高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第五章 戦後改革と民主化

第四節 高根沢町の誕生

二 北高根沢村と熟田村の合併

 昭和二九年四月一日新北高根沢村の発足にともない、合併祝賀記念式典が挙行され、併せて北高根沢村役場仁井田支所が開庁式を挙げた。役場は、今までどおり太田に置き、仁井田支所を文挾に新たに設置した。古口五郎平北高根沢村長のもとで機構を整え、合併時において面積四四・六平方キロメートル、戸数二、四二七戸、人口一万四七八人を有した。
 北高根沢村建設計画では、その基本方針として「北高根沢村は全国の米産地であり、村の大部分を占める農家の経済は、米・麦その他の農産物によって維持されるものであるため、農業について重点的に振興を図り、なお教育・土木施設の充実を計り、環境衛生・生活文化などの合理的な発展を期する。このため、村内の主要道路の速やかな整備とともに、財政力の強化に努め逐次各施設の拡充設定を図り、健全な北高根沢村を建設せんとするものである。」と述べている。
 また、二九年四月一日の新町村建設計画の中で、それぞれの懸案事項として、教育面では合併による中学生の増加のため校舎の増築が急務であり、今後は、第二中学校の建設が必要であるとしている。また、文挾小学校の増築、矢板高等学校北高根沢分校を将来仁井田駅前付近に移転し、全日制の独立高校とするよう努力することが盛り込まれた。
 土木関係では、太田―氏家間・太田―石神間の道路の県道編入の要望と整備が上げられ、橋梁については、木橋から逐次永久橋(コンクリート化)に架け替える計画が立てられた。
 農業面では、土地改良事業を強力に推進し、農道整備にも力を入れる。商工面においては、仁井田駅前を中心とした発展と、工場誘致を図っていくものとした。