高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第六章 発展する高根沢町

第二節 御料牧場と工場誘致

二 工場誘致と工業団地

 砂部地区は大字太田及び平田の一部に属し、土地改良事業の際、高台に位置していたため土地改良の実施が見合わせられ、町は工業団地としての利用を考えていた。もともと、この地域は戦後開拓による入植者が多く、土地の生産性においてもそれほど高いものではなかった。
 こうして、高根沢町東部の太田字砂部地区井沼川沿いの約二六ヘクタールが工業団地に造成されることとなった。造成が決定した背景には、①農業との土地利用上での調整が整っていたこと。②地権者の同意が得られていたこと。③本田技研工業株式会社関連の企業の誘致が見込まれること、などがあげられる。
 そして、砂部地区を工業団地として、利用すべく地権者と協議をしていたところ、自動車のシートや内装品を製造する東京シート株式会社(現テイ・エステック株式会社)が進出することとなった。それで、東京シート株式会社と地権者との間で土地売買仮契約書が成立し、会社から地権者に対して内金が支払われるところまで行ったが、六二年(一九八七)四月から栃木県企業局が工業団地の開発を再開することとなり、新たに県が事業主体となり、用地買収及び工業団地としての造成は県が行うこととなった。
 これにより、県企業局と東京シート株式会社そして高根沢町の三者による「高根沢町砂部地区工業団地に関する協定書」が六二年三月二七日に締結され、工業団地・面積約二五・七ヘクタールを造成し、分譲面積を二二ヘクタールとして、六四年度中を目標に完成させることが記された。
 さらに、栃木県と高根沢町との間で、六二年四月一日付で造成事業に関する基本協定書が結ばれた。この中で、県は用地の取得・造成事業・企業誘致を行い、町は用地取得に伴う土地所有者との折衝・協議や排水等の調整を行うものとし、特に団地区域外道路(町道四九四号線)の拡幅整備や上水道の供給施設の整備が課題となった。この基本協定書に基づき、さらに細目協定書が五月一九日に取り交わされた。
 そして、さらに東京シート株式会社を入れた三者により確認書が作られ、保証金の納入期限・分譲単価・面積・土地代金等の内容が協定された。
 排水問題については、芳賀町との合意が成立し、また完成された道路・公園(約一・五ヘクタール)・調整池(約一・三ヘクタール)等の公共施設については、県から町が譲渡を受け管理するなど、工業団地としての準備が進められた。
 結果的には、砂部地区工業団地約二五・七ヘクタールのうち工場用地は、A・B・Cブロックに分けられ、Aブロックの一八ヘクタールは東京シート株式会社に平成三年(一九九一)六月六日付で分譲された。Bブロックの約三ヘクタールは町内の地元企業の強い要望で町の中小企業振興施策の一環として町内中小企業に分譲が予定された。さらに、Cブロックの〇・六五ヘクタールは栃木ビール運輸株式会社に分譲された(史料編Ⅲ・一二九〇頁)。
 なお、その後東京シート株式会社は技術センター及び工場(栃木工場)が建設され、研究開発・試作・試験が行われ、シートなどの製造が行われている。
 また、町内の地元企業としては、㈱栃木カートン・㈱南晃・㈲荒井製作所・㈱サンリツ・㈲高根沢金型・丸星食品㈱・㈲ラボール・㈲直井製作所・㈲福田金属加工業が砂部地区工業団地に入った。
 町内の企業でユニークなのは株式会社マニーである。手術用縫合針、歯科用治療器具、皮膚用縫合器具の世界的メーカで、世界の大手四社の一つに数えられている。国内生産の六〇パーセント、輸出の九〇パーセントを占めていて、特に縫合針、歯科の根管治療具などの微細加工技術では世界のトップクラスにあり、脳血管手術の進歩などに大きく貢献している。旧社名は松谷製作所で、昭和三一年に鬼怒川沿いの中阿久津でアイド縫合針の製造・販売を始めたのが出発であった。三六(一九六一)年世界で初めてステンレスの針を開発、以後、次々に新技術を開発して発展した。現在、本社が中阿久津にあり、清原工業団地に第一・第二工場がある。従業員約二五〇人、ロボットも多く使っている最先端企業である。

図10 砂部工業団地