高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第三章 大正期の村政と産業の発達

第三節 宝積寺駅と烏山線の開通

二 水戸線からの鉄道敷設

 常野鉄道の計画が挫折して三年後の明治三九年、川島から真岡に至る鉄道敷設が計画された。これが東野鉄道の計画である。この段階では烏山町までの計画は見られず、烏山町の鉄道への夢は消えかかった。しかし、翌明治四〇年時点で会社が逓信大臣に提出した書類には烏山・宝積寺への路線が記されていた。第一回の営業報告書には次のように記されている。
 「明治四十年三月十三日、株主臨時総会の決議に基づき、延長線(真岡―烏山間及び市塙―茂木間並びに市塙―宝積寺間)敷設免許申請書提出せり」。このようにして再び烏山町への鉄道敷設計画が浮上し、さらに市塙から祖母井を経て宝積寺に達する計画路線が浮かび上がってきた。この時点で、烏山町にはすでに宝積寺との間に人車鉄道敷設の動きが見られた。すなわち、当時烏山町には水戸鉄道との接点を求める考え方と宝積寺で東北線へつなげようとする二つの考え方がみられた。工事は、四〇年一二月一五日に芳賀郡久下田町で起工式が行われたが、経済不況により株金が集まらず中止になった。その後、経済の回復を待つとして延長願いを出したが、四〇年川島駅付近の伊佐美が原で陸軍大演習が行われ、この地が行在所になった。そのため、この地に鉄道を敷設することが問題となり、路線変更がやむなきに至ったという。このような理由で、竣工期限が延長になったが、四〇年六月免許の効力を失い、芳賀地方、さらには烏山町の住民の希望は水泡に帰した。