高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 民俗編

第五章 信仰

第五節 天祭と夏祭り

 昭和一〇年代は、石末宿の真言宗の大聖寺に天棚小屋があって、天祭の時に大聖寺の庭に組み立てて天祭を行った。第二次世界大戦中は中断し、昭和二〇年代に数年行ったが再び中断した。昭和四〇年頃に復活し、昭和五〇年代からは宿公民館の庭で行っている。
 昭和五八年に公民館に隣接して石末宿集落センターと天棚収納庫が建設され、組み立てたまま天棚を収納できるようになったので、天祭の時は収納庫から天棚を引き出して行う。天祭は三日間で、七月三一日をブッツケ、八月一日をナカビ、八月二日をブッキリといった。平成元年ごろから八月始めの土・日・月曜日に行うようになり、平成一〇年からはナカビを省略して土・日曜日の一一日間にブッツケ・ブッキリを行うことになった。
 御行様は村の年長者二名がつとめ、白い行衣を着て頭には行者の宝冠をかぶる。宝冠はイボシ(烏帽子)と呼ばれる。御行様は天祭の前の一〇日間は、お茶や塩物などの断ち物をして修行をする。天祭の三日間は集落センターに泊まってお籠もりをして修行をする。集落センターの八畳間に注連縄の一種のカマジメ(釜注連)を張って行屋とし、寝泊まりをする。幣束や梵天は御行様が作る。集落センターの西側の小さな用水堀に注連縄を張り供え餅を供え、水神を表す白い梵天を立てて水行場とする。御行様は水行場で水をかぶって清める。
 御来迎はブッツケの日は午前一〇時・一二時・午後六時の三回、ナカビの日は午前六時・一〇時・一二時・午後三時・六時の五回、ブッキリの日は午前六時・一〇時の二回行う。御来迎の時は、二人の御行様のうち一人は天棚に上がり、一人は村人を先導して行道する。村人は裸足になり、御行様の後について、「ゴライコウ、ゴライコウ」と唱えながら、天棚の周りを右回りに三周して、水行場へ行き清める。村人は、白い猿股と白い半袖シャツを着て行ったが、現在では普段着である。
 明治時代の終わりごろに天棚が火災にあったので、現在の天棚はその後新調したものだという。天棚の棟木には「皇太子殿下御降誕記念修理 昭和九年旧七月六日 石末宿坪一同」とある。天棚の二階の板には日輪・月輪が描かれる。二本の大きな幣束は日天・月天を表し、一二本の小さな幣束は十二天を表す。二層の祭壇の大きな供え餅は三組で、三組は日天・月天に供え、一組は大聖寺住職への布施とする。小さな供え餅は一二組で十二天に供えられる。これらの餅は、天祭の終わりの納め会の時に細かく切って、護符として各戸に配られる。日天・月天の幣束には、五枚の小皿に米・麦・大豆・小豆・蕎麦の五穀が供えられる。米・麦は籾のままである。
 天棚の前に行灯が立てられる。行灯は紙花で飾りつけられ、「天下泰平・五穀豊穣・風雨順時・坪内安全」という天祭への祈願が書かれる。行灯のもとには賽銭箱がつけられ、参拝者は行灯の前で天棚を拝む。天棚の四隅には梵天が結びつけられる。左側前は日天を表す赤色、左側後ろは昼の青空を表す青色、右側前は月天を表す黄色、右側後ろは夜を表す紫色の房の梵天である。ブッキリで天祭が終わり、八幡宮に御来迎に行くときに梵天と行灯を持って行き奉納して天祭は終了となる。天祭を子供が参加できる夏祭りとするために、子供御輿を昭和六三年頃に新調して御輿の巡幸を始めた。
 お囃子の囃子方は八人で、天祭囃子・新囃子を演奏する。御来迎があると、村人のうちから「ほめ言葉」を述べたい人が出てきて、「シバラク、シバラク」と、お囃子を止めて行灯の下で「ほめ言葉」を述べようとすると、参会の人々が「ショモウ、ショモウ(所望、所望)」と答えた。「ほめ言葉」が終わると、天棚の二層にいる御行様が「返しの言葉」を述べた。石末宿に伝わる「ほめ言葉」は次の通りである。
 
    天祭褒め言葉       石末宿天祭保存会(小川 伝 補作)
  暫くゝゝと しばを進めしわれゝは ずうっと奥のお山のその奥の そのまた奥のまた奥の ずうっと奥の奥のその奥の またその奥の奥山の 炭焼き親爺のドラ息子 隣の娘を孕ませて 延生の地蔵さんへ願かけて 安産祈願の帰り道 笛や太鼓に誘われて 花の御地に立寄れば 天棚飾り風祭 さぁてもきれいさ 立派さ賑やかさ 一言褒めて帰りたい 但しご所望かご無用か
  「所望ゝ」の声
  あゝら嬉しや所望の声 ご所望とあれば褒めましよう 先づ出し行灯を拝すれば 天下泰平 村(坪)内安全 風雨順時 五穀豊穣の御祈願 さて天棚を拝すれば 破風造りの二階建て 四方の柱を見渡せば 上り竜に下り竜 ぼたん唐獅子彫り上げて 左甚五郎の御作か ずうっと奥を拝すれば 日天月天十二天 三日三夜の常夜灯 清き流れに身を清め 三日三夜の行を積み 白装束の御行様 階下のお囃聞きやれば 一笛二太鼓三しゃぎり 四つ世の中おだやかに 五ついつでもむづましく 六つ無病息災で 七ツ何事まろやかに 八は八月お天祭 九つこゝらが止め所 所繁盛皆様繁盛 先づは左様
 
   天祭褒め言葉の返し言葉   石末宿天祭保存会(小川 伝 補作)
  東西東西と鳴り物を 差し止めまして只今は どこのどなたか存じませんが 当地の天棚を 上から下から隅々まで お褒め下さいまして 若い衆を始め中老一同 厚く厚くお礼を申上げます 本来なれば御礼に お酒菰かぶり一樽 赤飯お煮〆など トラック一台位 またお酌には助平女の五六人位は 差上げたいところでご座いますが 何分にも中回向の取込中でございますので 深くお許を戴き 言葉だけの御礼 先づは左様
 
 平成一二年の天祭は次のように行われた。ブッツケの八月第一土曜日は、朝八時から天棚の引き出し準備を行い、午前一〇時までに天棚収納庫から天棚をころで引き出す。午前一〇時にブッツケが始まり、天棚の上階に御行様二人・大聖寺住職・区長・公民館長・農事組合長などの役員が上がる。大聖寺住職が読経・表白を述べ、階上の役員が御神酒を飲む。午前一〇時三〇分に御来迎が始まるので、大聖寺住職・役員が階上から降りる。お囃子の演奏が始まり、一人の御行様が降りて、御来迎を行う村人を先導する。村人は裸足になり、御行様の後について、「ゴライコウ、ゴライコウ」と唱えながら、天棚の周りを右回りに三周して、水行場へ行き足を水につける。これを三回行う。午前一一時に天祭供養塔と八幡神社に参拝するために、軽トラック二台に御行様・役員・お囃子が乗り移動する。天祭供養塔の前では、御行様がろうそくと供え餅を供えて拝む。石末宿の鎮守である八幡宮は宝積寺台地上にあり、小高い丘の上にある。八幡宮に上り、拝殿にろうそく・供え餅を供え、御来迎を行う。お囃子を演奏して「ゴライコウ、ゴライコウ」と唱えて神社を一〇周ぐらい回り、お清めの御神酒を飲む。午前一一時二〇分ごろに集落センターに戻ってくる。一二時に御来迎を行い、お清めの飲食をする。
 午後二時に祭り太鼓をたたいて子供御輿の巡幸を行う。一日目に石末宿のうちの半分の家を巡り、二日目に残りを巡る。子供が少なくて担ぎ手がいないときは、太鼓や御輿は軽トラックに積んで行く。午後六時に御来迎を行う。午後七時からは盆踊り大会・花火大会・のど自慢大会が行われ、地域の夏祭りとして楽しまれる。
 ブッキリの八月第一日曜日は、午前六時に御来迎、午前九時に子供御輿の巡幸を行う。午前一〇時の御来迎の後は天祭供養塔に参拝し、八幡宮で御来迎を行う。午前一一時三〇分ごろに天棚を収納庫に収納し、納め会を行う。

図60 天棚を巡る御来迎(石末 宿)


図61 天棚に祭る日天・月天・十二天(石末 宿)


図62 水行場(石末 宿)


図63 天祭供養塔の供養(石末 宿)


図64 八幡宮での御来迎(石末 宿)


図65 天祭夏祭りの御輿(石末 宿)