高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 民俗編

第五章 信仰

第七節 講の集まり

二 参詣の講

 四国の八十八ケ所霊場巡りは全国各地に縮小して移され、地元のお遍路として巡拝された。旧暦三月二一日は弘法大師の忌日なので、その前後に各集落に祭られる大師像を巡拝する弘法大師講が行われた。高根沢町では三月中旬に弘法様やお回りといわれた弘法大師講の巡礼が行われた。平田にある「下野国新四国八十八ケ所霊碑」は明治二四年に建てられ、同じ年号の弘法大師像は、大谷・太田・寺渡戸にある。高根沢町の弘法大師講はこのころ始められたらしい。以下に、『下野国新四国八十八ケ所霊場御詠歌集』によって、明治二十四年の巡拝経路と接待した集落や家名を示す。
 
  下野国新四国八十八ケ所霊場
   一番 中之内加藤富三郎家   二番 太田見目武八家・薄井源四郎家
   三番 寺渡戸 山本徳三郎家  四番 上太田 加藤勝一郎家
   五番 太田 西坪一同     六番 寺渡戸 山本惣市家
   七番 寺渡戸 岩原久平家   八番 西高谷 字一同
   九番 西高谷 小堀伴次郎家  一〇番 平田 手塚七郎平家
  一一番 東高谷 字一同     一二番 文挟 阿久津馬吉家
  一三番 八方口 奥畑梅吉家・野中倉吉家  一四番 伏久 神山友八家
  一五番 柿木沢 植木又七郎家  一六番 下新田 岡田貞七家
  一七番 采女 平出新吉家    一八番 西大谷 磯惣造家
  一九番 花岡 岡本勘三郎家   二〇番 西高谷 田辺九内
  二一番 笹原 小川徳三郎家   二二番 石末 字一同
  二三番 東大谷 阿久津音七家  二四番 花岡 岡本豊八郎家
  二五番 花岡 越川安三郎家・亀田金三郎家  二六番 花岡 地蔵地
  二七番 石末 野沢辰之助家   二八番 籠関 加藤藤吉家
  二九番 柳林 加藤孫一郎家   三〇番 赤堀 滝出伊左衛門家
  三一番 中之内 吉井由三郎家  三二番 金井 喜次郎坪一同
  三三番 栗ケ島 白鳥西坪一同  三四番 番花岡 石塚勘平家
  三五番 上太田 齋藤勝之助家  三六番 西根 西坪一同家
  三七番 八ケ代 鈴木熊重家   三八番 上金井 古口藤吉家
  三九番 花岡 上西坪一同    四〇番 栗ケ島 東坪一同
  四一番 中之内 吉井由三郎家  四二番 東高谷 加藤林一郎家
  四三番 桑窪 加藤勇家     四四番 台新田 小林大造家
  四五番 福岡 小池由平家    四六番 福岡 小池由之助家
  四七番 桑窪 宿坪一同     四八番 平田 東坪一同
  四九番 大谷 石塚次郎平家   五〇番 福岡 小池七三郎家
  五一番 肘内 字一同      五二番 中阿久津 西坪一同
  五三番 長久保 字一同     五四番 宝積寺 落合彦衛門家
  五五番 宝積寺 横須賀留吉家  五六番 長久保 字一同
  五七番 東高谷 齋藤喜三郎家  五八番 東高谷 関口清七家
  五九番 中之内 加藤富三郎家  六〇番 上太田 杉村七次郎家
  六一番 東高谷 加藤林一郎家  六二番 上太田 齋藤末吉家
  六三番 上太田 加藤勝一郎家  六四番 上太田小池午吉家
  六五番 平田 加藤市作家    六六番 花岡 小池宥松家
  六七番 桑窪 和田坪一同    六八番 西根 東坪一同
  六九番 大和金 金子新平家   七〇番 桑窪 新田坪一同
  七一番 中之内 加藤富三郎家  七二番 下柏崎 鈴木重次家
  七三番 花岡 小池利七家    七四番 上阿久津 片倉伴平家
  七五番 宝積寺 下坪一同    七六番 柿木沢 磯寅一郎家
  七七番 東高谷 田村卯之吉家  七八番 太田 齋藤丑松家
  七九番 宝積寺 学校前     八〇番 東高谷 鈴木平吉家
  八一番 芦生沢 坪一同     八二番 鴻ノ山 字一同
  八三番 車高谷 鈴木新吉家   八四番 狭間田 小野鍋次郎家
  八五番 桜野 薬王寺      八六番 中阿久津 加藤長三郎家
  八七番 福岡 小池兵吉家    八八番 氏家 光明寺
 
 これによれば、平田・太田・寺渡戸・西高谷・文挟・伏久・柿木沢・氏家下新田・大谷・花岡・石末・栗ケ島・上高根沢・桑窪・中柏崎・中阿久津・宝積寺・上阿久津・氏家宿というように、現在の高根沢町のほぼ全域と氏家町の南部に及んでいる。昭和四〇年代までは、栃木県内の真言宗寺院が組織した弘法大師の巡拝講である下野金剛講の支部が集落ごとにあった。法螺貝を吹く先達を先頭に、白装束の巡礼姿で高根沢町内や近隣の町内にある仏堂を巡拝した。弘法大師講が立ち寄る仏堂では、堂を祭る家や集落の人々が、赤飯・団子・煮しめなどを用意して接待した。巡礼の人々は仏堂の本尊に御詠歌や念仏和讃を唱えた。回り始めの「打ち始め」から終了の「打ち切り」まで、一〇日から二〇日かかり、行く先々の家で宿泊した。太田の吉井暢一は、昭和三七年から四八年まで、密厳教会遍照講の大教導として弘法大師講の先達をつとめた。次に、昭和四八年に下野金剛講上組花岡支部が行った巡拝日割りを示しておく。
 
   昭和四八年弘法大師巡拝
  三月八日  亀梨量山寺で打ち始め、大用地・芦生沢・鴻野山・飯室(宿泊)
  三月九日  文挟・伏久・八方口・狭間田・柿木沢(宿泊)
  三月一〇日 氏家・桜野・鷲宿(宿泊)
  三月一一日 喜連川・鹿子畑・上川井(宿泊)
  三月一二日 群沢・志鳥谷中・志鳥・下川井(宿泊)
  三月一三日 下川井上・小白井・三箇・熊田・藤田(宿泊)
  三月一四日 大和久・田の倉・大赤根・八ケ代・柏崎(宿泊)
  三月一五日 桑窪・太田・栗が島(宿泊)
  三月一六日 金井・赤堀・西根(宿泊)
  三月一七日 鷺の谷・中阿久津・上阿久津(宿泊)
  三月一八日 大中・富の岡・長久保・松山新田(宿泊)
  三月一九日 松山新田・氏家河岸・采女・下新田(宿泊)
  三月二〇日 西大谷・大谷・花岡(宿泊)
  三月二一日 仁井田・東高谷・上太田・中の内・平田(宿泊)
  三月二二日 寺渡戸・西高谷・籠関(宿泊)
  三月二三日 柳林・石末・笹原(宿泊)
  三月二四日 宝積寺駅前・下宝積寺・加藤家で打ち切り
 
 昭和五一年は三月一〇日に花岡の地蔵寺が打ち始めで、三月二三日に亀梨の量山寺が打ち切りで行われたが、これ以後は行われなくなった。

図91 下野国新四国八十八ケ所霊場の碑(平田)


図92 下野国新四国八十八ケ所御詠歌(平田 鈴木家蔵)


図93 明治24年の弘法大師像(太田)


図94 弘法大師講の先達 吉井暢一(太田 吉井弘美氏提供)


図95 下野金剛講のお札(太田)


図96 昭和40年代の弘法大師講(太田 吉井弘美氏提供)