さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌稿(五十音順)

大西民子歌稿

[あ~お]

オアシスのかなたの風のかたみなれ音立てて降る沙漠の砂は
追ひかけて来し自転車は夫にして夢のなかにもわれを咎めき
老い母を伴いゆける隠し湯は白く濁りてゐるかりしとぞ
黄金に飾られて死後はありしとぞ旅びとは今日も駅に溢るる
黄土いろなす麦畑近寄れば熟れてすさべり麦の穂先は
大分の冬は如何にか文旦を送り給ひし人も在らずて
大いなるスパナの形夢に来てきりきりと何の音かしゐたり
大いなるマスクのままのだみ声の英語にホテルのありか問はるる
大写しとなれる冬芽の鋭くて子供らは手をつなぎてゆけり
大柄の絣なりにし春の雪たんぽぽの葉にうすく積もりぬ
大き音を立てゐしわれの乾燥機三十分ほどしてしづかになりぬ
大きさのまちまちにして青竹の色新しき笊が売らるる
大き手に千切られて浮く雲ならむそのまま茜の色を帯びゆく
大きなる白の芍薬咲き堪へてこよひは散らむ残る一つも
大き耳垂れし小犬を背のかごにすっぽり嵌めて自転車行けり
大き輪を持つ土星の絵を示されて夢見るやうな思ひしたりき
大空に道はありとも残されてしまひし鶴は三羽ゐるとぞ
大粒の黒の真珠を買ひしよりまがごとの続く年のありにき
大粒の葡萄をむきてしたたらす紫にまみれし指を
大橋の架かれる今もかはらずにしづけしといふ島の人らは
祖母(おおはは)の寝物語の遠き世に脱藩したるさむらひありき
尾を曳くやうな形となりて魚とも鳥ともつかず吹かれてゆけり
尾を振りて道に遊べる子雀はいづこより来ていづこへ帰る
大宮に住むわれも京都に在る人も同じ病ひに木枯らしのなか
おほよそは立ち入りがたき範囲にて人を恋ふるはやさしきものか
御菓子といふもをかしければえぷろんなどえらびまゐらせて
起き出づるよすがとなるも楽しけれ冷蔵庫にある南瓜のプリン
起きゐても仕方がないと思へども台風の夜の雨のはげしさ
置き去りの自転車見れば父母の在らぬ月日も長くなりたり
置き手紙短く書きてかりそめに乗りたるバスの事故なりしとぞ
オキナグサほほけて吹かれゐたりしが風土記の丘を久しく訪はず
沖縄の人の作れる歌なれば沖縄の海を思ひつつ読む
沖縄の姫の作れる歌を読む危ふかりにし手を越え来て
起きぬけに桔梗ひともと折りければ冷たき露のしばしはららく
沖よりの風になびきし形して真直ぐな木とて一本もなし
屋上に眺めてあれば混みあひて音のきこえず人の流れに
屋上のコートにテニスするなどと思ひ見ざりきまして夜更けに
臆病になりたるしるし咳どめのハーブの飴もバッグに持ちて
奥ふかくねがひ持ちて生くる日よまこととほらぬ事の多かり
奥まれる祠の窓のガラス戸に何か映りゐてよそよそしけれ
送り火を焚かむとをれば夕闇を声に分けつつ人の近づく
送り火の消えて幾たりかこみゐし人影も消ゆ犬の子も消ゆ
幼き日長崎絵にて見し顔の一つリストの貌とかさなる
幼くてはらからつどひ歌いにし「十五夜お月さん」ふとくちずさむ
をさな子を二人まきこむ惨劇のありしとふわが知らぬ町の名
幼子が運び入るるに鋭角に削がれし榾(ほた)は危ふかりけり
幼子に帰れるごとく遠き日に習ひしもみぢの唄歌ひあふ
幼子に連凧見せてかがみゐる背後足音ころして通る
幼子の背の丈ほどの碑を並べひっそりとありペットの墓苑
幼子の手を引く母も渡り終へ切り絵に戻る夕べの橋は
幼子のひしと握れる左手に幾つぶあらむピラカンサの実
幼子の見つめてやまぬ視線よりのがれて編みたき病院の椅子
教へ子の一人も整理されしとぞわが危惧を容れず入党せしが
おしのけらるゝのみの生きざまは拙なしと吾をさへこの頃思ひそめつく
襲ひゆく勢ひを見すトラックもワゴン車もみな夕日に向きて
遅くまで点し火花散りしゐるこのビルも早く成りゆくならむ
お祖師さまの祭りに赤き旗を揚ぐ老いし女性の守れる堂は
おちつかぬ思ひなりしが真紅なすかへでもみぢの散り始めたり    ※
落ち尽くすまで待ちてみむと決めゐるにはまばらになりぬ南天の実は
落ち葉積む上にこぼれしどんぐりはそのまゝ雪にうもれてゆかむ
音粗く日は経つものか乗り捨てのバイクのサドル雨に打たるる
おとがひの長き百済の仏像は人手に渡り帰ることなし
落とし来しライター思へばラマ僧に会ひたる辻も目によみがへる
落としたる何とも知れずただ赤く早瀬に乗りて見えずなりたり
音たててころがるならむ松かさの三粒そのままよけて通りぬ
音立てて咲くといふ蓮の花を見む小鳥のやうに早起きをして
音立ててしじに動くは何の落ち葉か茅の輪飾りのありしあたりに
音立てて散りしならずや紅薔薇も黄薔薇も散りて帰宅待ちゐし
音立てむばかりかさねて花びらの崩るるときを見むと思はず
踊って踊ってそのまま戻らぬかも知れずつらなり行けり鳥追笠は
訪ひて来し民生委員の言ふ聞けばひとりぐらしの老女よわれも
音のせぬ車のひたととまりたるいづこの家かと思ひつつ臥す
音のなき球体ならめ遠くよりほつかり浮かぶ地球を見れば
音までは覚えてゐなくてブリキの蛙はねてゐたるはいづこの祭り
をとめの日四年を奈良に住みゐしは人に知られぬわれの幸ひ
をとめ二人ボートに乗せし父親がオールしなはせ漕ぎ出でむとす
音もなく低く焔を這はせつつピート燃えゐしいづこの家
音もなく人の殖えくる夢なりき菖蒲の花の立つさまに似て
衰へし薔薇のたちまち散り尽くすかかる速度にも堪へねばならず
衰へてよろぼふさまを亡き父母に見せなくてすむことを思はむ
同じ病に苦しむ人の歌ならむヘルバートなる薬の名詠む
同じやうに去年も問ひにき木にみちて白々とあふれ咲く花の名を
鬼などのゐるを言はれてふるさとの鍾乳洞は見ずて終りき
おのづから双手の指のそろひたりつばさひろげて懸崖の菊
おはらひを受けしグリーンの車倚子乗せ今日はどこまでゆくならむ
覚えなくてよきことも覚え吾も世の家妻さびて春さらん日を
思ひゐしよりも手早く水槽にかがみてすくと豆腐を掬ふ
思ひ出づることのはろけく挺身隊に行きて戻らぬひとりありけり
思ひ出づる言葉は寒し白桃をうかべし水のはつかこぼるる
思ひがけずガラスに映り目薬は涙のごとく両頬伝ふ    ※
思ひ出は走馬灯のごとかけめぐる君の逝きしをききて帰れば
思ひのほか空やはらかく暮れ初めて裏富士をめぐる旅にゐたりき
思ひみる理由といふもさびしきに人は仕事をやめしと言へる
思ふことの成らざらむ日を覚悟しつつ働く日々と告ぐることなし
思ふさへうとましき日のあるものを用向きを言ふうすく笑ひて
思ふさま言ひゐたりしか午後よりはパッチワークの会へ出でゆく
思ふさま朱線を引くも稀にしてなほしのおおきゲラを直しむ
思ほえずめがねをかけたるときに見て右手の手相の変はれるも知る
思ほへば風媒花なる稲の穂のそよぎそよぎこよなく淋しき日あり
おもかげが先に目に湧きPLOのアラファトの名はしばし浮かばず
おもかげの異なる村に芽ぶきをりいくばく残る桑の畑も
おもちゃの銃に撃たれて死ねば用のなき祖母となるとぞ日に幾たびも
おもむろに語り出でつつ動乱の国を見て来し目となりゆけり
思はざる偽りも言ひて過ぎゆくに久々に道に会ひたる人も老い
思はざる視野はひらけて湯の町は白亜のビルの密集地帯
思はざる長居を強ひて下ごころさびしくゐたるわれかも知れず
思はざる人の心も見えわたる癒えがたく病むと告げしときより
親元をはなれて学び弾きたくて励みし日ありワルツブリランテ
をりをりに思ひ出でては見殺しといふ怖ろしき言葉ありたり
をりをりに帰る意識に呼びましし隠し味とてワイン一滴
をりをりに書き出され又忘れられてひと世さびしきわが名と思ふ
をりをりにガラスを拭きて身の細き赤き金魚を飼いゐし昔
をりをりにから回りのやうな音立つる風速計は二階の高さ
をりをりの思ひのごとく金属の歯を幾粒か口中に持つ
をりをりの父の言葉も多く忘れつ夜の更にタイプ打ちゐん
折り紙にオルガンを折り舟を折り長く肺炎を病みゐし二歳
折り鶴の尾よりほどけて裏白の千代紙の朱も雨に濡れゐる
降りて来し子雀の背に張りつける巣藁ひとすぢきらめきにけり
降りて来て眺めてはまた昇りゆき心ゆくまで芽木とつきあふ
をりふしに痛き言葉も言はれて過ぎきやみがたくし恋ふにもあらね
をりふしに水は光を呼ぶらむか路上まぶしく照ることのあり
オルゴールのトロイメライが空に鳴り子供らの声きこえずなりぬ
オロシアの大投手日本にゐたる日を朧ろに知れるファンよ吾は
終らすすべはつひになかりき君をおきて友らと鬼怒川の旅に来つれど
追はれても走り得ざればおぞましきものの一つぞ鼠花火も
温室の高温多湿やはらかに花びらを巻く冬の薔薇は
おん寺に防火訓練ありしとぞ唐様式の甍もぬらし
オンドルにまどゐするころとひとりごち日本に長く住む人やさし
女ゆゑかかるよろこびもあるらむか髪ととのへてこころ整ふ
女らしくやさしくゐたる日のありや働きて経たる三十年に