高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第四章 昭和恐慌と戦争の時代

第六節 戦争と教育

二 青年団と青年学校

 青年会の活動は、昭和期に入っても従前どおり日常的には農作業、道路補修などの公共事業、娯楽、運動会、茨城海岸への旅行、出征兵士の歓送などが実施されてきた。しかし満州事変が勃発したことによって様相はしだいに変ってきた。昭和七年(一九三二)上海事変に出征し、凱旋した斉藤新二君の歓迎会は上高根沢小学校で盛大に行われた。「斉藤兄の実戦談、嗚呼壮なる哉、快なる哉、聞くだに若人の血は躍る」と会員は夜更けまで語り合っている。戦争気運が高まるにつれ、出征兵はもちろん、帰郷兵歓迎が議題にのぼり、郷土出身の海軍大学校教授海軍大佐赤羽良淳の墓参帰郷を期に軍事講話会といった行事ももたれた。一方で種々なる会がもたれ、北高根沢村小学校聯合会主催の巡回講演会でもその一端を受けもった。また、「一夜講習会」を開き、郷還兵士の上海、北満の地の奮戦談を聞く会などを青年会が主催して行った。
 当時、県当局は自力更生運動の政策の一つとして報徳教育を推進した。特に昭和九年から一〇年にかけての大凶作で農村は打撃をうけ、その対策としても報徳教育が叫ばれた。昭和一〇年一〇月には知事名で「報徳精神ノ普及ニ関スル告諭」が出され、総務・学務・経済の三部長名で「報徳主義ノ普及徹底ト地方ノ更生振興ニ関スル件」の通牒が各市町村長、学校長に発せられた(『栃木県史』通史編6・九七〇頁)。
 この時期に県内各小学校に二宮金次郎像が建設されるようになった。上高根沢の中部青年会は昭和一二年創立二〇周年の記念事業として上高根沢小学校の校庭に二宮金次郎の少年時代の像を建設することを決めた。これには青年会が総力であたることになった。像の購入方法は会長ら四人に一任し、一応二三円見当で考えられた。他にセメント一包半、手間一人前一円、除幕式経費二円、雑費二円、計三〇円見当とした。残る会員は砂一〇箱、砂利二五箱程度取ることとし、像を立てる日を二月二四日に定めた。
 二月二二日、代表四人は午前七時出発、宇都宮に八時三〇分到着、市中の石屋を見、二三円で像を購入し、午后六時に帰着し直ちに学校の物置にしまった。同日、ほかの会員は砂利取りにあたった。
 二月二四日、校庭で建前式を行いセメント三袋、針一〇銭、水糸五銭、砂利一〇箱追加した。
 二月二六日、午前八時より役員一同出席、二宮先生石像の台座の上塗りを行い、正面に忠孝の二字を書き入れた。夕方には竣工式の相談をし三月三日に決した。竣工式は会員外多数の来賓者、児童が参列して行われた。この像は「団体精神の発露たる、なお、世人の鑑たる尊徳先生を後世に残すべく意義あらしめ」て建てたものである。二宮金次郎像建立は青年会が農村更生の精神的支柱として報徳精神を尊重していたことを窺わせるものであるが、その像は今日見ることができない。