高根沢町図書館/高根沢町史ほか

わたしたちの高根沢町と栃木県

5 くらしの中に伝わる願い

(3)地いきは,どのように発てんしてきたの

宇津救命丸(うづきゅうめいがん)

② 宇津家を調べよう


130-1 さくらさんは,おばあさんから,「宇津家の人たちは,江戸(えど)時代のころ,まずしい近くの村の農民たちを助けていたそうだよ。」とも聞きました。宇津家は,薬の他に,味そや酒をつくり,力のある名主だったそうです。
 また、宇津広之進(こうのしん)が私塾(しじゅく)「博愛館(はくあいかん)」を開き,教育にも力をそそいでいました。「博愛館」は後に私立(しりつ)「宇津学校」となり,漢文(かんぶん)や手習(てなら)いを主に教え,栃木(とちぎ)県下から多くの学生が集まりました。上高根沢小学校の初代(しょだい)校長も宇津家の出身でした。
◎宇津家が地いきの人のためにやったこと◎
1798年 地いきの子どもを育てるための「手当てかし出し金」として,一橋領(りょう)の役人に金百両さし出す。
1839年 4代にわたり年ぐ取り立て役をつとめ,1833,1836年の凶(きょう)作で,年ぐもおさめられず食べる物さえない農民を助けたことで代官(だいかん)から表しょうされる。
1854年 宇津広之進が私塾「博愛館」を開く。
1869年 「博愛館」が私立「宇津学校」になる。
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☆ことばの広場☆
 名主
  今の町長にあたる仕事をした人。
 手習い
  文字を書くことを習うこと。習字など。
 凶作(きょうさく)
  天気が悪くて,米がとれないこと。