高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第五章 戦後改革と民主化

第二節 教育の再生と学制改革

一 学制改革

 高根沢町では北小学が成立後、中部地区(中央・桑窪・台新田・柏崎小学校)の学校統合問題について懇談会を昭和三八年(一九六三)八月一七日町役場で開いた。いま昭和三七年八月現在で四校の児童数をみると表4にみられるように年代を追うごとに児童数が減少している。昭和三八年の七〇七名が四三年には五二八名と約一八〇名も減少し、柏崎小学校では全校生が四七名と減少し、学校統合が急務となった。町は学校統合について検討していたが、第一段階は北小学校(文挾小、東高谷分校)、第二段階で東部の柏崎、桑窪、台新田各小学校の三校統合を考えていた。しかし三校では四三年段階で二一八名となり、これでは理想的学校が可能かどうか検討された結果、中央小学校を含む四校統合に変更になった。従前通りでは、中央小学校以外はいずれも小規模校となりこのまま放置しておけば複式、又は複々式教育になる状態で適正な教育効果が望めないのである。適正規模は一二学級から一八学級での学校運営とされており、統合にあわせて老朽校舎の解消も計画されていた。
 昭和四〇年一一月二二日柏崎小学校で結社代表の懇談会が開かれた。懇談会では種々な発言があった。「四校統一が一挙に出来ないとき、なんらかの形式で正常なる学校運営ができるよう暫定的措置を考えてほしい。」「暫定的といってもいつまでおくか。」「町として統一校舎建設の事業は何年度からか、現在その計画はあるのか。」「遠距離通学にはバス通にするか。」「校名を変更してほしい。」このような意見のなか昭和四二年には八月下旬各学校の結社毎に懇談会をもち、その結果を持ちより一一月七日役場で学校統合(東部四校統合)について話し合いが行われた。一二月一四日には統合促進委員会が結成された。こうして「東部四校統合促進委員会常任委員会」と正副委員長などが決定した。昭和四五年四月四校は名目統合して町立東小学校が開校した。新校舎は太田七一五番地に決し、昭和四五年六月六日起工式を行い、翌年四月五日工事完了し、四月八日から新校舎として開校した。
 北高根沢村の小学校は戦前から八校が伝統を守ってきたが農村部の過疎化が進むにつれ、まず文挾小と東高谷分校が三六年に北小学校として統合、中央、桑窪、台新田、柏崎各小学校四校が昭和四五年に東小学校として統一された。上高根沢小学校はそのまま単独で今日に及んでいる。北高根沢村と阿久津町との合併が昭和三三年四月一日に行われた。この際、阿久津町の大谷地区で氏家町への統合の希望が強かったが住民投票によって高根沢町に編入となった。その時、氏家町合併反対二三七票、賛成四六五票で氏家合併派が多かったが氏家合併に必要とする三分ノ二の票数四六八票にわずか三票不足し高根沢に入ることになった。このしこりは以後の高根沢町内にはなにかとみられた。学校問題も例外ではなかった。しかし、昭和四六年の町基本計画の中で旧阿久津町の大谷、石末小学校と高根沢町の花岡小学校三校の統合は予定していたから、町と住民の間で話し合いが進められていた。合併をめぐる住民の感情的対立が幾分かは統合をおくらせたと思われる。この三校が統一されて中央小学校となり、まず昭和四九年七月に予定地石末二二四七番地に水泳プールが完成し、五一年五月二九日に校舎の起工式が行われた。五一、五二年度の二か年継続事業で工事は進められ、五二年五月一〇日に完成した。中央小学校は三つの地区の子どもを一校に集めるという難問をかかえての誕生だった。当時の先生は追憶の中で次のように述べている。
 
  全職員が児童と共に校庭に集合、見上げた校舎はすばらしかった。石ころだらけの校庭も生き生きしていた。
  三校の名前は伏せて、だれも、どなたも仲よく学び、よく遊ぼうということを合言葉に先ず友達の名前を覚え、仲間を作っていった。幸いプールは開校前に出来ていたし、何かと機会があったので、すぐに仲よしになれたのはすばらしいスタートだった。
 
 「三校の名前は伏せて」の言葉のなかに、問題解決にあたる教師や地域住民の知恵が感じられる。町の発展は人口増加をうみ、平成六年四月より阿久津小学校から分離した町立西小学校が開校し、今日六校の小学校が互に協力しあいながらも、特徴を生かした独自の道を歩んでいる。
 
表4 4校(中央小、台新田小、柏崎小、桑窪小)児童数・学級数調(昭和37年8月20日現在)
年度学校名1 年2 年3 年4 年5 年6 年
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
 児
 童
 数
 学
 級
38中央小64265261269274275240812
台新田小72311211115191873
柏崎小791141119151653
桑窪小2012812312512113011476
9831255110311651193139570724
39中央小556465616974388
台新田小1372312111581
柏崎小7791411957
桑窪小202028232521137
952982125311031163119366316
40中央小565564656169370
台新田小1213723121178
柏崎小7779141155
桑窪小212020282325137
96295298212531103116364015
41中央小465655646561347
台新田小1212137231279
柏崎小1077791454
桑窪小142120202823126
8229629529821253110360614
42中央小404656556465326
台新田小1112121372378
柏崎小810777948
桑窪小161421202028119
752822962952982125357113
43中央小494046565564310
台新田小1211121213767
柏崎小881077747
桑窪小131614212020104
82275282296295298252812


図4 昭和30年代の台新田小学校(太田 藤田潔提供)


図5 昭和40年代の中央小学校(旧)


図6 昭和30年代の桑窪小学校(太田 藤田潔提供)


図7 昭和30年代の柏崎小学校(太田 藤田潔提供)


図8 昭和40年代の大谷小学校


図9 昭和40年代の花岡小学校


図10 昭和51年の石末小学校(石末 斎藤洋子提供)