高根沢町図書館/高根沢町史ほか

わたしたちの高根沢町と栃木県

5 くらしの中に伝わる願い

(3)地いきは,どのように発てんしてきたの

宇津救命丸(うづきゅうめいがん)

② 宇津家を調べよう


 近くの人に分け与えていた救命丸も,一橋家(ひとつばしけ)とかかわりをもつようになってから,広く親しまれるようになりました。
 1824年の一橋領(りょう)のおふれ書きに,当時大流行した「はしか」の予ぼうとして,おまじないの他に「宇津権右衛門売薬の救命丸を一つぶずつせんじて飲むこと」とあります。領主(りょうしゅ)も地元の薬を広めるのに積極的(せっきょくてき)でした。
 江戸(えど)時代後期(き)には,地方へと広まり,全国の人の出入りが多いところに取次店が置かれ,薬を売るようになりました。当時の取次店は,関東地方を中心に374か所にものぼりました。
 明治(めいじ)時代になると,製薬会社(せいやくがいしゃ)を設立(せつりつ)し,薬問屋(どんや)を通じて全国の小売店ではん売されるようになり,現在(げんざい)の「宇津救命丸」の名前になりました。
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☆ことばの広場☆
 はしか
  当時のはしかは,多数の死者の出る、伝(でん)せん病の一つでした。