さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[か~こ]

黄揚羽のいざなふままに熟れ麦の匂ひのなかをいづくまでゆく
機械より正確などと言はれつつわが心さへ得体知れざる
気がかりな白のありてかのら犬はふりかへりまた走り去りたり
気がつけば既におはさずわが問ひて玉すだれの名を教へし人も
黄菊白菊丈高く咲き地の上の秋海棠は花終へむとす
聞き慣れぬ電話の声にやはらかくわれの不在を告げて切りたり
木々のみな芽ぶかむとする野をゆきて雪のはたらは母のふるさと
聴くことも苦行の一つクーラーの風を浴びゐる肩より冷えて
着くづしていよよ美しと思ひたり思ひたれども振り向かず行く
紀元二千六百年のあくる年父に送られ奈良に入りにき
技巧なきつきあひ故に隣人に斥けられて尚吾信ず
帰国して間のなしといふ女童の英国人のおもざしを持つ
きささげの莢実の長く垂れゐたる道ありにしが長くかよはず
きざしくるほろびごころのすべなきに色混ぜて咲くハコネウツギは
義肢あててゐしやも知れず上半身見しのみにして下肢を見ざりき
気象図にふるさとは雪雪の上に青き影置く木など見えくる
気象通報の時間となりて戻り来ぬいづこにゐたりしわれとも知れず
傷口の渇きてゐるに愕けばわれに残れる自然治癒力
傷つかぬ程のあはさに別れしかフランスに行くときけば恋ほしき
傷つけしことに気づかず帰りたり帰りつきても気づかずあれよ
北風の東に回り篁のほどよく撓ふ竹を見てゐつ
北国の春告ぐる土の香馬鈴薯のメリークインはころがり出でぬ
北国のポプラ並木は太陽に応ふるやうに葉をさわだてぬ
北国も雪吊りを解くころならむ糸杉の秀が風に揺れゐる
北の窓開く日もなく過ごしゐてわづかに長くなる日ざしあり
北は水無瀬南は帯解鹿野苑まぎれ入りたき芒野ありき
吉日を選びて取りに行くといふオフホワイトのコロナが楽し
亀甲の金網はられ見てあれば花も競ひて咲くかと思ふ
切っ先をそろへて葦の萌えゐしに風土記の丘を久しく訪はず
切先の折れて曲がりて凍りたる滝は流河をさだかに見しむ
狐をとる罠を見たりし日のありききっとかかるはわれと思ひき
絹糸の髪とし聞きて身のどこかふつとあらぐ人形の前
絹よりも高値のセーターに驚くに化学繊維はラメを光らす
黄の色が濃すぎるやうに思へどもストレチアの写真切り抜く
黄の色の足らぬと思ひアマゾンの原始林といふを画面に見をり
黄の色の蘭が咲くとぞあまたなるつぼみにかそか黄の色見えて
黄のいろは梔子の実とぞ草木染めの如き迂遠をなして楽しむ
昨日届き今日は届かぬ釘のありなににも届かぬ日も来るならむ
昨日に変らぬ今日のわが身よ学歴に支へられし来しことの寂しも
昨日まで咲きゐし蓮(はちす)今朝あらず薄氷(うすらひ)なして雲の影行く
昨日も今日も同じ湿原へ飛ぶといふ鶴ならわれもさうするならむ
木の皮のやうにざらざらになりてゐるわれと知られざりしや
黄の菊を茹でて食べたりもしてよそものの意識うすれて住み古りぬ
黄の小菊あまたを盛りて活けたれば椅子の部屋にもよく映るなり
木の茂み分けて匂ひを嗅ぎにゆく柊の花咲けりと言へば
気の遠くなるほどの樹齢聞きをれば子供のころも洞(うろ)を持ちゐき
黄の箱となりて昇りゆくゴンドラの頂近くとび立つ雀
黄の百合を飾りたれども妹よ死後の界には愁へあらずや
黄ばらより紅ばらも垂れて除きゆきかすみ草のみとなりたり壺は
君に唯一の対象としてありたしと願ひ来しが今は疲れてしまひぬ
君の匂ひが恋ひしくてふとすひそめしが今たちがたき煙草となりぬ
キメラなど見ゆるならねど沈み易く昂り易し夏のをはりは
逆転のあるはずもなく出でくればまゆの色せり散らばる雲は
キャスターが早口言葉の如く言ふ内乱やまぬ遠き国の名
キャベツとは玉菜のことと知りたるは学寮に入りて炊事せしとき
九階よりエレベーターに降りて来て会ひたる雨はしろじろと降る
急行のしばしとどまる見てありてパンタグラフの線が美し
休耕の田にいつまでかいましけむつの笛を吹く野の神などは
休日の続けば遠くなる職場夾竹桃は白となりつつ
九州は朝より雨と告げられてあじろ干潟の千鳥思ほゆ
急速に足弱りたりもう一人のわれのゆきたき日へもゆかず
急速に傾くわれの角度など人に知られず知る一人なし
急速に過ぎゆくにものをとどめ得ず耳のほとりはつね脈打てり
急速に冷えてかたまりゆく中にいつまでも冷えぬ部分か知れず
急速に不利に傾く位置として坂あり坂は水漬くことなく
牛乳を啜りつゝ噛む固きパン君の手記の複写終へし夜明けに
境界をくぎりてひとすぢ咲きゐるは線香花火のやうな韮の花
今日聞きし言葉の一つに癒やさるる「浄土といふは暗くあらず」
今日来しは三冊のみと思へどもふさがりてしまふここの机も
今日来れば枯れ蓮は刈り払はれて春待つ沼の黒土が見ゆ
狂言師の歩き方などまねゐしかふと立ち戻るもとの姿に
教室の窓のガラスにつぎめ見えがたがたと音を立てて鳴りにけり
教卓に椿の花を活けくれて転校しゆく少女ありけり
今日といふひと日くれゆくまぎはにてかなしみは層をましゆく如し
郷土館の舟の模型見てをれば何しに一人島へ渡りし
今日の日の何予告してソケットを抜けば鋭き火花立ちたり
享保の雛も寛永雛も口閉ぢて平日の人形館はひっそりとせり
今日も昨日も同じことをする鶴のむれは飛び立つ餌場めざして
今日もまたむし暑からむ薬湯の匂ひはタイルにまだ残りゐて
今日は来て山の桜の散りしくに会ふかげりの深き花びらも散る
局員の去りたるあとの玄関に鞄の匂ひかそかにありぬ
拒食症の数日すぎて出でくればドア明けて待つ白の車は
巨樹の根方めぐりて幾つたつ墓標に草生の百合を手向けて過ぐる
きらきらと川の光にとぶ鳥のぶつかりあふといふこともなく
きらびやかにワルツ舞ひたき思ひふと貧しき夜の吾にきざしぬ
きららかにありにしものを夢醒めて消えゆけりカットグラスの椅子も
きららかに耳輪・首飾り残れども生きて楼蘭を見たる人無し
切り株の如くに坐して動かぬを無数の本の背文字がかこむ
ぎりぎりに命つなぐ身も春の日よ紅などはきて街に出でたき    ※
切り口に杉の匂ひの立ちゐたり切られて間なき杉にかあらむ
切り口の光りて黒き耕土見しみちのくは馬に鋤かせて
切子ガラスの水差しを置く教卓を思ひてわれを励まして出づ
切り捨つることにつたなく身のめぐり日に日にふえてゆく本のあり
霧のなかに男の声がしてゐしが父の声音を継ぐ者はなし
霧の夜のネオンの青は読みがたきキリルの文字のごとくはろけし
きれぎれに起きて仕事しまたいねて明日もあさっても多分このまゝ
きれぎれになりつつ生きてみづからを纏め得たるは幾歳ごろか
黄は何を意味せしならむ死の前に黄の花ばかり人は描きゐき
窮まりしものとある夜はつきつめてしぶきの街に一人出でにき    ※
銀いろのスプーンはわれが使ひて金いろのスプーンにレモンすくひをり
禁煙パイプ思はぬところにころげゐて吸へばはつかに薄荷の匂ひ
銀座より晴海通りに入り来て色あふれゐる真夏日今日は
金属の駅のベンチの冷たきを思い出しをりさびしきときに
禁猟区と掲示されゐて細々と木立をくぐる道ありにけり