さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[た~と]

退院ののちの思ひに病室の窓をおほひてゐし夏の雲
第一シードの少女が勝ち抜き終はるまで夜毎たのしむテレビのテニス
対岸の杉山に影を落とし行くヘリコプターは敵か味方か
対岸は金物の店端の上に風船売りのゐたる日ありき
対岸はまだ昏れ残り穂すすきの白くかたまり雲のさまなす
対極にわれを置きたる海の前その対岸の見えわかなくに
体臭といふを意識し寂しめりさしかけられゐし傘を出で来て
大小の玉葱のみな同じ色せり何かふと安らひ湧けり
態勢を整ふるまでの数時間今朝はしづかな夏の雨降る
大切に持ちたれど貝殻はたれに贈らむものにもあらず
体調のいかなるときか目薬をさして奥歯の痛むことあり
台風のあとの埃を拭きをれば二列しろじろ玉すだれ咲く
台風の迫る気配に堪へをればかすかにトルコ桔梗が匂ふ
台風の迫る夜なれば読みさしにペーパーウェイト乗せて立ち来ぬ
台風のそれたる今日の夕あかね見ゆる限りのものは染みつつ
大仏のお身拭ひなれど仰ぎ見る掌上におろおろ僧二人ゐつ
大分長く生きしと言へど歩かれず見ないところを多く残しぬ
当麻より便り届きてむらさきの煙立つとぞ牡丹を焚けば
内裏びなのみをはなして今日の夫入院長きわれへ持ち耒る
大量に買ひてしまひていかにせむいかほど減らしてわがゆくならむ
体力を失ひて茶道も華道もやめ歌のみが今残れりといふ
体力のあかしとなさん昨夜遅くのみし下剤はすなほに効けり
堪ふがたき事のみありし一日くれ米とぐ時われの鼻唄うたふ
堪へがたく動くと如く身をよぢりたりじつとしてゐたりし緋鯉
堪へがたし堪へよと鬩(せめ)ぐ内のこゑ幾夜さを経てしづまるとせず
たえだえに枯れ草となる細道にかすかにありて煙草の匂ひ
たえぬきし年月つひに大輪の花咲かせたる君を讃へむ
倒さるる木も残さるる木もあはれ何れも幹の太き梅の木
たをやかに白鳥の精を舞はむにものがれやうなきよはひとなりぬ
高々と虹をあげゐしが音荒く向きをかへたりホースの水は
誰がためといふにもあらず掃き溜めて落ち葉の嵩をふと怪しめり
たかむらの春の落ち葉に吹かれつつ山頭火ともすれ違ひたり
耕せば春の土の香立つものをバス停に見てしばらく優し
田から田へ落とす水音おもむろに養されて来しわれかも知れず    ※
滝壺のたぎちを越えて来し水の音を抑へてくだりてゆけり
焚き火して遊ぶ子供の影もなし枯れ野一枚ただにひろがる
沢庵を漬けこむこともなかりしとかたより生きしひと世と思ふ
タクシーを降りて闇濃し骨肉を分ちし者の一人だになく
タクシーを降りれば坂は白々と月に照りゐてはぐさがそよぐ
タクシーを待ちて路傍に立ちゐるに支柱のほしきわれとなりたり
タクシーの来る方角をしばしばもさへぎりて大きトラック停る
タクシーのなかにしばしを待たされて体のどこも土に触れゐず
託児所へ迎へに行くといふ人と余分のことは言はで別れぬ
卓上の燭の灯のなす仄明かり誰かの右の手が置かれたり
卓上のナイフなどのこはき夕べにてころがり落ちしは何とも知れず
たくましく分厚く茂るアロエ見をれば沙漠にわれは棲めざらむ
托卵の悲しみに似むみどり児を人にあづけて夜を働くは
竹を切りて花器としたりき目の前に青々として太き竹生(お)ふ
竹取の翁のかぶりゐし烏帽子思ひ出づるはいかなるときか
竹の落ち葉寄せて焚きつつ姿無き澱のごときも燃やさむとせり
竹の子の異形を入れし紙袋次第に重くなりて歩めり
竹の子のなかの一つは重たくて屈強さうなかたちしてをり
竹の根の地を出でて青く走る見え用心深く歩むほかなし
丈低き菊あまた売られゐるなかにそびえて朱しグラジオラスは
丈低くただほの白く雪柳とどまるまなく揺れつづけをり
竹踏みもジョギングもしてゐたりしにわれより早くみまかりましぬ
竹藪の日ざしの縞を黒猫の大小二匹前後して行く
竹や藁を扱ふ仕事に荒れし手を持つ人もなし今日集まれば
出されたる何の用紙か何気なくうすくなりたる認め印捺す
確かめ難き思ひ残して今は亡し芍薬の花に似たりし人も
たしなめてたしなめられて育つとぞ麦生に再び春の雪降る
たしなめられても今ごろどうにもならずとうに習慣となりゐる薬
助かりてリハビリにやうやく入りたればわれの病を気遣へりとぞ
たづさへて大和国原ゆきまさばよみし給はむみほとけどちも
たづね見むよしもなけれどマロニエの落ち葉に線路がうづまるといふ
たそがれをこころもとなく歩めればうすむらさきに遠見の桜
たそがれは不意に四方(よも)より押し寄せてうすむらさきに遠見(とほみ)の桜
戦の終りて父の手離せる備前長船子らもなげきき
たたみかけてくるに会へてゐたりしが電話といふもわれには魔物
立たむとす鏡に嵌めゐし顔をもどしてわれはもの言ふ女の声に
祟らるる覚えなしとも言ひ切れず足音たてず医師は来給ふ
立ち騒ぐ沼の水面のひとところたひらになりて凪ぐときのあり
立ちて来て月明かり差す窓と気づきぬ画廊の蝶も眠れるころか
立ちどまり何してゐしと近づけば三人でラメの靴をはき試しゐき
忽ちに血の引きて電話聞きゐたり裏のまた裏があるといふなり
忽ちにひととせは逝き音なして小雨の中の今年の花火
立て膝に笛吹きゐたり童子の像は一枚の空きれぎれに銀の箔貼る
蓼の穂は静まる日なく枯れゆかむ水の光もつめたくなりぬ
棚に置くガラス細工のわが駱駝ウルムチあたりまでは行かむか
谷底のかたより湧ける山霧は逆三角形にふくらみゆけり
田の表絶えず光れるほとりをすぎぬいづこよりか水の湧きゐて
たのしまぬ二時間あまり家に着きて思ひ出したりポアンカレの名
煙草畑も塩田も荒れて人のみがすくよかにありをわれは思はず
旅先のそぞろ心に言ひ初めてきりなくなりし本音にあらむ
旅人の思ひにをればどどどどとあがりて谷の花火も終はる
賜ひたる犬張子もて遊びしは幾百年も昔のごとし
賜ひたるクリスマスのリース小さくて金色の鈴は振りても鳴らぬ
たまひたる女人の性を思はせてラピスラズリは目に立たぬ石
たまひたる人は帰らずカウ・ベルのくぐもる音を夢にも聞かず
玉子一つ泡かきたてゝ何かせん夕の厨の折れさうな疲れよ    ※
球拾ひも去りてまっくらなゴルフガーデン無法地帯になるにもあらず
頼り得るは既に自分のみと告げて去り行きぬ夫あるわれと知りたる宵に
楤の芽もうこぎも摘みき摘むといふことが童にただ楽しくて
誰に言ふことにはあらねど谷川の流れのたぎつ如き日のあり
誰にかに似たる力士は東大寺阿修羅の像と時経て気付く
誰もゐぬと思ひし飯場に人をりてうがひをしをり窓をあけて
誰もみな俯きて通る絵なりしがこはくて何かよくは見ざりき
たはむれの如く放ちしかの人の一言が幾日われを捕ふる
たはやすく死を希ひにし日も遠く華厳の滝を仰ぎ見て立つ
壇上の誰かのポケットベルが鳴りしろじろと立つ葉牡丹の茎
淡水の魚ゆゑ藻の匂ひして父がかの日に釣りしを思ふ
男性が出で来て郵便物を出しそのまゝ人気なき門となる
淡々と言へども嵐に落ちざりし林檎は高き値に売るるとぞ
たんねんに青菜を洗ふ夕べさへ反抗心は下燃ゆるなり
暖房に切り替へたれど置くものの殖えて苦しき八畳の居間
暖房はをりをり息を吹き返し斜めうしろの壁を意識す
たんぽぽのほわたの一つ地につきてつきたるあとに思ひ及ばず
たんぽぽの綿がまんまるになる日々はそよ風といふ風が吹きゐし