さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[た~と]

通院も五年目となり看護婦は緑の羽根を胸にそよがす
杖つかであと幾年を歩かれむ心もとなくスーパーへゆく
使ひ易くしておくといふ名目に机の上を片附けず寝る
束の間の信心なれど立ち尽くす火の勢ひの衰ふるまで
津軽の海を越えて釧路路にかかりゐむと友思ひつつ滝のしぶきに打たる
憑かれたる如くなりゐつ揃へたき三個目の釦探しゐつれば
使はるるは何の名簿か大版のダイレクトメール届く日のあり
つきあたりの波止場を遠く見てあればゆるやかに発つ舟ありにけり
月出づるころと来つればシリウスの寒き一つが煌めきゐたり
突き出でし岩を次々にうち越えてゆく勢ひを水流に見つ
次々に白身と黄身を分けてゐてくりや事さへさびしき日なり
次々に輪を打ちあげてをりにしか最後に大きむらさき花火
つきつめて思へば別るゝ外なけれ未だ吾は君にすがらむとする
次に来しときは使はむカウンターに老眼鏡の備へてあれば
月の夜をいかにありけむわが部屋のしめ忘れゐし雨戸一枚
月の夜の沙漠の絵にて二瘤の駱駝はゐずや幼子のため
月の夜は岩に隠れて棲む魚も出でて波間にきらめくならむ
次の駅はいづこの町か一列の灯を置き去りに電車は立ちぬ
次の間に来つれば雨の音強し思はざりしが二重のみの戸
憑きもののし易き性を持ちをりと言はれてわれは幼かりけり
撞く鐘の音澄む季節と告げて来ぬこの水にいつより棲むと知らぬまゝ
つくづくと見られてあらむ膝に置く両手の位置の気になり始む
つくづくとわれは右利き濁るまでローションの壜振りてゐつれば
作りたるをとめの手もて運ばれ来てやさしと思ふプリンのかたち
作りたるケーキに泡立卵(スフレ)をのせて待つあぶれて帰るもう一人のわれを
作り笑ひのスナップ写真富士額なりしよと声をあげし人あり
土を使はぬ耕作といふ研究も進みて目の前にひろがる荒れ野
筒袖の宿の浴衣の似合ひつつ瀬に手ひたしてあそべる少女
つどひゐて誰も小声にものを言ふ夫を亡くせし人のいませば
集へるはみな嫗にててのひらに雛のあられをこぼしつつ食む
勤めゐしころより持ちて畳み癖がつきてしまひし空いろの傘
勤めゐて通勤バスの窓に見しかの曼珠沙華咲きゐるに会ふ
勤めたる三十八年固き椅子軟かき椅子さまざまありき
常に危機に吹きさらされてゐる身ゆゑ雨にもうまく笑ひて濡れぬ    ※
常に岐路にゆらぐ炎よ根底をゆすぶる何もなき水の面に
常に岐路にゆらぐ炎に照らして危ふく渡る荒き現実
角などを出すことのなく動かずにゐるときの方が蝸牛(まいまい)は良き
「つばくろ」と呼ぶ盗賊の在りし世も幾たりか組みて事をなしにき
つばひろの帽子かぶればわが顔も目のあたりまで暗くて見えず
つぶらなるひとみ持てる子むくろにすがりてよべの一夜をいかに泣きけ
爪先を飾りて見ても目の前にたひらならざる手の甲二つ
夫とあれば都会の波の荒きにもわが情熱はもえつきなくに
夫に来る手紙を溜めて持ちゐしがどんど祭りにみんなくべにき
夫の居ぬ日は飢ゑてならぬ思ひよ吾は既に自立なき女となりし
夫のこと家人と書くは何ゆゑか揃ひてゐても老いは寂しき
妻の吾に干与しがたき生活が外にあるらし信じ合ひて尚    ※
つまみたる山椒一葉てのひらにぽんと叩きて香を出すと言ふ
つまみたるままの形に置く塩に色を薄めゆくたそがれの青
爪の色を気にせずなりてエナメルを塗るカテーテル検査より三日
つもりゆくものばかりなるあけくれに塵の溜まらぬひと日だにあれ
梅雨明けも近からむ傘を傾けて水に映れる空の明るさ
つゆくさは今だけの花はなびらの二枚をさっとひらきて咲けり
つらなめて耒しかりがねの野の上に降りむとして木の葉の如く乱るる
つらなるはいづれの蔓と知らねども烏瓜の花の白々と冴ゆ
吊り皮を持ち替へむとしよろけたるわが目の前にみどり児の顔
吊りておくコートの肩にも積もりゐむ過ぎゆく日々を惜しむ思ひす
つるの子と呼びて小さき柿が成りにきいつの日に聞きし言葉か
鶴の二羽雲より湧きてゆるやかに着地してよりつばさを畳む
釣瓶井戸など如何になりしや干し物をとりこみしまゝしばし見てゐる
つれだちて語り合ひつつ行く見れば偶然のごとし夫婦といふも
連れだちて亡き人と行く夢にさへ交錯しゐつヘッドライトは
石蕗の花と異なる黄のいろを掲げてひらく三椏ひと木