高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第三章 大正期の村政と産業の発達

第二節 穀物検査と地主会

一 穀物検査のねらい

 殼物の移出検査は生産検査のあとで穀物検査所関係者、農事試験場職員、移出検査員、県農会職員、農民の中から知事が選んだ代表などで査定会を開き一等~五等までの標準米麦を決めた。標準米麦は各出張所へ約一合ずつ配付して検査の基準とした。生産検査高に対する移出検査高の割合は米が明治四三年から大正八年の平均が五二パーセント、麦は大正三年から八年の平均で六〇パーセントだった。移出検査で五等までに入った米は品質・俵装がよかったから、市場での格付けもよくなった。明治四三年の調査で価格が平均して一石に付き八〇銭あがった(石一六円の時)が、大正元年にはさらに二円五〇銭あがった(石二二円の時)。東京米穀取引所の等級も四三年は七級から五級へ、四四年はさらに二階級あがって三級となった。麦も評価があがり東京、横浜方面で価格があがり、注文も増えてきたという。表1で示したように宝積寺は大正五年には東北線沿線駅のなかで最大の米移出高となり、特に東京へは約一三万石を移出するようになっていた。
 米の移出が増加するなかで、県と農会は地主や農民が米穀検査により得られる利益を一層多く受けられるようにするため、米券倉庫の設置を奨励した。米券倉庫は生産検査の合格米麦、移出検査の五等以上の米と二等以上の麦を入庫し、米麦価の動きを見ながら有利な時期に、より高い価格で共同販売を行う機関であった。入庫米麦については倉庫で移出検査を行う便宜もはかっていた。宝積寺には資本金三万円で大正二年に宝積寺米券倉庫株式会社(社長見目清)ができ、大正五年には氏家にもできた。こうして、高根沢地域の米はしだいに東京市場で一定の地位を占めるようになった。
 
表1 大正5年度米麦移出先調
(単位・石)
出張所名種別東京神奈川埼玉群馬茨城山梨福島宮城靑森山形岩手
寳積寺 玄米
精米
一二八、六四三
三六九
三、一八六
 ―
一二
六八四
八〇四
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
二〇
一四〇
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 ―
 ―
 ―
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氏家玄米
精米
四三、〇〇三
二、六三四
一八、九八七
一九
一七、四三二
二、七九三
二、二九九
一三〇
二八一
二四
 ―
 ―
八一九
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
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 ―
出張所名種別福島東京茨城群馬宮城山形岩手千葉靑森秋田神奈川
寳積寺 玄麦
 精麦
一五三
一〇二
一三、七九七
 ―
 ―
 ―
五七三
 ―
一三
 ―
 ―
一八七
 ―
八二
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
 ―
氏家 玄麦
精麦
 ―
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九二〇
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二七
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