さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

歌集未収録の短歌

歌集不掲載の短歌

雑誌『形成』

昭和六一年一月 (無題)(五首)
 稲の葉は露あげて朝々光るとふわが知らぬ一つ農のよろこび
 蜆蝶の数よむこともなく見ゐて自在といふにも限りのあらむ
 男の声障子のなかにしてゐしがひひらぎの花かすかに匂ふ
 孔雀草と聞きし白花きらめきてひと夜の夢にひろがりやまず
 風邪の熱もやうやく引きて鳥の声弾めりと思ふ今朝のめざめに
 
昭和六一年二月 (無題)(五首)
 日曜を休む店あり賑はへる店あり午後の町を歩めば
 花の絵のラベルやさしく向日葵の蜂蜜といふ小瓶が売らる
 夜の更けのベランダを駆け抜けしものかの魔のものか今の黒猫
 断面を見しと思へる錯覚に重き頭蓋をのせて起き出づ
 よく噛んで食べよと言ひし母の声歯の弱くなれる今に身に沁む
 
昭和六一年三月 (無題)(五首)
 わが知らぬ月日重ねていづくにかまどかに人の老いていまさむ
 どの花かに見つめられゐる思ひせり蘭のフレーム巡りゆきつつ
 新しき鳥籠に移し入れられし黄のインコ二羽はばたきやまず
 かけこみて乗りし勢ひに三米ほどつい走りたりわれにもあらず
 かすかなる茜なりしが西の空混み合へるまま暮れゆかむとす
 
昭和六一年四月 (無題)(五首)
 大いなる旗のたたまれ日の丸の部分もつひにたたみ込まれぬ
 目印と教はりにしが今日来れば幼稚園の建物はいつしか在らず
 奥の間の押し入れの細くあきてをり何を出したる記憶もなくて
 一瞬の間と思へどあらだちて声をあげたりガスのほのほは
 疑はずそのをりをりを生きしのみゆりかごの唄も歌ふことなく
 
昭和六一年五月 (無題)(五首)
 しろがねの紐のいくすぢかかりゐて凍れる滝の垂直ならず
 本丸の跡とし言へり石垣の裾をふちどる去年の落ち葉は
 中腹に節分草の咲くといふいまだに雪の深しとも言ふ
 道ばたの残雪のさき古綿のごとしと言へる比喩もほろびむ
 靴篦を取らむとすればポケットに入れしままなるコインが音す
 
昭和六一年六月 (無題)(五首)
 白鳥の飛べる姿に消え残る雪とぞみちのくの春を伝へて
 夢にさへ声のかすれてくらがりにうなづくのみの父と会ひゐし
 山峡は春浅くしてふたたびの雪に沈みゐむ乙女の像は
 思はざる大雪のあと片栗は一輪のみとなりて咲きゐつ
 ストックの匂へる白を束のまま供へて寒し春の彼岸会
 
昭和六一年七月 (無題)(五首)
 小豆ほどの蕾なりしが紅梅ははなびら裂きてあはきくれなゐ
 仰ぎ見る紅梅一樹空間をおしひろげつつ咲きあふれたり
 かげろふのなほ立つ如しふるさとの野をゆく夢より戻り来りき
 体温を計りなどして午後となり菜種梅雨とふ細き雨降る
 梅雨の夜の用水に来て鳴きてゐし水鶏の声も今年は聞かず
 
昭和六一年八月 (無題)(五首)
 予報通りの雨となりたり校門を出でくる少女らみな傘をさす
 三日続きの雨に思へばみちのくの河童の沼も水湛へゐむ
 ほめられしことにもあらね血色のよき足裏と指圧師が言ふ
 衝動買ひは常のことにて青インキうすめし色のタオルを買ひぬ
 状差しに差しおくナイフ物騒に思はるる日のありて暮れたり
 
昭和六一年九月 (無題)(五首)
 思はざる近間に今朝も鬨つくるをんどり一羽見たることなし
 幾ときもたたざるものを灰皿に落ちて匙なす薔薇の花びら
 エルメスの香水と思ひすれ違ふ人の和服の夏めきゐたり
 播かぬ種は生えぬと言へり頂きて手帳にはさむ雁来紅の種子
 ひとりなす水無月祓へ灰皿に小さき紙の形代を燃す
 
昭和六一年一〇月 (無題)(五首)
 ブロンズの青年の像を仰ぎゐて鋼のごときこころにあらず
 くらがりを帰りてくれば夜の川に匂ふはずなきうしほが匂ふ
 前山の木々はさだかにそよぎゐて次なる山はうすがすみせり
 うすうすに張れる氷の見えゐしが痛きところのありて目ざめぬ
 さむざむと屈まりをれば降り出でし雨を言ひつつ医師の来給ふ
 
昭和六一年一一月 (無題)(五首)
 勾玉のかたちに白く暮れ残る水たまりあり地上を見れば
 ふるさとの方言ならむ昼顔をアメフリアサガホと母は教へき
 デパートの前の通りの夕まぐれ何の屋台か店じまひせり
 声までは嗄れずにゐるをよみされて切れば遙けし夜更けの電話
 先んじて吠ゆる犬あり雷同して吠ゆる犬あり覚めゐて聞けば
 
昭和六一年一二月 (無題)(五首)
 枯れいろの網目なりしが青蔦は影をかさねて壁を遮蔽す
 広げたる手の如き葉はカクレミノと知りて歩めば幾たびも会ふ
 バスを待つ頭上をあまた飛びかひてせはしかりにし燕もゐず
 蜘蛛の網に囚はれしものも鎮まりて細かく光る雨の降り出づ
 四個ありと聞きしガリレイ衛星もその木星も見ず終らむか