高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 民俗編

第二章 着物・食べ物・住い

第一節 着物

一 衣料と履物・被り物

(一)仕事着と余所行き

 女子は上衣に晒でつくった肌襦袢を着、その上にコシッキリと呼ばれる尻が隠れるくらいの丈の長さで、絣や縞模様の木綿で仕立てたものを着用した。
 コシッキリとは腰切りがなまったもので、戦争中のころから着用されるようになった。それまでは、長着の裾を腰の丈まで端折(たくし上げること)、その上から股引をはいていた。だんだんそのたくし上げる手間を少なくし、手早く、かつ、着やすいかたちに改良されたのがコシッキリである。袖も、筒袖や少し丸みを付けたモモソデなど、作業のじゃまにならないように工夫改良された。農作業や家事に忙しい主婦たちが考えたものであり、何よりも一反で二着作れることにあった。嫁入りのときには二、三枚くらいは持参してきた。絣にはニコニコと呼ばれた染めの絣と絣糸を織った織り絣があり、染めの絣は値段も比較的安かった。縞にはヨコッジマ(横縞)やエンジシマ(遠州縞)などがあった。コシッキリの上には、幅一八センチメートル程の半幅の帯を締め、その上に男子と同じ木綿の股引をはくこともあった。帯結びはほとんどが「矢の字」結びで、嫁入りして間もない若妻は、お太鼓結びにする人もいた。
 下衣にはネルや晒の腰巻きまたはパンツをはいた上から男子と同じ紺色の股引をはいた。股引は田んぼに入るときには、足にぴったりとくっつき、泥中の作業も楽であった。戦中、戦後にはモンペが普及しても田んぼの作業は股引が多かった。脚には、股引の上から膝下二〇センチメートル程のところを藁でしばり、脚中に泥水が入らないようにした。
 モンペははじめは股引と同じように、袴のように腰でひもを結ぶものであったが、ゴムの普及とともにひもに代わってゴム通しをつけて、着脱しやすいズボンの形になった。モンペは畑や庭先でのオカシゴトに着用した。また白やピンク、朱色のタスキをかけ、袖をたくし上げた。白は嫁であること、ピンクは嫁入り前の適齢期を意味するなど、大勢の女性たちの中で見分ける目印のようなものであった。
 帯は着古したボロを裂いて織った裂き織りの半幅帯で、適度な堅さで締め心地がよいものだった。手から腕にかけては、男女ともに、泥やヒル、虫さされなどを避けるため、あるいは手の甲の日焼けを防ぐためのテサシを付けた。多くは着古したヤマッキや残り布で作られることが多かった。女子のテサシには中指に通す甲掛けがついていた。
 帯の上からは前掛けをかけた。台所作業と違って、足にまとわりつかないように、一幅もので、長さは約四〇から四五センチメートル程の短いもので、ヤマッキや木綿の着物を仕立てた残り布を利用した。
 冬にはハンコ、ネジリツッポと呼ばれる綿入れを着た。ハンコはチャンチャンコとも呼ばれ、袖のない綿入れで、ヤマッキの上に着用した。ヤマッキや木綿の着物の残り布を接ぎ合わせ、脇には襠をつけたものである。袖がないために腕が動かし易く、冬の農作業には重宝した。ネジリツッポはツッポ、ツッポコとも呼ばれる袖を付けた半纏で、おもに家の中や近所に出かけるときに着た。綿入れの襟には補強のために、黒色木綿布やビロードの掛け布をつけた。
 昭和三〇年代には毛糸が普及し、セーターや毛糸のハンコ、チョッキ、靴下などを着る人もあらわれた。

図1 ヤマッキ


図2 ハンコ(中阿久津 野中家蔵)


図3 裂き織りの半幅帯(茨城県真壁町民俗資料館蔵)