高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第二章 宝積寺駅の開業と地主制の成立

第三節 日清・日露戦争と民衆

四 戦争と農村

 江戸時代農民の生活、農耕生活に重要な労働力というと、曲屋にも象徴されるように馬であった。明治期に入ると交通の発達により馬の必要性は急速に増した。それが明治一五年(一八八二)に太政官から徴発令が布告されると戦時に対応するために軍事物資の調達に馬の必要性がさらに増大した。軍事演習に準用される馬は新たな徴発の対象となり、国防上軍馬の充実が我が国馬政の基本政策となった。しかし日清戦争までは馬政らしいものはなく、日清戦争を経験するまで政府の施策は特筆すべきものはなかった。
 日清戦争開始の明治二七年、我が国の軍備は未だ常備七個師団で、これに必要な動員馬数は三万五〇〇〇頭、これらの馬は全国馬飼養頭数一五〇万頭中から徴発することになった(農林省畜産局編『畜産発達史』)。
 初めての対外戦争であった日清戦争では農耕馬は余り役に立たず、藤波言忠子爵は「馬匹改良意見書」において「軍備ノ拡張ハ軍馬ノ需要ヲ増シ」とし、プロシヤ皇帝フリードリッヒ大王のいう「馬匹ハ国ノ重宝ニシテ富国強兵ノ基ナリ」を引用して馬匹調査会を発足させた。
 明治三三年六月清国で義和団の乱がおこり、その鎮圧に我が国も派兵をきめた。北高根沢村役場は、六月二九日付で、馬匹の徴発に備えるため村内区長宛に次のような通知を出した。
 
  既ニ第五師団(広島)ニ於テハ動員ノ命アリ、尚ホ漸次他師団ニモ同様ノ命令アル可キ勢アルガ如シ、而シテ此ノ動員ノ命アリタル師団ニハ其管轄区域内ノ馬匹徴発ノ付随ス可キハ当然ノ事ニシテ本郡ノ如キハ其馬匹遠ク、第十師団(姫路)ニ属シ特ニ本村ニ至リテハ其ノ配当ヲ受ケタル数、本郡第一ニシテ殆ント百頭ニ達ス可ク、同師団ハ第五師団ニ接近スル事ナレバ何時動員ノ命アリ、随テ馬匹ノ徴発アルヤモ測リ難キニ付、此際在馬ノ数、精知致度特ニ其筋ヨリ再三内命モ有之……
 
 この通知にあるとおり塩谷郡の馬は広島の第一〇師団に属し、北高根沢村の馬匹の配当は塩谷郡内で第一の一〇〇頭に達する徴発をうけねばならなかった。大字上高根沢には明治三三年六月三〇日現在で牡馬一一七頭、此所有主は八九人となっている(上高根沢区有文書)。上高根沢では明治三一年九月六日、長宮と平田の間の字西原の地で徴発馬の検査が行われた。その時の字毎の頭数は表12のようになっている。
 ロシアとの戦争への危機が高まるなか、明治三六年八月六日北高根沢村役場から、第一〇師団(姫路)徴発馬匹検査を来る一〇日に宝積寺停車場附近で行うので午前六時まで到着するよう、厳しい指示が区長あてに伝達された。日清、日露戦争の徴発馬数をみると、日清戦争時は、一四万七一四九頭が、日露戦争では二七万五二六五頭と二倍に近い増加をみている。

図34 日中戦争徴発軍馬の記念碑(花岡 東上地内)

表12 大字上高根沢徴発馬数(明治31年)
字 名頭 数字 名頭 数
石  沼
向  戸
宿
山 ノ 下
水  囗
木 ノ 内
廻  谷
15 頭
20 頭
7 頭
6 頭
5 頭
6 頭
7 頭
般 若 塚
簗  瀬
西根東組
西根西組
金井上組
金井下組
12 頭
4 頭
12 頭
4 頭
7 頭
5 頭

合計110頭     上高根沢区有文書より作成