さいたま市立大宮図書館/おおみやデジタル文学館 ―歌人・大西民子―

大西民子の生い立ち(附年表)

大西民子の生い立ち

 
教師時代
教師時代
 1944(昭和19)年9月、半年早く繰り上げ卒業した民子は、岩手県立釜石高等女学校の教員となり、担任していた生徒とともに疎開先の遠野で終戦を迎えます。
 戦後、教員組合に参加していた民子は、活動の中で釜石市の高校教員だった小説家志望の大西博と出会い、1947(昭和22)年に結婚しました。幸せな結婚生活を送りますが、妊娠の喜びも束の間死産してしまい、その後、網膜剥離により半盲状態となった民子は、半年間病床に伏すことになりました。
 仕事の合間、民子は短歌の同人雑誌「歌と随筆」などに歌を投じていました。ある時、木俣修の歌集『冬暦』に出会い感銘を受けた民子は、文学者が集う東京へ行き本格的に歌の勉強をしたいと、博に上京を促します。