高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 民俗編

第二章 着物・食べ物・住い

第三節 住い

二 付属施設の利用

 五行川や鬼怒川沿いなど用水が網の目のように張り巡らされている低地帯では、農具はもとより食器洗いや衣類のすすぎなどを用水べりに設けた洗い場で行う家が多かった。こうした洗い場をカワバタ(川端)といった。一方、東部の丘陵地帯や西部の台地上では井戸がもっぱら用いられ、また、低地帯でも飲料水などは井戸から汲み上げたものである。
 井戸は堀井戸が一般的で、地面を円形に掘り下げ上部を玉石や切石で土留めをし、井戸枠には栗の木などを井桁たに組んだ。水の汲み上げには撥ね釣瓶や滑車を用いた。撥ね釣瓶は、柱の上に横木を渡し、その一端に石を、他端に釣瓶を取りつけた石の重みで釣瓶を撥ね上げ、水を汲むようにしたものである。一方、滑車は、井戸の真上に屋根を掛け、梁に渡した横木に滑車をかけ、その滑車に釣瓶を引っ掛けたもので、こうした井戸をクルマイド(車井戸)と呼んだ。
 井戸の傍らにはコンクリート製の流しを起き、ここで米とぎや鍋・釜などの洗い物や洗濯をしたもので、排水は堀に流すか、あるいは流しの下方に掘ったメクラドブに流したものであった。
 堀井戸の底にはやがて木の葉や崩れた側面の土砂が溜まるので二、三年おきぐらいにさらった。これをイドサライとかイドハライといい隣り近所の者が共同で行ったものである。季節は、地下水が少なくなる冬季で、一月一六日をイドサライの日とする例が多い。
 撥ね釣瓶や車井戸が用いられたのは、戦前であり戦後になるとポンプが普及し、やがてモーターによる自家水道となる。また、堀井戸の他に鉄管を打ちこんだテッカンイドも普及した。なお、台地上に位置する宝積寺駅前では、共同の堀井戸が用いられた。K家が使用した共同井戸は、五軒で利用したもので、井戸脇に流しが設置され、朝夕は、主婦たちがあつまりそれこそ井戸端会議となったという。共同井戸の管理は、利用者全員で管理した。

図68 車井戸を手押しポンプにかえた井戸(亀梨)