高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第五章 戦後改革と民主化

第四節 高根沢町の誕生

二 北高根沢村と熟田村の合併

 昭和二九年三月五日の北高根沢村議会議員協議会は、前記のとおり熟田村からの一部編入を歓迎した。このことについては、熟田村が四か町村合併案を断念する中で、村民大会において地区の意志を尊重するということを申し合わせ、氏家町との合体合併という結論を導き出した。しかし、三地区(飯室・文挾・伏久)から北高根沢村への編入合併の要望があり、苦しい選択を強いられる結果となった。その後、飯室の上・下と伏久の下地区に氏家町編入の動きがあった。熟田村議会に対して村長は氏家町との合体合併で臨んだが、南部選出の議員より反対意見が出され、数時間の協議の末改めて「熟田村を廃し、北高根沢村の区域に編入する部分(飯室・文挾・伏久)を除く残余の部分全部(狭間田・松山・松山新田・箱森新田・柿木沢・柿木沢新田・鍛冶ケ沢・上野)を氏家町に編入するものとし、この処分を栃木県知事に申請するものとする」案を上程し議決されたのである(『栃木県市町村合併誌』)。
 北高根沢村議会議員協議会終了後、熟田村の村長と議会議長他数名が北高根沢村を訪れ、熟田村と氏家町の合体合併を明らかにし、その際、熟田村南部の飯室・文挾・伏久については北高根沢村と合併したい意向を伝えた。北高根沢村もこれを受入れる意向を示した。これら熟田村の飯室・文挾・伏久の三地区は、人口二、三一五人・戸数三九三戸あり、経済圏において北高根沢村に属し、烏山線の仁井田駅の市街地は道を挟んで北高根沢村と熟田村に分かれているなど、分かれていると不都合な点が多かったので、分割合併になったものと思われる。その際の条件として、同地区内の村会議員をそのまま北高根沢村議会議員とすること。また、農業委員・教育委員をそれぞれ準農業委員・準教育委員とすること。そして、同地区内の村吏員を北高根沢村吏員としてそのまま受け入れることなどが要望された。
 こうして、大筋で歓迎を示した北高根沢村は、議会の本会議開催や県地方課への打合せを経て、氏家町・熟田村と歩調をそろえ、同年三月九日付で「町村合併について申請」を行ったのである。
 この申請書をみると、それぞれの町村の思惑が伝わってくる。三か町村長が署名した合併理由については、まず、熟田村・氏家町・北高根沢村の町村境が入り組んでいることがあげられ、つぎに米の大生産地としての共通性があるとともに「人情、風俗、財政等」において類似していること。そして、経済面・物資の需給・交通等で密接な関係を持っていることなどが述べられ、合併により住民の福祉を高め強固な自治体をつくり「自治行政の完全なる運営」を目的とした。
 そして、各々の町村の理由書には、合併する側とされる側の意識の違いが感じられる。
 まず、氏家町の考え方としては、行政・議会・住民の意識をみると、積極的な合併推進であり、合併の理由として、氏家町と熟田村の地域は古くから「卯の花の里」といわれ、経済的にも社会的にも文化的にも血縁的にも共通した地域であり、日常生活を同じくしていた地域であった。そして、教育面において熟田村の生徒九〇名を氏家中学校に受託していた経緯もあり、合併は自然の姿であるとした。さらに、現在、町村の機能は著しく複雑多岐となり、これに対して町の規模を拡大適正化することが緊急を要すると町議会は述べている。
 また、北高根沢村においても積極的に合併を望んでおり、合併は当然の姿としているが、議会の理由書には「合併問題を取上げ促進すべき時間が非常に短かった」と述べている。これは北高根沢村が四か町村合併を推進していた中で、急転回をみせた合併であったことを物語っている。
 一方、熟田村は合併理由について教育問題をあげ、北部三地区は中学校生徒九〇人を氏家町に委託し、氏家町との合併により中学校問題を解消することを理由とした。また、村議会の意向としては、郡南四か町村の合体合併を目標に運動を進めてきたが、他の三町村の同調が得られず断念する中で、氏家町との合体合併を要望したが、地域による住民意識の相違により、分離合併という結果に落ち着いたという。住民意識としては七割が氏家町との合併を望み、他の三割のうち伏久上・文挾と仁井田駅周辺の住民は北高根沢村に接し密接な関係があるとして北高根沢村への編入合併に賛成していた。飯室と伏久下の住民は村を裂いて編入合併することは忍びがたいという意識だった。
 こうした、意識は各議会における合併決議にも表れ、氏家町は二二名全員の賛成、北高根沢村も二三名全員の賛成であったが、熟田村議会だけは二一名のうち三名が欠席し賛成一二名・反対五名であった。
 こうして、三月六日三町村の担当者は、出県して合併事務の打合せを行い、その後氏家町と熟田村との打合せが行われ、三月八日同時に各町村議会を召集し、合併を決議した。さらに三月九日に合併についての申請書を県知事に提出し、三月一一日栃木県告示第一六八号をもって告示され、北高根沢村と熟田村の一部合併が正式に決定した。
 そして、日光市を除いて小山市・真岡市・芳賀町・烏山町とともに県内のトップを切って、二九年三月三一日に合併施行が行われた。