の形のなつかしさ父は誰よりわれを愛しき
風圧にフロントガラス曇らせて過ぎてゆきたり黄色の電車
風向計はげしくまはる日なりしがディオールの石鹸を今朝はおろしぬ
風船笛吹いてはねだる子なりしか妹よ大学に入る日となりぬ
風紋の粗き砂丘をのぼりつつ影法師のわれも足をひきゐる
ふかぶかと雪にうもれて春を待つ木の実と思ひてをれば眠りぬ
吹き消してあはき煙を見てをれば蝋の匂ひはかなしみを呼ぶ
ふきのたう白の色ともつかず若松を余分に切りて帰り耒る
吹きまくられて揺れゐむ木の葉思ひつゝ風すごき夜をもの縫ひてをり
副作用を恐れては癒えじと知りをれど波立ちてくる胸もせつなし
副作用のない薬などないのよと気の毒さうに医師は言ひたり
福島の安達郡(あだちごおり)は繭を煮て生臭かりしことを忘れず
福耳を持つと言はれて育ちにき耳の痒くてふと思ひ出づ
服薬をすませて外に出でむとしたちまちにして時を失ふ
不思議さうにされたるはなぜわが好む玉すだれの花と告げにしときに
富士山は雪降れりとぞ物言はぬめんどりの如くさびしき日なり
不純物を含むを知らずエメラルドグリンの沼を見むと行きにし
婦人服の下にたまる冬の落ち葉は心乱るる足の傷にも
不揃ひの高さの百合に蝶のゐて探しものでもするごとく舞ふ
二人ゐて匿れがちなる芦刈りの音を揃へて刈るにもあらず
二人ゐて共に老ゆるもつらからむ遠く火を吐く除夜の篝火
二人妻の手記をよみつゝ泣きし目を帰れる妻に見られじと立つ
縁のなきガラスの鳥のいつのまにつがひの如く並べて置かる
ぶつかるといふこともなく左右より降り来てゆらぐ踏切の棹
ふつくらと煮えし花豆賜ひたりいとま惜しみて炊きたるならむ
仏頭はまなじりをあげ沈み易く昂り易し夏のをはりは
「物量」といふを怖れて思ひにき戦ひの日もをはりに近く
ふと宙に吊られし如しトラックの高き窓から道を問はれて
太々と赤く塗られて夢のなか上昇しやまぬグラフ曲線
ふと見たる素顔のごときやさしさに一枚岩に夕日射しゐし
不仲なりし一人は既に世になくていつしか憎しみはわれに残れる
舟の形鳥居の形の吊りしのぶ軒にありにし昔のゆとり
普遍的な歩幅といふがあるらむか枯れ草に浮く飛び石見れば
父母亡くて数十年を過ぎし今おどけて岩手の言葉を使ふ
ふみこえて進まんとせず夕さればおろおろと夫を待ちつゝ吾よ    ※
踏みても踏みても進まぬ自転車なりにしが夢なりしゆゑまた睡りたり
冬枯れのばらの木は鳥のくちばしのごとき棘を無数に持ちてしづまる
冬枯れの柳並木にきはだちて太くさだかに霜柱はあり
冬ざくら咲く日となりて車椅子押して押されて究極の幸
冬桜咲く村いまは朝発ちと夕発ちのバスがあるのみといふ
冬鳥はもう去りしとふ沼を思へばちりめん皺の波立ちてゐむ
冬の銀河共に仰がむ子もあらずタクシーを降りて大地が暗し
冬の毛のゆたかになれる白犬を抱きあげて人は入りゆきたり
冬の日に白壁の土蔵建ちゐたり昔の富を今に伝へて
ブラインドを上げて明るき夢のなか花の吹き込む窓ありにけり
プラグ挿して回す絵灯篭のやさしさを父も母も姉も知らで逝きにし
フラスコの下半分にすきとほり糸瓜の水のごとくしづまる
プラチナの鎖はもつれしままに置きクラクションに促されて出で来ぬ
プラチナのネックレス磁気を持つといひ生きもののやうに置けば丸まる
フラミンゴの抜き足さし足如何にせむ身を捨てて得る写実と言へり
触られなば縮む部分のあるごとし分厚くまとふ黒のコートを
フランス語の小さき辞書など手に持ちて見知らぬ少女とバス待つ夕べ
降りつもる雪を見をれば逃げ道をふさがれてしまふけものもあらむ
振り向かず別れゆかんよなまぬるき言葉などにて何癒やさるる    ※
ふりむけば落ちくる雲雀の声のして影から先に草に沈めり
ふりむけば灯をちりばめて誰の住む町とも知れず過ぎて来にけり
ふり向けば四つ手の網は仕上りてすでに半ばは沼にしづめり
浮力とはどのやうにして付くらむかつばさひらきぬ白のあやめは
プリン売りの少女も足早に過ぎゆきて夜半の車輌の如くになれり
フルーツパフェのバナナの切り口に思はざる文様なすにおびやかされぬ
フルートも吹くに冷たくなりたりと皮の袋に納めつつ言ふ
ブルガリアも秋風ならむ朝のパンに黒すぐりのジャムのせゐて思ふ
降るごとく小鳥鳴きかふ秩父路を歌ひつつゆく湯の宿さして    ※
ふるさとに今は田もなく人もなし立葵の花今年は早き
ふるさとの坂の小川を尋ぬれば河童も今は現れずとぞ
ふるさとのふと遠のける思ひせり石割桜咲きしと伝ふ
ふるさとの雪を思へば町名を分けて流るる川ありにけり
ふるさとは寺町の道のかたはらに真清水の湧く泉ありけり
ブルペンのあたりしきりに舞ひてゐし柳絮やさしも札幌の春
降るものは落ち葉ばかりとなりゐたりいつしか朝の雨はあがりて
降る雪にしづもりてゐむ倒されしレーニン像のあたりも今は
古綿のやうな残雪まろぶころ樹氷は消えて元の樅の木
フレームの細き昔の眼鏡なれかけて少しは見ゆるはかなさ
触れ書きに追はれてゐたる悪党の足あとなども雪に消(け)ぬべし
浮浪児に侠気めく思ひなど沸かせて如何にせん貧しき吾が
ブロムワレリル飲むのみに寝て癒やしたる奇蹟の如し五十年前
不和の中に孤立してゆく身と思ふ夫さへたのみ難く思ふときあり
文学をライフワークとする君に昇給せぬ事など気にし給ふな
文芸とはつひにはからくりと思へどもその前にわれの糸は千切るる
噴水を中心に置く大き絵に湧く雲の量もほどよく決まる
噴水の秀に残る日の夕ぐれのすでに来てゐる地上を叩く
噴水の水の柱もその裾もけふは寒々と水色する
分担を決めて厨に立つといふ思ひみがたき会話もあらむ
文鳥の鳴き声も児の泣く声もガラスのうちにこもる雪の日