高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第五章 戦後改革と民主化

第四節 高根沢町の誕生

三 北高根沢村と阿久津町の合併

 阿久津町と北高根沢村の合併が遅れた理由の一つとして、阿久津町長による町独立の考え方があった。
 それについては、種々新聞にも取り上げられたが、三一年八月三一日の公民館上棟の日に町民に対して投げかけられた「町民の皆様 吾が町将来のため合併問題をよくお考えください」という長文に町長の考え方が集約されていた。
 この文の前段で、合併も大詰めとなり町民が腹をくくって考えてもらいたいと述べ、一六項目からなる町長の考え方が述べられた。そのなかで、まず合併は住民全体の自主的発意で行われるものであり、決して強制的な合併は許されないものであるとし、県の合併計画の強圧的な推進に対し反対の姿勢をとる町長の基本的な理念が述べられた。
 さらに、阿久津町は人口九、七〇六人と全国でも大きな町村に属し、合併の標準人口を越えた適正規模であることが強調された。また、県下の合併状況は現時点で一七〇町村から六〇町村に統合され、国が示した九五町村を大きく上回り、全国的にも好成績を示しており、合併目標は達成されたとした。それをさらに推進する影には国からの高額な合併補助金があると述べている。また、町民に対して、合併計画に反対することによる交付金・補助金のカットについても心配することはなく、事業も順調に実施していることをアピールした。さらにまた、阿久津町には鉄道が敷かれ宝積寺駅が開設されるなど恵まれた地域であり、県北の交通の要衝であり国道の舗装化、東北本線の電化と将来の発展が見込まれることを強調した。
 このように、県に対する不信感と阿久津町の独自性を野沢町長は力説したのである。