高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第五章 戦後改革と民主化

第四節 高根沢町の誕生

一 栃木県の町村合併

 昭和期の町村合併は昭和二八年(一九五三)からの三年間の時限立法として施行された町村合併促進法により実施された。その目的は、人口八,〇〇〇人以上を標準とした。二二年の六・三制教育制度の開始による新制中学校を独自に維持管理できる行政体とすることであり、さらに、給付行政を充実するうえからも、町村合併は必須なものとされた。
 二八年一〇月の町村合併促進法の施行にともない、栃木県においても栃木県合併促進審議会が設置された。審議会の委員は、県議会代表・市町村議会代表・市町村長代表・県教育委員会委員代表・県職員及び学識経験者からなり、知事の諮問に応じて、町村合併に関する計画の策定について調査審議することとなった。
 そして、町村の規模は「おおむね八千人以上の住民を有するものを標準とし、地勢・人口密度・経済事情・その他の事情に照らし、行政能率を最も高くし、住民の福祉を増進するようにその規模をできる限り増大し、これによってその適正化を図る」(「町村合併促進法」第三条)というものであった。
 これにより、同審議会は「町村合併促進法に基づき、本県の町村合併を計画的、合理的に促進するため、町村合併に関する計画につき、当審議会の意見を答申されたい」旨の諮問を受け、ただちに町村合併計画要項を決定し、これに基づき同審議会に九つの小委員会を設置して計画の策定に着手した。
 同審議会の方針としては、一気に最終的な町村合併計画案を策定することを控え、まずその前提となる試案を策定し公表することで、世論の反響を聞き、さらに検討を加えて確定案を出すこととした。
 そして、二九年二月五日「町村合併計画第一次試案」が出された。
 これによると、現行の六市一六三町村を合併後は八市四八町村とし、一市約六万人、一町村あたり約二万二四〇〇人と試算した。塩谷郡は市を持たず一七町村を七町村にするという案であった(表10)。その内容を見ると、矢板町と泉村・片岡村の合併、箒根村と塩原町の合併、船生村と玉生村・大宮村の合併、喜連川町と上江川村の合併、三依村と栗山村・藤原町の合併案が示された。そして、本町との関係においては、氏家町と熟田村、阿久津町と北高根沢村の合併案がこの時点で出された。これは、人口割合からみても、氏家町が一万四一九九人、熟田村が七、六一九人で計二万一八一八人となり、一方阿久津町が九、七〇六人、北高根沢村一万二五三一人で計二万二二三七人と、他と比べても平均的な人口割であった。
 
表10 塩谷郡の合併試案
合併予定町村人口(人)面積(k㎡)
矢 板 町15,25643.90
泉   村6,85784.80
片 岡 村6,99933.80
 計 29,112162.50
箒 根 村6,41887.50
塩 原 町4,854103.00
 計 11,272190.50
船 生 村6,67254.90
玉 生 村6,65283.50
大 宮 村6,68736.70
 計 20,011175.10
氏 家 町14,19925.60
熟 田 村7,61924.70
 計 21,81850.30
阿久津町9,70627.40
北高根沢村12,53139.70
 計 22,13767.10
喜連川町9,54737.10
上江川村5,55937.30
 計 15,10674.40
三 依 村2,178159.90
栗 山 村3,346427.10
藤 原 町8,825113.10
 計 14,349700.10

『町村合併計画第一次試案』より抜粋