高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 民俗編

第五章 信仰

第八節 寺院の由来と祭り

一 寺院の由来

(二)日蓮宗の寺院

 日蓮聖人が説法して歩いた旅の生涯は、各地に霊跡としてとどめられている。人々は霊跡をたどって日蓮の苦難に満ちた生涯をしのび、その霊性に触れようとした。栃木県では那須湯本の喰初寺が霊跡として知られるが、亀梨にも日蓮の霊跡伝承が伝えられている。
 亀梨の妙福寺の縁起には、次のように伝えられている。日蓮聖人は、文永元年(一二六四)一一月一二日の安房国小松原法難において、眉間に三寸の刀傷をうけ、その治療のため下野国那須温泉に向かった。那須郡烏麦村(現南那須町福岡)で日暮れとなり、釈迦堂を一夜の宿とし、法華経を読誦し御題目を唱えて一夜を明かした。翌朝には集まった村人に説法し、しばらく逗留することになった。そのころ、烏麦村から亀梨村に通じる山道では、牛幸地池の大蛇と大熊の害により人々が命を失い、日暮れには通行する人もなかった。村人は日蓮聖人にこの難儀の助けを乞うと、日蓮聖人は荒川と鬼怒川から清浄な小石を拾い集めさせ、それに経文や御題目を書写して祈ると、法力は顕現し、たちまち大蛇と熊が封じ込められた。そこに石経塚を築き、蛇熊塚といわれた。日蓮聖人は那須温泉に向かおうとするが、村人が別れを惜しむので、日蓮聖人の尊像を、弟子の日法上人に彫刻させた。日蓮聖人自ら開眼した尊像であって、この尊像に二一日間信仰する者には一〇種の福を授けると言い残して別れた。この尊像が妙福寺の祖師像であるという。蛇熊塚では、四月二八日の日の出ご来光を前に、妙福寺住職が読経して供養する。