さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[か~こ]

カーテンを替へて気分を替ふるとぞドラマのなかの若妻にして
カーニバルのかの日思ふにストリートチルドレンあまた撃たれしといふ
外国へ子らは翔ち行き留鳥のやうに二人が残れりと言ふ
回顧的になりて立ちゐる目の前をまた一つ葬列が過ぎてゆきたり
改札に立つ駅員も新人か学生のころのおもかげを見す
改宗の経緯を告げて来し手紙精しく剖きて見たき字句持つ    ※
会場にカメラ三台入り来れば意識すまじといふ意識湧く
会場の一つの核となりながらなかなか笑はぬ人のいましぬ
街上のうるほふ今日は何の日か外車がつづけざまに通れり
解説を聞きても寒しざらざらの火炎土器とふ壺をかこみて
回想がふとせつなくて矢車草のむらさきなどにこみ上げて居り
海藻の束ときをればいづこなる春のうしほの輝きやまず
海藻の林にひそみゐたりしが抜け出でて覚めてまた雨の音
街灯の円光のなかにほの白くまばらに咲けり冬の桜は
甲斐なしと知れど今宵もありふれし格言一つ書きて貼りつ
会果ててひとり残らず去るまでをせき立てられてわれのありけり
海兵の一人帰らざりきひらひらのリボンつきゐし帽子をのせてゐし
返しても返しても送り返さるる荷のごとしわれの持ちゐるさだめ
帰らざる夫を待ちつつ読みにしが表紙欠けたる「北越雪譜」
帰り来てコートを脱げば忽ちに夜の寒さにとりかこまるる
帰り来て坐ればもとの独りなり錯誤の如しかの賑はひも
返り来る大金ありとふ占ひに予測がつかず今日のことさへ
帰り来る人ある如く掃く道に夏の落ち葉はまばらに乾く
帰り耒む仏らのため雪を掃く闇にかすかに木の芽の匂ふ
帰りの時間ばかりを気にしてゐし日ありひとり旅ゆく雨の大和路
帰りゆくひとりのために点しおく玄関の灯も余情の如し
帰る鳥来る鳥もみな天空の風の境を知りて飛ぶとぞ
帰る人も残さるる人もそれぞれに熱砂の国の衣服をまとふ
還る日のつひになかりしカーフェリーわれはまだゐる去年の港に
帰るべき星あるごとく黄昏の高架の橋を渡りて行きぬ
蛙らに何の合図かあるならむ鳴く声のひたと止みたりもして
顔をそむけ懐くやうにしてコスモスの枯れたる茎を括りゐる見つ
顔のあたり胸のあたりと暮れそめて只の木となるカヒヅカイブキ
顔ばかり見て立ちをれば秣(まぐさ)はむ馬に歯並みの覗くことあり
加害者のバイクの少年も死すと聞き何か安らふニュースのあとに
科学者の彼ゆゑ吾にきざしゐし恋も知られず過ぎたりしかな
案山子二体仰向けにして運びゆく人の心をふと思ひたり
踵の低き靴にして家を出でくればどうだんは紅く芽ぶきそめたり
屈まりて花火しをれば少女子のペディキュアは白く光を反す
かかはらぬ商談なれど比喩として「踏み絵」と言へば胸を衝かるる
かかはりを持たず過ぎゆくすべなきや年々寒し三月半ば
かかはりのあるとも見えず舞ひゐしが相寄りて森の彼方へ落ちぬ
かかはりのなしとも言へず「泪」とふ茶杓の銘を思ひてをれば
かかはれる人の心も見えわたりおくれおくれて着く雑誌あり
書きなづむ手紙枯れたる花の鉢つたなしわれははぐくむことに
学園のゴルフクラブか少女らは芝生に入りて又叱らるる
学園のゴルフクラブの少女らに占められてゐて芝生華やぐ
匿さむとするにあらねど気づかれず言はず別れき病のことは
画数の多き名前の少女をり少しおもたき荷となりゐずや
かくすこやかなわが両手あり吊革の高さにかなふ身丈持ち
拡大し見てゐる如き大き翅扱ひかねてとぶ日もあらむ
確答を与へぬ吾は侠気めく思ひ沸かせて何かせむ
学寮にありたるわれに父親は短き候文の手紙を呉れにき
隠るるとすればいづこかビルあまた建つなか狭く地の闇はあり
翳となる一面のある角度にて金の屏風の前の顔見つ
崖に湧く泉滝なし日の差せば春のきららの水となりゐる
影の如く光の如く笹舟に浮きてかそかに去りしものあり
影もなく森に棲むとふ妖精を信じてゐしは幾歳までか
下降する風圧の強さ帆に見せて傾きゆけり沈みてゆけり
かこまれてあれば賑はひ車椅子の輪はきらめきて渡りゆきたり
過去も未来もひそめてただに働けば擬態めくやと時にさびしき
傘をさすほどにあらねど降り出でてこのまま雪にならむ寒さか
傘をさすほどにもなくて渡り来ぬ川も静かに流れてゐたり
傘を直し包丁を研ぎて世を渡る人のいつしかいづこにも見ず
風上のコート取るるやくじ引きのメープルコインは煌めきて落つ
笠雲の写真撮らむと幾年月富士に通ひしその後を知らず
傘させばやや浮き加減に歩みゐて病持つ身をふと忘れたり
風下にあらねば何も聞こえねど口が動きて何か言ひをり
かさなるといふこともなく広がりて浮き草はあり風凪ぐときに
かさね置くものの崩るるけはいせり二階の部屋にしばらく行かず
風道を阻む夜の木々揉み合へりつたなき別辞交はして来しに    ※
飾られて苦しき馬と思へども鈴を鳴らして人混みを行く
飾られてまこと楽しきかと疑ひて馬の祭りを見にし女童
かじかみて不自由さうに順番に小さき手袋にをさまりゆけり
かしましき蛙なれどもいくたびも鳴き止むときのあるはなにゆゑ
ガジュマルの根元の水の光りたり南海の島に地震(なゐ)ありしとぞ
かすかなる重さかかげてゆらぎ合ふむらさきつゆくさわが好む花
かすかなる野火といへども夜に入りて土手の稜線うき立ちて見ゆ
カステラを切るぎざぎざのナイフもて切りたき何かある如き日よ
瓦斯灯と昔の文字を書きをれば無数の蝙蝠にとりかこまるる
かすみ草生けつつをれば次々に湧きくる花の青・赤・黄いろ
風落ちて物音絶えし夜の更けに花の香りの香を炷きゐし
風邪薬をのみて寝(い)ねむに十二時をすぎて漸く部屋あたたまる
風寒き水のほとりのまんさくは卍のやうな花をつづれり
風すさぶ心すさぶと歩み耒て麦笛吹きし麦熟るるころ
カセットテープのピアノの音に混りゐるいつの夕べの雀の声か
風のなかを行かむに大きスカーフをまとひてひしとわが身をいだく
風の日も風吹かぬ日もいとし子をまもりいまさむ母のみたまは    ※
風の町に出てゆかむとし耳のなき顔の何か安らふ鏡の中に
風の夜の雪にありしや褐色の枯れ葉をまばらにちりばめて積む
数へ切れぬ傷と思へどひとたびも打擲(ちょうちゃく)といふを受けしことなき
数へ切れぬ抜き取り検査をすりぬけて来し穀物のごときかわれは
数へ見て五十羽といふ鍋鶴のいのちひしめき地上をうづむ
かそかなる花持つ枝を挿し木して蟹シャボテンはたれが培ふ
かそかなるよろこびに似てこの月の冊子着く日を待つ思ひあり
かそかに松の花粉こぼるゝ夕まぐれまた逢はむ日の思ほゆるあり
片翳る夕のさざなみ風を負ひてわれも帰らむ鳥のごとくに
片すみに煉炭を置き湯を沸かす事務所に一日客は絶えなく
片空にわだかまる雲をおしのけて組まれてゆけりビルの鉄骨
かたちよき水差しを置く教卓を思ひておのれ励まして出づ
勝たなければ負けるゆゑ負けてはならぬゆゑ青松虫と夜を明かしたり
酢漿草(かたばみ)の家紋の什器幾組かありしいはれは聞かずにすみぬ
傾きてまた立ち直るヨットの帆裏表なく日差しをかへす
傾けてわがなす歌の一夜へて色失へる喪の花となる
片寄りてのみ生き来しと思はねど楽屋も奈落も未だ見知らぬ
かたよれる考へ方か知れねどもここまで来ては改められず
かたはらに峙(そばだ)ちてゐし何の木か次第にわれは縮まり行けり
カタン糸のかたちはやさし百メートルの白糸を巻くと簡潔に書きて
カチューシャは髪飾りの名同じ名のミサイルが発射されしはまことか
勝つことを思はずなりし今に問ふ火の如き日を持ちしや否や
褐色の泥のしづくを落としつついつかのやうにトラック行けり
假定して思へることも敢へなくて見返るビルはかすか茜す
假定して決めてゐしことさびしくて待つことも待たるることも
金網をこまかく埋めてガスの火は燃ゆスイッチを入れて間なきに
金網のほつれてゐたるところより出入り自由の雀らのをり
鼎(かなえ)といふ文字思ひたり飯店の飾りの鼎をまのあたり見て
かなしければ手をさしのべてよりゆかむこころのはての空遠みかも
カナダなる砂糖楓の樹液とてしたたらすほの甘きシロップ
必ずしも凝り性のわれと思はねど消しゴムの滓のみ机上に溜まる
蟹料理の店とぞ赤き蟹の絵の大きのぼりが風の音さす
かの家の紅梅の花咲きたけてもつるるやうになりて終りぬ
下半身少し重げに飛び立ちし鴨もおくれずつきてゆきたり
歌碑といふもの建ちてより林中に体のどこかを置く思ひせり
寡婦と書く欄あれば寡婦と書き入れて三十年も過ぎしを思ふ
壁といひ枠といひ身をしづめつつ爆ぜて溢れむ思ひひめゐる
髪を梳きゐてよみがへらせしかなしみを夢のなかまでまたくり返す
神隠しに会ひてはならず月光にさらされてはならぬ幼き日あり
髪型を新しくして会ひて来ぬ瀬戸ぎはのわれを知られぬも佳し
紙包みの底温かく茹でたての丹波の栗といふを賜ひぬ
雷が必ず鳴りて雨の降る連続ドラマも今宵で終る
紙の袋を音立てて扱ふ人のゐて忍べば忍ぶほどにざわめく
からからに乾きてどこかにひそみゐむ白の減りたる水彩絵具
ガラス板乾きて少し曇りゐて何にもゐない水槽のあり
ガラス透かして見る古渡りの瑠璃の壺透明なものは冷えびえと見ゆ
硝子すかして見る道は更けて霧深し未だ帰らぬ夫を待ちつゝ
落葉松の疎林をつゝむ狭霧やさし待つ人もなき夕べ来ぬれば
刈られたる草の匂ひがしてゐたり古りし倉あるいつもの道は
刈りをへて幾ほどもなく埋め立てて水田の水の光のせばまりてゆく
かりそめに人の見相を見てありてよき言葉のみわれは言ひたり
借りて来し男の傘も全身をかくすほどには大きくあらず
枯れ芦の擦れゐるのみの沼尻に声なく寄せてゐる波が見ゆ
加齢といふすさまじきもの不意に朝両手の肘が腫れたりもして
枯れ枝を海に突き出す松が見えホテルの窓の明けゆかむとす
枯れ枝をつたひて垂るる烏瓜に伸べて連理にうときわれの手    ※
瓦礫の道を歩むに難き足となり見えつつ遠しうすずみざくら
枯れ草も燃えてしまへば言葉もて何か補はなければならず
枯れ萩を風に追はれて翔つごとき蝶あり何か今日のさびしさ
カレンダーを一枚めくりゆくりなく猫の視線のきらめくに会ふ
辛うじてたどり着きたるオアシスの如くに現在を思ふことあり    ※
川上をめざして人の発ちしあといくたびも花は咲きて散りたり
川上に何が待つらむぎんやんまとどこほりつつのぼりてゆけり
川上は田植ゑのときか用水は橋の下まで溢れて流る
川岸はすでに暮れゐてつながれし二艘たゆたふ水の明りに
川底に光は未だ残りゐて入り日の位置のいづこと知れず
川幅のせまき鉄橋新幹線は音かろやかに電車はゆけり
川べりに波うちてゐし旗すすきまばらに今は鞭の如しも
川水の反射に光り自転車の二台つづけて橋を渡りぬ
間隔も高さもたがへ蓑虫の一つ一つと不定の形
観光のための水車は大きくて水争ひのころを語らず
感傷癖も次第にとれてゆくわれか孤独感は日に深まりながら
感傷は捨つべしと思ふ別るゝとも幸福はまだあるかも知れず
感情の赴くままと見ゆれどもうしろ姿の肩落ちてゐし
関心を持たざるわれに水に浮く鳥をゆびさし語りて尽きず
冠雪の山のニュースのあとにきく遭難したる若者ありと
関節のゆるぶごとしと見てゐたり芽だつ欅に風吹き出でて
かんそうきのファンを替へ呉れし若者はぐあいをしばし見て帰りたり
観点を変へて見よなど言ひにしがひとごとなれば見えてもの言ふ
間道は葛に覆はれゐたりしが下くぐり野のものは遊ばむ    ※
艱難汝を玉にすといふ叔母に送られて製糸工場に入りし
観音は高きところにいましたりのど寒きまで仰ぐほかなき
漢方の匂ひは致し方無けれ匂はぬといふ丸薬を買ふ
潅木のくらき根元を思ひてをれば月の夜は金色に照る狐とぞ