高根沢町図書館/高根沢町史ほか

高根沢町史 通史編Ⅱ

第二章 宝積寺駅の開業と地主制の成立

第一節 陸羽街道の整備と東北線の開通

四 東北線の敷設と路線変更

 鉄道開通後、宇都宮―白河間で路線の変更が二か所で行われた。一か所は黒磯―白河間である。この区間は勾配がきつくカーブの続くところであり、普段でも交通上問題の多かったところであった。明治末期から大正期にかけて、奥羽線・磐越東西線が完成し、郡山以南の輸送量が増大すると輸送が一段と窮屈になってきた。この段階で、路線の勾配をゆるやかにすることが課題となり、大正四年、黒田原―豊原付近から工事に着手し、九年に新線に切り替えられた。
 もう一つの路線は宇都宮―矢板間で、水害によりしばしば運休になっていた路線であった。ここは、東鬼怒川と西鬼怒川が流れ、全体的に窪地状で水害が多発していた地域であった。
 このきっかけとなったのは、明治二三年八月二二日の暴風雨で、雨は夜に入ってもますます激しさを増し、各地に多くの被害を与えた。鬼怒川鉄橋の台は二、三か所で倒れ、鉄道はしばらくの間不通となり、路線の変更が論議された。特に東西鬼怒川を渡るところでの水害による被害はその後も度重なった(大町雅美著『栃木県鉄道史話』)。
 そこで日本鉄道会社は二八年一月三一日の株主総会においてついに路線変更を決議した。鬼怒川橋の位置を東・西鬼怒川が合流する下流に移すこととなり、線路は鬼怒川西岸の岡本から大きく東にカーブし石神から宝積寺の台地を北上する路線が採用された。二八年一〇月に工事を開始し、三〇年二月二五日に新線が開通した。これにより、吉田・長久保の両駅は廃止され、代わって岡本・氏家駅が設けられた。開場式は、氏家駅で挙行され知事をはじめとして、塩谷・河内郡長・警察署長・氏家停車場期成同盟会員などを招待し、氏家の各町からは山車屋台が引き出され、宇都宮の芸者も手踊りで花を添えた。
 その後、阿久津村では駅の誘致運動を起こし、三二年二月二一日待望の宝積寺駅が誕生した。こうして、宝積寺駅の開業は、鬼怒川以東の南那須・芳賀郡の地域に新たなる発展の可能性をもたらした。

図11 東北本線路線変更図