高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第二章 宝積寺駅の開業と地主制の成立

第三節 日清・日露戦争と民衆

三 日露の戦い

 日露戦争の最中、明治三七年(一九〇四)一二月二一日、北高根沢村役場は各大字区長宛に陸軍省からの年賀状廃止の注意書を送付した。
 
  戦地ニ在ル軍人軍属其他ノ従軍者ニ宛テ発送スル年末、年始ノ賀状ノ廃止スベキ注意(史料編Ⅲ・一七四頁)
 
 これは軍事郵便の増加に伴い陸軍省から出された注意書を、村内一般へ周知させるための連絡である。それには次のようなことが記されていた。日露戦役下にあって戦地には軍事郵便取扱い所が各地に設けられ、軍人、軍属、その他の従軍者はいずれの場所においても信書の発受が可能であった。特に日露戦争では発信数に制限が加えられず内地との手紙の往復は予想以上の多数にのぼった。特に一二月時点での調査では全軍に発着する郵便は一か月約三、〇〇〇万通に達し、これを取り扱う吏員は一人で毎日五、〇〇〇通を処理する過重労働をしいられていた。これは平時に比較すれば五倍以上の勤労に服することになっていた。戦地にあっては後方勤務者の人数は減らしており、吏員の増加は許されず、一二月に入り戦地発送の賀状がにわかに増加し、公用や、軍用通信はもちろん、出征兵士に対する親戚や友人の音信が遅れぎみになり一般兵士の士気にまで影響を及ぼす事態においこまれてきた。
 陸軍省はこれらの状況を考えて末端の村役場を通し、儀式に過ぎない賀状のように受信者にもさほど大きな慰安とならない書状は努めて廃止するよう連絡したのである。
 戦地からの手紙は兵士が自分の存在を示す何よりのあかしである。家族はもちろん、出征後の家族の保護に当たっている徴兵慰労義会長、軍人保護会長への便りは家族を案ずる前線の切実な思いを伝えるものであった。

図33 戦地への年賀状廃止の通知(上高根沢区有文書)