さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[た~と]

陶を割る音とも何か声のして何か破れし思ひして立つ
どうかして飛べない鷺と思ふまで低く飛んでは水面をついばむ
東京タワーが窓より見ゆるホテルとぞその四階に人死せりとぞ
東京の春のあはゆき北国に降れば必ず深く積もりき
洞窟の奥にゆれゐし燭の火のいつの日となくまなかひに見ゆ
峠とは晩秋の風の吹きさらし動かぬ雲を頭上に置きて
童子のせ今日はどこまで行くならむお祓へを受けしグリンの車
謄写版に手を汚したるのみに昏れて四月けざむく雨降りつづく
同情を強いる語調となりてゐしおのづからなる発露といはむ
当然にゆるされてゐることならむ雌雄を決するなど言へる言葉も
灯台をめざして登ることもなく車の窓よりしばし見てゐる
胴体を斜めに受けて拭きをれば大きく見えつ老いし友は
満天星の垣の根方に残りゐし雪もかたちをなさずなりゆく
満天星のもみぢもいつか散り失せていよいよ深し地上の闇は
唐突に思ひてさびし手放ししわがバイオリンいづくにあらむ
どうにでもなれといふ所まで耒てしまひ言はるるほどには優しくあらず
謄本を取る用もなく年古りぬのぞみをかけて父母はいましき
どう見てもつたなきひと世と思へるに歌のことのみ人は言ひゆく
同名異人といふもあらめど夕刊に見し披疑者の名におもかげうかぶ
戸を明けてもらひて入る安けさよこの上何を略して生きむ
遠くまで見ゆるといふこのかなしさよシリウスを仰ぐ五〇〇米の夜道
遠くまで見ゆる夜の更け川越えて自動車学校はいまだ点れり
遠くより押しよせてくる霧なりや不意に足下(そくか)に湧くとも思ふ
遠くより誘い出しては音をつなぐ郊外に救急病院ありて
遠くより何か光りて見えゐしが忘れて過ぎて駅前に出づ
遠ければ声さへたてず十幾羽ただばらばらに鳥渡るなり
遠ざかり耒て見返ればいづこにも溢れてをみな写真撮りあふ
遠ざけて思へばわれのなしたることも花びらの裂けめの如き
通り雨にかげりてゐたる絵のなかの少年も立ちてフルートを吹く
通りすがりの音の如くにさわだちてわが水道の荒るる日のあり
戸が明きて台車ごと荷が降り来れば昔ながらの昇降機なる
「時をかけて名残惜しみて蔵ふもの」雛蔵ひつつ母は言ひにき
ときじくの雲よな止みそしづくして御衣の袖に触れましものを    ※
時ならぬ風にはためき葉書ほどの厚みならむか人の訃などは
時に大きく時に小さくなりながら不透明なるかたまりわれは
時経るを目にも見すると朝々にきりもなくのびてひらきてフキのタウ咲く
ときめくといふことならむなり変はりいたく華やぐ相撲部屋あり
どくだみの花はしきりに匂ひゐむ夜の更けに降る雨に打たれて
どくだみは花抬げつつ匂ふなりふみにじらるる快感のなか
とけて乾きてみじろぐころか薄ら氷にひきとめられてゐたる落ち葉も
どことなく人の住まはぬけはひせり満天星の垣も散り尽くしたり
どこにでもある風景と思へどものぼり窯古り人影を見ず
どこの誰か知れねどゆきずりに赤ちゃんが生まれたらしいといふ声きこゆ
どこよりかつねにもつれて行きつかぬしろじろと照る夢の通ひ路
ところどころあはく緑にすきとほり螢焼とふ小さき急須
年かさの声少し嗄れゐてうしろより来る古墳といふも枯れ草の丘
寿子とふその名を負ひて美しくとはにまさきく君のいまさむ
閉ぢし目になほも輝き瓔珞の如く垂りゐるシャンデリア見ゆ
杜氏とふ職はありしが今もなほ季節に渡る仕事ありとぞ
年の市の雑踏をゆけり藤娘の羽子板などは今は売りゐず
年古りて目に立つ色に咲くこともなし見知れる顔のだれにも会はず
年回り相似る人のつぎつぎに病みて今年の秋更けむとす
どしゃぶりの雨のあがるを待ちて唐招提寺の山門にゐし
土星には大き輪ありと教はりし見ひらくやうな思ひ忘れず
土蔵作りの家の戸明きて出でて来しセーラー服が駆けて行きたり
戸田橋を渡らむとしてつね仰ぐ大煙突今日は黒煙を吐く
土地土地にたのしみありてこの冬のダイアモンドダスト美しと言ふ
土地の名に明暗あると思ひをりわけて蝦夷地の釧路・網走
嫁ぎ来て苦しむ吾を知れるゆゑ友は婚約をためらふといふ
とゝのへる炊事場が欲しと思ふさへわが望みごと小さくほかなし
滞りゐることのありおそくまで流人の家のごとく点して昭和六二.一〇
とどこほる思ひのままに一夜あり洗ひ流さむすべもなければ
とどまるに程よき高さのあるらむかいつまでも芥子をめぐる蝶をり
どの傘もみな倒れゐて今しがた何か勝負に負けたる如し
どの蔓につらなるもよけれ宙空に烏瓜の白冴えわたる
どのやうな声の男子かスキー帽をかぶりてあればよはひ知られず
どのやうな深夜なりしかゴルファーの賞金の記事切り抜きてあり
どのやうなドレスを着むか耒年の約束などをしてはかなけれ
どのやうな品種(バイオ)の差にか境界をなして色濃き麦畑あり
どのやうな町とも知らず日暮里に憧れてゐし幼き日あり
どのやうな夜なりにしやネクタイに触れし男の子の手を覚えをり
どのやうに決むる角度か頭を上げて蛇は進めり石の川原を
どのやうにはみ出すとてもひと世かけて肩幅だけの荷を背負ふとぞ
どのやうにもがきて見ても脱けられず枝葉ひろげてしまひしわれは
鳶の高さ鴉の高さそれぞれに定めて皇居の上の大空
とび易き言葉心と思ひポケットのある服にして町に出で来ぬ
葬ひの準備をしゐる女性たち何にかくくと笑ひ声上ぐ
とめどなく流されていつも突きあたる木のごときものめざめて見えず
とめどなく蘭鋳一尾そよぎゐて石の鼓膜を刺激しやまず
ともしびを一つ残して出でてゆまく朝々にして春のさびしさ
伴はれ行きにし若き日もおぼろ二度と訪ふ要なき家思ふ
共にゐてわれのみが聞きし言葉あり聞こゆる耳は罪呼ぶごとし
土用波を音もなく吸ひ目の前にテトラポッドは大き星型
ドライアイといふ病にて点薬は涙と同じ成分といふ
トラックが通りをすぎてゆきにしがこけしか何か倒れし音す
トラックに大き幌がかけられぬ異界へ発つといふはまことか
トラックもワゴン車もみな昂りてまなこ光らす逢ふ魔が時を
ドラマゆゑ吸ひ取り紙にきれぎれの文字をたどりて推理されゆく
トランプに占なふ明日のありなしもあるひは偶然のことかも知れず
取り入らむ隙間のごとし軒下にいつまでも空の犬小屋を置く
とりかへてとりかへて耒ていまあるを波なして照る屋根のいらかは
鳥のむれ渡り終へたる野末よりかそかに届く羽音ならずや
鳥除けのテープを伝ふひとすぢの光と見えてまた裏返る
ドルフィンと言ひ換へてみてさびしけれ戦ひの日に見たる海豚よ
どれほどを眠れるひまに沙羅の花散りしきてゐて木の間明るし
トロイメライの曲をききつついつとなく受話器持つ手のゆるみてゆけり
泥深く掘り返されてありにしが埋めもどされて何事もなし
泥んこの畑そのまゝ残りをりかすかに葱の匂ひと思ふ
問はるるを憚りて出でずわが病ひこの界隈に知らぬ人のなく
トンネルを出でてどこまで色違ひの車輌つらねてゆく電車あり
トンネルのなかはオレンジ色の灯が連なりてなほ遠くいざなふ