高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第二章 宝積寺駅の開業と地主制の成立

第六節 農会の成立と農業生産の展開

二 新しい農業技術―明治農法

 農林会から農会へと名称を変えて間もない三三年九月初め、塩谷郡農会が開催された。この会議で郡農会と町村農会の活動のしかたについて討議がされ「農事奨励の急務」と題した文書(栗ケ島・渡辺章一家文書)が発表された。そこには要約すると次のように書かれている。
 
   本郡農業のありさまを見ると、世の進化に伴って近年大いに改良進歩したごとき外観があるが、未だ幼稚といわざるをえない。農業発達の方法は種々あるが、農界の機関たる郡農会が、直接農民と折衝する町村農会を良く管理・活用して進取の道を講じ郡の福利を増進しなければならない。
◇いま水田について旧慣法と改良法を比較してみると(本郡三三年度現在)
 一、水田総反別 六、三五〇町九反九畝六歩
   旧慣法による播種量(反当籾八升) 種籾五、〇八〇石七斗九升三合六勺
   改良法塩水選播種量(反当籾五升) 種籾三、一七五石四斗九升六合
             差引利益籾    一、九〇五石二斗九升七合六勺
   玄米に摺りあげて五合減とすると、 玄米  九五二石六斗四升八合八勺
   壱石金一〇円の相場と見積り    利益金九、五二六円四八銭八厘
◇改良法により一坪に付籾二合増収するものとすれば
 一、利益籾三万八一〇五石九斗五升二合
   これを前と同じに玄米にすると  玄米一万九〇五二石九斗七升六合
   壱石金一〇円の相場と見積り   利益金一九万五二九円七六銭
 (以下反収玄米一石五斗に増収の場合、病虫害を半分に減らした場合省略)
◇前記の反別の五分の一を二毛作田にできたとすると
 一、二毛作田  一、二七〇町一反九畝二五歩、(内二五四町三畝二九歩既二毛作地)
 一、新規二毛作田一、〇一六町一反五畝二六歩
   但、農家の丹精を以て二毛作をして大麦一反歩二石の収穫があるとして
 一、大麦二万三二三石一斗六合
     一石金三円と見積り    利益金六万九六九円三一銭八厘 (後略)
 
 このように具体例によって農事改良は利益が上がることを示しながら「けれども旧慣墨守者は改良の真の味(利益のこと)を知らないから」これらの方法に対しても一つの議論だと反駁し、一片の改良の念もない。「これらの頑夢を打破する」ことが農会の「目下の最大の急務」だとして農会役員の覚悟を促している。そして、町村農会の任務として次の諸項目を指示した。
 
 一、田作改良の一端 選種法、短冊苗代に改良、坪当りの植付苗株数の逓減
 一、麦作改良    選種法、耕作法、麦奴予防法
 一、二毛作奨励の件、葉煙草耕作奨励の件、養蚕奨励法
 一、排水実施の件、厩肥貯蔵法、害虫駆除並に予防法
 
 これらの指示事項を実践すべき課題と考えた郡農会員の見目東曹(北高根沢村)、佐野又三郎(葛城村)ら五名は建議書を提出して「農事巡回教師を招いて直接農家に対し農作物改良、肥料の調整、病虫害の予防・駆除、植林の方法等指導」してもらうことと、その費用・を郡会予算でとってもらうことを求め、扱いを郡農会長である郡長にまかせた。この結果、郡の農事巡回教師として町田行久がきて指導にあたることになった。

図51 落葉さらいの帰り道(渡辺清「百姓絵日記」明治40年12月13日 渡辺弘蔵 写真提供 ミュージアム氏家)