さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[さ~そ]

幸せの死よと言はれて湯治よりそのまゝ帰らぬ人ありけり
しあはせの一つならずや意識して黄色人種と思ふ日なく
しあはせはこの世のいづこ押し葉にして四つ葉のクローバーを送り賜ひぬ
シースルーのエレベーターより降り立てば白くしぶけり下界の雨は
シースルーのエレベーターは外壁に沿ひて緩やかにひきあげぬ
椎茸を砂糖の湯にて戻しつつ母のなしゐし日も遠ざかる
虐げられし時黒人は主を呼びしとふたえがたき時何を呼ぶ身ぞ
ジーンズのベビーシッターにつかまらず歩みそめとてすばやく男児
ジェスチャーをしつつ角度を示したり富士の斜面は雪深しとぞ
潮騒の音なりにしが白雪は障子の白となりて目ざめつ
潮さゐのかなたに遠くまぎれつつ聞こゆるが佳し蛇皮線の音は
四角四面のタイルの接ぎ目見てあれば鬼となる日の無しと言はれず
鹿の角刈らるる見れば膝つきてしまひし日より年月たちぬ
磁気を持つネックレスとぞまるまりてボタンのやうに片隅に寄る
地獄谷は灌木の沼降りゆきて蔓草は身にまつはる如し
事故処理の車が点滅さする灯は遠ざかりつつまだ見えてをり
事故処理の車も去りてこなごなのガラスは涼しき音に掃かるる
仕事終へて忽ち帰路の人となるあはれは誰より自らが知る
仕事して血管の浮く手の甲を気にしつつひとりの夕食を終ふ
仕事せぬひと日と決めて昼も夜ももやへる舟のごとくたゆたふ    ※
仕事ゆゑ感傷などに縁なくて思ひ切りよく荷を積みゆけり
四、五輪づつかたまりて咲くのうぜんかつら道のべの松に垂りゐて
事実よりつたなしと思ひ見てあればドラマのなかのみどり児が泣く
四十年前のあこがれカンボジアのアンコールワットも傷めりといふ
四十年も昔のわれの本出づと買ひしか否か言はずに切れぬ
自信なく過ぎゆく日々よ学歴に支へられ来し月日と思ふ
しづかなる日と思ひしが障子一枚あくれば犬の鼻息荒し
しずかなる待合室のうしろより新聞をひろぐる音のみひびく
しづかなる村の社のお神楽はよその村人も呼ばれゆくとぞ
しづまりて釦つけをればいつの日の夕べにか似て雨の音する
死線といふ境界を持つ牢獄の塀のほとりを人らは通ふ
地蔵堂の礎石を埋めてなほも降る銀杏落ち葉を夜に思ひをり
下草の刈られて土の匂ひせり木下の闇のゆたかになりぬ
下草のすさむ畑に誰か来て据ゑたる如し大き南瓜は
下草は枯れ伏して秋深しばら園の隙間隙間を渡る風見ゆ
親しき笑顔を持ちて訪ひくるる二階ぐらしを危ぶむわれに
羊歯の葉の濡れていよいよ青ければがうがうと滝は落ちつづけたり
七曜は素早くすぎて銀行も郵便局も休みの日なり
実感の無きまま南へ流れゐき平泉あたりの北上川は
漆黒の但馬の豆の大粒が届きてくれの近づかむとす
漆黒の羊が一頭まじれるも生かしつづけてわれは旅行く
実在の田の神さまは泥人形空の上限のまどかなる日よ
実用はかく定かにて雪どめの屋根にしてより雪を恐れず
自転車の少年一人渡し終へてつねの車の流れとなりぬ
自転車の二台光りて川上の短き橋を渡りてゆけり
自転車の主はいづれぞたそがれの川岸にありてサドルも古りぬ
自動車のうしろの扉がとざされて何かが終はる思ひしたりき
死なしめて悲しかりしがわが亡くて生くる思へば仔犬も飼へず
死にて浮く魚ありといふわが眠る畳の上といくばくの距離
死ねば必ず重たくなるといふ体はこびて今朝はボストまでゆく
死の川と呼ぶ綾瀬川の上流に住みゐることも時に意識す
死の後は魂なども凝固して一粒とならむ眼の奥などに
死の日まで幾年か共に住みしこと母を思ひゐて救ひのごとし
しばしばも負ひたる傷よ表層に受け流すすべを知らざりしかば
しばし待ち追ひこさせんか右回りに古墳を回りくる人の声
縛ることも縛らるることも好まぬにつめたき告知われの書きをり
地響きを立てて怒りて来し車停まりてガスのボンベをおろす
四方より押し寄せられて立ちゐるに天より地より湧きくる言葉
しみじみと白の袋かけてをり台風のすぎて残れる葡萄に
しめつけておくは苦しくいつよりかゆるくしておく時計のバンド
死も今は恐れぬものを人のため臆することのいまだも多き
著莪の花咲く庭となり青竹に山の清水をひとすぢ通す
社交性の乏しきわれが秘めし恋とげたることも夢の如しも
蛇の目傘さして舞台にゐし人の糸屑をつけたるまゝに立ちあがり来し
しゃぼん玉はかたちゆがみてはじけたり思はぬ大き音なりしかな
シャリアピンといへるロシアの歌手がゐきボルガの舟唄鳴れば思ほゆ
砂利道を近づく自転車の音のしてしづ心なし夜に入りても
じやんけんで何でも決めてはらからと睦みたる日は宝のごとし
じゃんけんのやうやく決まり固まりてゐたりし子等は輪をほどきたり
銃眼はふさがれてゐて戦乱の世の修羅はもう子らには見せじ
終局に近づくドラマ幾たびも飛行機が来て電車が往きて
就職のきまりたれば少し寛ろぎてこまごまと記す家計簿
渋滞の赤き帯点る表示板見て東京も築地も遠し
渋滞の車より見て烏瓜の花のかかりてゐさうな林
渋滞の国道に見る一里塚榎ははやも芽ぐみそめたり
絨毯を織りては売りて暮らすとぞ土に坐りて乙女らはゐて
終点が病院といふバスが行き不意に日暮れとなる坂の町
穐田のひろがりのなか田の神を祀れる石の祠小さし
十人の視線あつめて五秒ほど宙にありたる模型飛行機
十年も待ちし思ひすクウェートの油井火災の熄(や)むとしきけば
終バスを待てる人らはよりそふといふこともなく寒さうに立つ
終バスの時間を告げて別れ耒ぬ仔細を聞かばなほつらからむ
十万の人出といへる公園のしづかなる桜見たる日のあり
樹海も今はほろびむと云ふ洗礼の名をもつことを不意に告げたり
宿場町のおもかげを未だ残しゐし連子格子の家も潰えぬ
宿房(ママ)にだい/\色の灯はともる雪ふか/゛\とあはれ夕昏れ  (アルバム)
守護霊は弁財天と聞きしより何か背負ひて歩む思ひす
主張せぬ人にてをはるわれならむ一夜にふさぐ銀杏の落ち葉
受難のため咲きて見せたる花なりや雪しまく日の小彼岸桜
棕櫚に降る雪の音かとしのびつつ大きさの揃はぬ文字を書きてゐる
巡航船は二時間余り黒潮に乗りくる海豚つぎつぎに見て
純情を踏みにじられし追憶もよみがへる降誕祭の日近くなりて
純白の花びらの嵩帰りたる部屋をみたして芍薬の香は
巡礼のかよへる道と伝ふれば作物の主体は稲にあらずとぞ
生涯の花なりにしや藤いろの藤の模様の元禄の袖
生姜町といへる通りの映画館ふるさとも今はおぼろとなりぬ
城下町ゆえ封建性も根強しとふ案内の君のもらす吐息よ
乗客はわれのみとなりしバスなれば見張られてゐむバックミラーに
上空よりとりし都会の映像は星型の濠なども見しむる
少女の日見てのちに見て胸厚き女体観音を今に恃めり
上層の窓が一枚あきてゐしビルと思へりすぎて来てより
消息を知りたくて送り来しならむ未だ青々と縦長メロン
上棟の祝ひと言ひて折詰の折の木の香を立たせて届く
商人の妻となりたしといふ友をさげすみ切れず目を見てゐたり
少年を呼ぶをりをりの声のみに隣の主婦ともしばらく会はぬ
少年の飼ふ伝書鳩に憧れて姉にせがみて通ひし日あり
勝敗の結果が知れればよしと言ふこころもとなしファンの心理
上膊(じょうはく)の冷えて坐れる左側席決むるにもつたなきわれか
上品は生まれながらと言はれたる子供のわれにかなしかりけり
静脈をさぐりてゐたる針先の触れしときよりめざめてしまふ
照明を浴びたる滝の幅だけの思ひの如し色を変へつつ
正面を向くほかなきに別の環がゆらめきながら近づいてくる
縄文の人の子孫にあらずとぞいづこより来し弥生の人は
上流と下流の水を使ひ分けて菜を洗ひにし鋗(つりなべ)を洗ひし
上流に住む人ありと水に沿ひさかのぼりゆく神おはしけり
常緑の木のつねとして雪折れの枝を落とせり雪を蹴立てて
諸葛菜といつかしき名を持つものをすみれ色濃く咲き溢れゐる
食堂に人の少なくなるころを見はからひては朝の食事す
食品の棚の増えゐるに驚きて病みて幾月来ざりし思ふ
助手席に生き返りたる思ひせり黄の灯つづく隧道抜けて
助手席の左に遠き絹雲を追ひゆくビルのあはひあはひに
女生徒に何を諭すと行きにけむぼた山の裾は深き夏草
食器洗ひ器のCM見て立ちて来て幾枚でもなき小皿を洗ふ
ショッキングピンクといへど桃いろのいたく明るき雨傘が行く
知らざるを知らざるまゝにしおくことありこれ以上知らばこはれむ
知らざればかかる贈りものをなすならむめをと茶碗が箱より出でぬ
知らざれば声の若きを怪しまれ用向きを問へば短き電話
白帆浮く用水を見しと言ひましし博士も在らず新しき橋
知りゐるはなづなはこべらくらゐなれなづなはこべら共に花咲く
シリウスもかき曇らせて狂はむとしたる記憶さへ偽りに似る
退かむ思ひのなきは夢なればふくらみて耒る波を見てゐつ
知りてゐる高さもおぼろ闇の夜の風速計は遠く鳴りゐし
知り人に会はざらむとし夕食のころほひを見て買ひものに出づ
知り人の句が歳時記にあるを見てとまりてしまふ今宵の仕事
知ることのただに楽しく一木造り、寄せ木細工と尋ね回りし
知れる人の妻とし聞きて作品を探して読みて夜の更けゆく
白い馬はなぜゐるのかと幼子は湖の絵の前を離れず
しろがねのペーパーナイフ使ひたり本のうしろより出でて来つれば
白き家の意味と知れども花束のカサブランカは大きすぎたる
白珊瑚の首輪して出づもつれゐしプラチナの鎖をほどくことなく
白のなかにうすももいろもまじりゐて春女苑とふ細き花びら
白鳩を一羽まじへて旋回すやむにやまれず飛ぶにかあらむ
白花のマツヨヒグサが咲くといふダムのほとりの夕闇を恋ふ
白めしのもられてひかる夕餉なりあるじのひとのこころ知らひて
じわじわと声も立てずに増えゆけり幼虫の如く玉子の如く
新開地に住めばよしなし地を削る音鉄骨を截(き)る音ひびく
人界をこえたるものを見し初めガラスの破片に日蝕を見き
人界の匂ひと思ひ沿ひゆけり冬は湯気だつ日の多き川
進学の望み捨て得ぬ妹よ職さへも求めがたく
蜃気楼をいくたびも見しは偽りやも知れずすでに見抜かれゐし
蜃気楼オーロラ流氷グランドキャニオン何を見ぬともひと世はよけれ
神宮球場の満月見ゆれ北東へ十里離れてここは闇の夜
人口が三千人増えむと言はれゐしマンション年明けて意外に静か    ※
信号に停りてをれば前面に楕円にあがる遠花火見ゆ
信号のかはるを待ちてこれ以上確かな待ちもあらざる如し
信号のかはるを待ちて立ちをれば肩のあたりに春は来てゐる
信号の変るを待てず小走りにひとり渡ればつられて渡る
人工の星のあまたがめぐるとぞ大空かけて雲の峰立つ
診察を待ちゐて長く見るテレビブランデンブルクの門もあくとぞ
しん寒くなりたる夜の部屋にゐつ体冷ゆるにこころも冷えて
信じたき思ひわく夜の映像にマイク持つ手の大きかりけり
真実に生きなむとしてふるさとを捨てしとふ亡き父の恋ほしき
神饌の餅とぞほどよき大きさに切られて揃へられて届く
人体も舟も館も省略の限り尽くして能は舞はるる
ジンバブエと呼ぶ都市の名のうかびたり理由なく降る記憶の粒は
新品のフォークリフトはめざましきオレンジ色をして動きをり
新聞にのらぬ小さき人事にて五月よりわが給料あがる
新聞の活字切り抜きて貼られたる脅迫文のくることもなし